〇 今日の一献 「徳川園の山車揃え」と「徳川園」に行ってきた


―― 江戸時代から続く山車の競演と尾張藩主の隠居所

● 「徳川園の山車揃え」
 毎年6月の第1土曜・日曜日に名古屋市東区の筒井町や出来町地区では、両地区にそれぞれある須佐之男神社の祭礼「天王祭」で、江戸時代から伝わる山車の曳き回しが行われている。

 近頃では、東区内にある徳川園に両地区から5両の山車が一同に会する「山車揃え」が行われ、江戸時代から伝わる豪華な造りの山車とからくり人形の演技が市民に披露されている。

00-P1110892.jpg

 当日の先着500人に配布された、特製ストラップ。

00-DSC09191.jpg

 筒井町や出来町地区から徳川園に集まった5両の山車
 筒井町天王祭の山車は神皇車(じんこうしゃ)と湯取車(ゆとりぐるま)の2両で、出来町天王祭の山車は、鹿子神車(かしかじんしゃ)、河水車(かすいしゃ)、王羲之車(おうぎししゃ)の3両。

00-DSC09208.jpg

 初夏の風物詩「徳川園の山車揃え」は、2005年(平成17年)の天王祭から開催されており、今年で13回目を迎え、8,000人の見物客で賑わった。

00-DSC09250.jpg

 新出来町の『鹿子神車(かしかじんしゃ)』
 4体のからくり人形が載り、唐子が逆立ちして太鼓を打つ演技をする。

00-DSC09270.jpg

00-P1110881.jpg

 山車の回転「どんでん」
 徳川園の広場に集合した山車は、からくり人形の演技後に方向転換してそれぞれの町に帰る。
 山車の前輪を浮かせて方向を180度回転させる「どんでん」は、山車を操る主役の楫方(かじかた)の腕の見せどころだ。

00-P1110884.jpg

00-P1110886.jpg

00-P1110897.jpg

00-DSC09353.jpg

 徳川園の正門、総ケヤキ造りの「黒門」(登録有形文化財)

000-IMG_20170607_0001.jpg

 NPO法人「東区山車まつり振興会」公式ホームページ
 http://higashiku-dashi.or.jp/



● 徳川園の初夏の風物は、、、、水の涼しさ
 「徳川園の山車揃え」を観に行ったついでに寄ってきた。
 名古屋市の都市公園の一つ「徳川園」は、もともと旧尾張藩二代藩主 徳川光友の隠居所「大曽根御屋敷」として元禄8年(1695年)に造営されたもので、1931年(昭和6年)に尾張徳川家から名古屋市に寄贈され、2005年(平成17年)になって総面積4.5haの池泉回遊式日本庭園として再整備されたものだ。
 なお、「徳川園」に隣接して旧尾張藩の宝物を展示する「徳川美術館」や藩の文庫だった「名古屋市蓬左文庫」がある。

00-DSC09178.jpg

 龍門の滝の上に架かる虎仙橋

00-DSC08999.jpg

 龍仙湖とレストラン・ホールのある「観仙楼」

0170604-panorama-01.jpg

 龍仙湖
 池泉回遊式日本庭園の「徳川園」には、この地方にある木曽山脈、木曽三川、伊勢湾や濃尾平野に見立てて、山、大曽根の瀧、渓流、龍仙湖、牡丹園、菖蒲田などが配置されている。

00-DSC09014.jpg

00-DSC09066.jpg

 菖蒲田
 1,700株が植えられた花菖蒲

00-DSC09043.jpg

00-DSC09093.jpg

00-DSC09112.jpg

 「虎の尾」の名のある深山幽谷を思わせる渓流

00-DSC09152.jpg

00-DSC09165.jpg

 ハクセキレイのつがい

 00-P1110902.jpg

 6つ葵の紋が付いた、徳川園の瓦屋根兵とタチアオイの花。

00-20170605 徳川園

 「徳川園」
 https://www.tokugawaen.aichi.jp/




〇 今日の一献 名古屋城の「菊花大会」を観に行ってきた

―― 当地方の菊愛好家の心意気と、息長い努力がしのばれる菊の展示会

 今年で69回目を迎えた名古屋城恒例の「名古屋城菊花大会」のご招待をいただいたので、久しぶりに菊花大会を観に行ってきた。

 今年が第69回というのは、この菊花大会が戦後間もない復興初期に始まったことになり、この地方の菊愛好家の当時の心意気とその後の息の長い努力とがしのばれ、今回も白や黄色の大輪の菊など450点の菊の名品が出品され、当地方の最大級の見応えのある展示会となっている。

00-DSC06325.jpg

 会場は、名古屋城内西之丸広場を中心に、「大菊」、「山菊」、「切花」の3部門で構成された450点が展示されている。

 この季節、全国各地でも菊の展示会が開かれるが、江戸時代後期に菊の栽培が盛んになった愛知県では、菊の生産量が全国の3割を占めるという有数の生産地でもあり、県下各地区で盛んに展示会が開催されている。

00-DSC06300.jpg
 
 尾張藩二代目藩主「徳川光友」と正室「千代姫」の菊人形
 菊の花期が長いことや花もちが良いことに着目した「菊細工」から始まり、顔を人形で作り、からだ全体を菊で飾った「菊人形」は、愛知県から明治20年ころには全国に広まったといわれる。

 今回展示されている正門や東門に飾られたこれらの菊人形も、愛知県高浜市の菊師が制作したという。

00-DSC06334.jpg

 管物といわれる大輪の糸菊の「千輪咲き」仕立て
 秋に挿し芽した苗から出た冬至芽を育て、一年をかけて半球形になるように花を並べて咲かせたもの。

001-DSC06307.jpg

001-DSC06314.jpg

 「大菊厚物」は、多くの花弁が中心に向かってこんもりと盛り上がった大輪の仕立て方

00-DSC06310.jpg

00-DSC06340.jpg

00-DSC06347.jpg

  山菊の部の盆栽仕立や懸崖仕立の並ぶ展示場

00-P1380404.jpg

 「盆栽仕立」は、形の良い岩や古木の上に苗をとりつけ、風雪にさらされた古木の風格と太く長い根の見事さを見せる仕立て方

00-P1380401.jpg

00-DSC06343.jpg

00-組写真 名城菊花展 20161115-00

 「名古屋城菊花大会」の開催は、11月23日(水・祝)まで。


〇 復元整備が進む本丸御殿(玄関・車寄)と大天守

 せっかく名古屋城へ来たのだから、本丸御殿と天守閣に寄ってきた。

 かつて名古屋城にあって、当時の国宝第一号に指定されていた本丸御殿は、惜しくも終戦間近の1945年(昭和20年)5月の空襲により天守閣とともに焼失したが、残された実測図を元に平成20年度から総工費150億円をかけた史実に忠実な復元整備が続けられている。

00-P1380518.jpg

 現在、玄関・表書院、対面所等の第2期整備までが完了して一般公開されており、平成30年度の全体公開に向けて上洛殿等の第3期工事が進められている。

00-DSC06356.jpg

 本丸御殿内部の復元障壁画など
 戦時中に襖絵、天井画などが疎開されていたことで、焼失を免れた原画を元に忠実な模写が行われている。

00-P1380432.jpg

 天守閣上の金のシャチ(北側の雄鯱)
 名古屋城は、大天守の屋根に黄金の板を纏った2.6mの巨大な雌雄の金のシャチ(鯱)を戴く全国でも珍しい城で、古くから「金鯱城」あるいは「金城」の異名を持つ名城だ。

00-DSC06376.jpg
 
 秋色の名古屋城大天守
 現在の大天守は終戦間近の空襲で焼失したものを、1959年(昭和34年)に鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC造)の外観復元天守として再建されたものだ。

 近年、天守閣の耐震性や老朽化か問題とされ再建の必要性が叫ばれており、総工費500億円(試算)をかけた木造による再建も検討されている。






〇 今日の一献 名駅西の『TSUBAKIフェスタ2016』に行ってきた

―― 「駅裏」のイメージを払拭する若者の街の新しいイベント

 10月29日(土)~30日(日)秋晴れの天候に恵まれて開催されたTSUBAKIフェスタは、名古屋駅西の椿神社のある中村区椿町界隈で行われ、今年で5回目とまだ若いイベントで、内容も若者向けのものが多く、若者たちや家族連れで賑わっていた。

 戦後から名古屋の駅西には大きな闇市があり、その後も雑多な紅灯の巷であったことから、名古屋人はこの地域を暗いイメージで長らく「駅裏」と呼び慣わしてきたが、新幹線が開通すると街の再開発が進み、近年新しくビジネスホテルや予備校、各種の専門学校などが相次いで立地するようになって、「名古屋駅太閤通口」と呼ぶ明るい若者の街へと大きな変化を遂げている。

00-DSC06135.jpg

 地区の道路の一部を歩行者天国にして盛り上がるTSUBAKIフェスタ

00-DSC06145.jpg

 多くのコスプレイヤーが集う
 コスプレ大会も開催され、ハローウィンの時期とも重なって、多くの参加者で賑わっていた。
 もともとアニメやコスプレ関連の店舗も多くあるこの地区は、彼らにとって親しみのある地区で、アニメーションの専門学校などが更衣室を提供していた。

00-DSC06166.jpg

 奇抜な衣装とメイクで着飾って非日常的な自己表現をしたコスプレイヤーは、それを多くの人に露出・訴求したいとの心理が強く働くのだろう、お願いすると、皆さん快く気軽にポーズをとって撮影に応じてくれた。
 
▲組写真 椿フエスタ-00-002

 思い思いのコスチュームで着飾ったコスプレイヤーの中には、名称やLINEのアドレスなどを記したプレートを立てて写真に納まる方々がいたが、後で調べてみると、SNSなどで情報交換や評価・人気ランク付けなども行われているようで、なるほどこの世界も奥が深いものがあると感心した次第だ。

00-P1370681.jpg

 女性メンバーが多い、和太鼓「ゆうぶ」の演奏

00-DSC06185.jpg

00-DSC06217.jpg

 駅西のアイドルグループ「dela」(デラ)のステージ公演
 「dela」(Delightful Enchanting Lovely Angels)は、2012年に誕生した愛知県・名古屋地域を中心に活躍する女性アイドルグループだ。

00-P1370709.jpg

 グループ名に違わず、楽しい魅惑的な美しい天使たちが舞台を所狭しと踊りながら歌い、熱狂的なファンたちが熱い声援を送っていた。

▲組写真 椿フエスタ-00-001

img_poster2016_.jpg

00-DSC06157.jpg

 近くにある県警中村警察署の協力を得た、パトカーや白バイの展示・試乗が行われていた。
 パトカーに乗せられることはあっても、白バイに乗る機会はないとあって、女性の試乗者が多かった。
 
00-DSC06197.jpg

 この地区の中心にある椿神明社も、ライブコンサートの会場になっていた。
 もともとこの地区には、今では埋められてしまった笈瀬川が南北に流れており、その川岸にこの社があって、境内にある大椿の林からこの名が付けられたそうだ。

00-DSC06199.jpg

 椿神明社ステージのライブコンサート
 愛の伝道師、魂のシンガーを自認する、京都長岡市出身のシンガーソングライター持田浩嗣がライブでハスキーの渋い声を聞かせた。

00-DSC06203.jpg

 椿の大木に囲まれた、神明社の拝殿と本殿

00-P1370738.jpg

 名古屋駅太閤通口のレジャービル街
 
00-P1370676.jpg
 
 椿町交差点と太閤1丁目交差点の間にある、東京IT会計・法律専門学校名古屋校のビルの2階には、ベランダから外を覗く3匹の大きな犬のオブジェがあって楽しい。(中村区椿町14-8)

00-P1370755.jpg

 太閤通口から見上げたJR名古屋駅






〇 今日の一献  第39回『大須大道町人祭』に行ってきた

―― 庶民の街大須にふさわしい 気楽に楽しむ大道芸

 毎年10月中旬に開催される官製の祭「名古屋まつり」の向こうを張って、1978年(昭和53年)に始まった市民の祭り『大須大道町人祭』が、39回目の今年(2016年)も10月の15日(土)、16日(日)の両日、名古屋市中区の大須商店街一帯で繰り広げられた。

 恒例の大道芸を中心に据えたこの祭りは、気取りの無い庶民の街大須にふさわしく、思い思いに気楽に楽しむ老若男女・家族づれの多くの人出で賑わった。

 今年行われた出し物・イベントは総計48にも上り、商店街の各所に設えられた15の会場で行われ、とてものこと全てに参加・鑑賞できるものではないテンコ盛りのまつりだった。

00-P1360966.jpg

 名古屋の代表的な商店街の一つである「大須商店街」は、江戸時代からつづく萬松寺と真福寺寶生院(大須観音)の門前町・繁華街として発展してきたもので、主な通りごとに①万松寺通商店街、②大須新天地通商店街、③名古屋大須東仁王門通商店街、④大須仁王門通商店街、⑤大須観音通商店街、⑥大須門前町商店街、⑦大須本通商店街、⑧赤門通商店街、⑨赤門明王商店街の9つの商店街で形成され、地区全体では1,100もの店舗が集積している。

00-第39回大須大道町人祭-00

 第39回『大須大道町人祭』の予告ポスター
39回目を迎えた今年は、文政9年(1826年)に大須東門前でラクダの祭礼行列が行われたことに因み、大道芸(見世物)の一つとしてラクダパレード(15日)が行われた。

 史実によると、190年前 のラクダは1瘤ラクダだったそうだが、今回の滋賀県から借りてきた2頭のラクダは2瘤ラクダだった。


〇 まつりの華「おいらん道中」
  http://autumn.nagoya-osu.com/chonin/?page_id=333


 明治、大正時代にかけてこの地区にあった「旭廊(旭遊廓)」に因み、まつりの華として花魁(おいらん)が禿(かむろ)や振袖新造などを引き連れて揚屋や引手茶屋まで練り歩く「おいらん道中」が毎年再現されており、一般公募で選ばれた女性たちが華やかな花魁などに扮し大須の街を練り歩く。

00-P1360837.jpg

 「おいらん宿」で一休みする一般公募で選ばれた花魁たち
 頭に載せる鬘(かつら)が3㎏、高さ30cmの高下駄が3㎏、衣装の裲襠(うちかけ)や俎板帯など、全てを身につけると総重量は40㎏に及ぶといわれ、その姿で日に3回の出演という過酷な道中は大変だ。

00-P1360855.jpg

 美しく着飾った花魁の頭に載せる鬘の重さは、3㎏もあるという

00-P1360850.jpg

00-P1360842.jpg

 休憩中の姉女郎の「花魁」に付き従う、妹分の禿や振袖新造たち


 〇 地元アイドルグループ「OS☆U」の公演
   http://ameblo.jp/osuofficial/


 愛知・名古屋を拠点として活動するOS☆U(オーエスユー、 Osu Super Idol Unit)は、2010年8月に大須商店街から誕生した。
 メンバーは名古屋を始めとする東海地方の出身者で構成された、元気なローカル女性アイドルグループだ。

00-P1360879.jpg

 巨大な招きネコのあるふれあい広場での、大須のアイドル「OS☆U」の公演
 
00-P1360870.jpg

 大須を活動拠点とする人気アイドルグループとあって地元の若者のファンも多く、会場をびっしりと取り巻く聴衆でなかなか近づけないほどだ。

00-DSC05657.jpg


 〇 アングラな舞踏集団「大駱駝艦」の金粉ショー
  http://www.dairakudakan.com/


 1972年に創設された、麿赤兒が主宰する舞踏集団(カンパニー)の「大駱駝艦」は、この世に生まれたことこそ大いなる才能と主張し、身振り、手振りを中心に再構築するパフォーマンスで数多くの作品を生み出し国内外で活動しており、金粉ショーはこのまつりの恒例の呼び物の一つになっている。

 現在、東京・吉祥寺にあるスタジオ「壺中天」(こちゅうてん)を拠点として、様々な場で精力的な公演を続けている。

00-P1360894.jpg

 世界でも珍しい、舞踏集団「大駱駝艦」の金粉ショー
 昨年から。コスチュームの露出度がやや穏やかになったようだが、肉体をもって全身で表現するこのカンパニーの公演は、今回初めて観たわたしには、多分にアングラ的で新鮮だったが難解なものだった。

00-DSC05768.jpg

00-DSC05679.jpg

01-DSC05716.jpg

00-P1360952.jpg

00-組写真金粉ショー

00-DSC05844.jpg

 公演の後に、観客を廻って投げ銭を受け取る出演者の艦員
 『大須大道町人祭』では、全てのパフォーマンスに「投げ銭箱」が用意されており、観客は思い思いの額の投げ銭を行うのが恒例となっている。


〇 大道芸に回帰した「江戸糸あやつり人形」
  http://www.geocities.jp/edoitoayaturi_temp/edoito-01.html


 江戸糸あやつり人形は江戸時代に生まれ、江戸から東京へと伝えられてきた和芸で、伝統的な江戸糸操り人形の劇団としては、1635年(寛永12年)に旗揚げしたといわれる東京都小金井市にある「結城座」が、国の記録選択無形民俗文化財などに指定されていて有名だ。

 主宰する1979年(昭和54年)にこの道に入ったという上條充氏は、1992年に「江戸糸あやつり人形」を設立して独立し、1995年から国内外で大道芸の活動を続けている。
 2004年の第27回大須大道町人祭に初参加し、今回が12回目の参加となる。

00-P1360973.jpg

 あやつり人形「かっぽれ」の巧妙な技の公演

00-P1360983.jpg
 
 有料駐車場を会場とした舞台での公演

00-P1360984.jpg

 あやつり人形「酔いどれ」
 酔いどれて踊る男の面が途中で落ちて、おかめ(女)の顔になって女踊りをする。

00-DSC05872.jpg

 あやつり人形「獅子舞」
 縁起もの・ご祝儀ものとして舞われる獅子舞を、「手板」を口に咥え拍子木を鳴らしながら十本を超える糸で操る演目。
 
00-P1360998.jpg

 最後には、獅子の中から獅子舞の2つの人形が姿を現すという、驚きの仕掛けで観客を沸かせた。


〇 巨大なロボット「SHINJI as BIONIC SATAN」のパフォーマンス

 バイオニック・サタンの出自は良く分からないが、身長3.5mの巨大悪魔型ロボットのコスチュームで、商店街を歩き回るパフォーマンスだ。
 2012年の第35回大須大道町人祭に初参加し、今年が5回目の参加。

00-DSC05874.jpg

 巨大キグルミの悪魔型ロボットだが、子供たちには愛嬌を振りまいていた。
 
00-P1370008.jpg

00-P1360968.jpg

00-P1370010.jpg

 軽妙な曲が聞こえてきたと思ったら、1984年旗揚げの「ちんどん通信社(東西屋)」とすれ違った。
 第7回の大須大道町人祭への初参加から、今年で30回の連続参加という。

00-DSC05848.jpg

 「まごやまつり」のハイライト、郷土英傑行列の最終日を終え、山車から降りて大須の花道を練り歩く徳川家康に出会った。

00-P1370016.jpg

 朱塗りの大須観音の南正面にある、仁王門

00-P1370020.jpg

 壁面に仁王のペインテイングが施された仁王門通のマンション
















〇 今日の一献 スペイン風といわれる塔のある 静岡市役所の旧本庁舎

―― 「あおい塔」と呼ばれる静岡のシンボル

 静岡の3城めぐりで駿府城へ行ったついでに、静岡市役所の旧本庁舎に寄って来た。

 静岡市は、2005年(平成17年)4月に、清水市と合併して、政令指定都市に移行した人口71万人の都市で、静岡県の県庁がある県都でもある。 

 その旧本庁舎は、東京帝国大学建築学科卒業で、中国大陸や県下の建築設計に活躍し円熟期にあった地元浜松生まれの中村與資平(1880~1963年)の設計により、当初の経費予算50万円で1934年(昭和9年)に竣工した、当時としては非常に珍しいスペイン風といわれる塔屋を備えた建物だ。

00-P1350527.jpg

 静岡県庁東別館の20階の展望階から見下ろした、静岡市役所旧本庁舎
 
00-P1350559.jpg

 この建物は、駿府城の外堀旧大手門前の面積24,304㎡の土地に、鉄筋コンクリート造4階・地下1階(高さ40m)、延べ床面積47,563㎡で建てられ、ビルの上の塔屋には望楼が置かれ、塔頂にはドーム型の屋根が載っている。
  
 2005年の指定都市への移行に伴い、ほとんどの市役所機能と葵区役所が左に見える新庁舎に移転・新設し、現在は市議会議事堂と一部の市役所機能だけが置かれ、1階部分は市民ギャラリーとしても利用されている。

001-P1350527_20161001000801921.jpg

 この建物を特徴付けているのは、なんといってもこの塔だ。
 4階建て建物の中央南端に、台座として2層の塔屋が立ち上がり、その上にテラコッタで装飾されたロマネスク風の柱とアーチ型の窓を備えた望楼の第3層があり、塔頂には緑と青のタイルで星形やジグザグ模様に装飾されたスペイン風といわれるドーム型の屋根が載せられている。

 第3層の望楼の床には、ライトアップのための投光器が設置されているのが見えるが、ほかにこの床には、国の国土地理院が置いた基準点の四等三角点が設置されているというが、建物施設内のそれも塔屋に設置されているのは極めて珍しいことだ。

 現在は節電で行われていないライトアップがされていたころには、夜になるとこのモザイクタイル張りのドーム屋根が青く浮かび上がり、家康の紋所の「葵」も連想させることから、「あおい塔」とも呼ばれるようになったという。

00-P1350566.jpg

 現在、市役所では設計者の意図を汲んで、このドームの意匠を「スペイン風ドーム」と呼んでいるようだが、わたしにはそうには見えず、むしろこの幾何学模様のモザイクタイル張りのドームのデザインは、どうしてもイスラム風のモスク屋根に見えるのだ。

00-P1350587.jpg

 また、外観の全体には明るい象牙色のタイルが使われ、テラコッタで装飾された丸窓やアーチ窓が設けられており、とかく重厚となる西洋風の建物に明るさと軽快な印象を与えている。

00-DSC05426.jpg

 正面玄関と車寄せ

00-P1350584.jpg

 玄関扉

00-P1350567.jpg

 玄関ホール
 玄関の壁や階段には、明るい色彩で多孔質の天然大理石の一種、トラバーチンが多用されている。

 天井は玄関車寄せから奥に向かって緩いカーブを描いている。

00-P1350583.jpg

 漆喰で亀甲の装飾模様が施された天井部分。

00-P1350581.jpg

 玄関車寄せホール
 
00-P1350573.jpg

 玄関ホール内部
 床には、磨き上げた赤や灰色の大理石で色分けられた、花模様が描かれている。

00-P1350568.jpg

00-P1350579.jpg

 正面階段の先には、明り取りを兼ねた華やかな踊り場のステンドグラスが設置されている。
 
00-P1350570.jpg

 正面階段の踊り場のステンドグラス
 現在このステンドグラスの中央には、庁舎の裏庭への出入口ドアが設けられている。

00-P1350580.jpg

 本館の案内板

00-P1350575.jpg

 2階の市議会議場への入口。

00-P1350576.jpg

 ホール天井には、「たちあおい」だろうか、花を模したシャンデリアが付けられている。
 廊下の向こうは、市民ギャラリーとなっている。

静岡市役所本庁舎 古葉書

 竣工間もない静岡市役所の絵葉書
 駿府城の三の丸石垣の上から撮影されたものとみられ、右に警察署の建物がある。市役所前、外堀に沿って路面電車の線路も見える。

 ところで、県庁所在地の市役所で、戦前に建築された市庁舎が現存するのは、この静岡市と名古屋、京都、鹿児島の4市だけといわれる。

00-静岡市役所本庁舎09 古葉書

 竣工時の市議会議場、市長室、議長室

静岡市役所本庁舎07 古葉書

 竣工時の市庁舎の一階平面図
 南面する駿府城に対しているため、北が正面玄関で、L字形の建物になっている。

静岡市役所本庁舎08 古葉書

 竣工時の市庁舎の四階・塔屋平面図

00-P1350588.jpg

 建物は、平成元年に改修がおこなわれ、平成9年には国の有形文化財に登録された。
 左は地上17階建て(82.35m)で1987年(昭和62年)7月に竣工した市役所新庁舎で、葵区役所も入所している。

 この建物が竣工した年には満州帝国が建設されるなど、日本が中国大陸への侵攻をさらに強めつつあったときだったが、当時はまだ大正ロマンの残照も残るよき時代とはいえ、このようなエキゾチックで軽快な風変わりともいえる建物が建てられたのは、持ち前の性格の明るさと積極性に富む駿河人気質が、この場合も強く働いたからだったろうかと思うと興味深い。


 なお、旧本庁舎を見学したい向きは、一階に事務所のある管財課に電話予約すれば塔屋を含めて見学の案内をしてもらえるそうで、時間があれば静岡観光の穴場として是非訪れてみたいところだ。


○ 駿府城三の丸に建つ 帝冠様式の静岡県本庁舎

 静岡市役所の明るく軽快な建物に比べ、駿府城の南の三の丸にあり、荘厳で重厚な雰囲気を持つのが静岡県庁の本館だ。

 この庁舎は、懸賞設計に当選した兵庫県出身の泰井武の設計図案に基づき、県営繕課の大村巳代治らの実施設計により1937年(昭和12年)に竣工した。
 建物の規模は、鉄筋コンクリート造4階、一部5階建の瓦葺で、建築面積3,994㎡、延床面積15,477㎡となっている。

00-P1350557.jpg

 建物を上から見ると、「日」の字型の配置となっており、シンメトリーなファサードで、中央玄関の車寄せや本体のパラペット部には瓦が付き、中央に立ち上がった5階部分の赤い瓦屋根を、五重塔をイメージした方形造の和風屋根にするなど、当時流行した帝冠式といわれる典型的な官庁建築物で、国の登録文化財となっている。

静岡県庁懸賞当選案の図

 泰井武が応募した、県庁の新築懸賞設計当選図案の立面図
 (静岡県庁舎改築工事写真帖から 静岡県立中央図書館蔵)
 当選案の立面図を見ると、中央6階部分の塔屋の瓦屋根の意匠などは、現在の建物よりも五重塔が強くイメージされており、また中央玄関の車寄せの上部に面をそろえて突き出していた原案は、実施設計の段階で後退し、階数も5階に抑えられたのだろうと思われる。

静岡県庁懸賞当選案の図1-2階

 県庁の新築懸賞設計当選図案の1・2階平面図
 (静岡県庁舎改築工事写真帖から 静岡県立中央図書館蔵)
 上から見た建物の配置は、明かり採りの中庭を持つ「日」の字型となっている。

00-P1350539.jpg

 基本設計の意匠原案から、突き出し部分の玄関車寄せ上部の変更に伴う塔屋の位置の後退と、あわせて階数を5階に抑えたことにより方形造の赤瓦屋根の塔屋の主張も弱まり、建物全体の印象は極めて穏やかで地味なものとなってしまっている。

 なお、県庁舎本館の周りには、新しく東館、西館、別館が建てられており、1996年(平成8年)に竣工した最も高い別館は、地上21階建てで110.1mの高さがあり、20階にある展望階からは晴れていれば富士山も望める。



○ 静岡市のマンホールの蓋

00-P1350591.jpg

 家康の没後400年の昨年(2015年)、『大御所家康公顕彰400年』を記念して静岡市が設置した、消火栓のマンホールの蓋。

00-P1350405.jpg

 家康の家紋にちなみ、静岡市の花「タチアオイ」の白花をデザインしたカラー版の汚水管マンホールの蓋

最新記事
カテゴリ
プロフィール

2011deko

Author:2011deko
でこちんの
  『いつか ありしこと。』
   のブログへようこそ!
(掲載写真は、クリックする
と、拡大写真になります。)

性 別:男性
住 居:愛知県
趣 味:ブログのカテゴリー

天気予報

-天気予報コム- -FC2-
月別アーカイブ
来場者数
検索フォーム
リンク