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〇 今日の一献 名古屋城の重文・三隅櫓の同時公開に行ってきた その1

―― 戦災を免れた重要文化財 名古屋城の東南隅櫓と西南隅櫓

 この時期(2018年8月)、名古屋城では毎年恒例の『名古屋城夏まつり2018』が開催されているが、今年は特別イベントとして、城内に現存する重要文化財の三隅櫓の同時公開が行われている。

00-201800813 名古屋城夏祭り

 もともと江戸時代から天下の名城、名古屋城内には、大小合わせて11基もの隅櫓があったが、明治以後の破却や地震、空襲などによる被害で消滅し、現在は東南隅櫓・西南隅櫓・西北隅櫓の3つの隅櫓が残る。

 しかし、これらは重要文化財であることもあって、時折のイベント時以外、普段は櫓内の公開がされていないが、今回は特別に三隅櫓の同時公開が行われており、数少ないまたとない機会として、このところ続く酷暑にもめげず出かけてきた。

000-名古屋城天守と本丸御殿

 昭和期の空襲被災前の名古屋城の航空写真
 ①東南隅櫓、②西南隅櫓、③西北隅櫓


 三つの隅櫓のうち東南隅櫓と西南隅櫓の外観は二重櫓だが、内部は3階建てで、西北隅櫓は三重櫓の3階建て。それぞれ高さは13~16mある、意匠を凝らした立派な建物だ。

 かつては若い頃、他国の人から「名古屋城の天守閣はコンクリート製だ。」と揶揄されると、負けず嫌いのわたしは、「でも、他の国宝天守閣の規模にも引けを取らない国宝級の隅櫓が、名古屋城には三つもあるんですよ。」と言い返したものだった。


● 東南隅櫓(辰巳櫓)

 東南隅櫓は本丸の南東隅に位置し、1612年(慶長17年)ごろ天守完成時に建てられたとされ、辰巳櫓と呼ばれていた。
 高さ13.5m、東西11.6m、南北13.6mの規模の木造建築物。
 外観二重、内部3階建で、屋根は入母屋造り、本瓦葺。鬼瓦などに徳川家の家紋「葵紋」が入っている。2階の東面と南面屋根には千鳥破風があり、出窓型石落が設けられている。
 東面の3階屋根に設けられた高級装飾の軒唐破風が、2階の千鳥破風とともに美しい。

00-panorama 東南隅櫓-01

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 東面3階の屋根にある軒唐破風と2階の千鳥破風、そして東、南に設けられた出窓型の石落の意匠がこの櫓全体を美しく見せている。

00-panorama 東南隅櫓-00

 かつては、櫓の建物と接続して土塀が設けられていた西面と北面は、装飾に乏しい。

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 実測「名古屋城東南櫓南側姿図」
 出典:名古屋城管理事務所

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 実測「名古屋城東南櫓縦断面図」
 出典:名古屋城管理事務所

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 櫓の1階内部
 当時は畳が敷かれていたようで、櫓に収蔵された甲冑を管理する御具足奉行の執務室ともなっていた。

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 3階の天井裏は設けられておらず、天井は高い。
 最終戦等場所として最上階は、槍などを振り回しやすいように、また普段の槍・弓などの武器の収蔵庫として、天井の高さを確保する必要があったからに違いない。

00- 名古屋城 大手門・東南隅櫓

 東南隅櫓から西方を撮影した、戦災前の名古屋城の古絵葉書

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 土塀が接続していたからか、本丸側二面の櫓の装飾は乏しい。城主の居住区画を覗き見るのを憚ってか、本丸内側方面には出入口のほかには、最小限の窓しか設けられていない。

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 さらに詳しくは、以下の拙稿を参照されたい。

〇 名古屋城の本丸「東南隅櫓の特別公開」に行ってきた
―― 幾多の災難を逃れ、400年前の築城当時の姿を残す隅櫓
  http://2011deko.blog.fc2.com/blog-entry-455.html



● 西南隅櫓(未申櫓)

 西南隅櫓は本丸南西隅に位置し、1612年(慶長17年)ごろ、天守完成時に東南隅櫓と共に建てられたとされ、当時は未申櫓と呼ばれていた。
 高さ13.1m、東西12.0m、南北13.5mの木造建築物。
 外観二重、内部3階建で、屋根は入母屋造り、本瓦葺。もともと鬼瓦などには徳川家の家紋「葵紋」が入っていたとみられるが、明治24年の濃尾大地震で崩壊し、明治以降に離宮として管理していた宮内庁が大正12年に修理したため皇室の「菊のご紋」が見られる。
 2階の西面と南面の屋根には千鳥破風があり、出窓型石落が設けられている。
 南面の2階石落屋根には小規模な軒唐破風が設けられ、2階の千鳥破風とともに装飾となっている。

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明治期の西南隅櫓56

 多聞櫓をめぐらせた明治期の天守閣と西南隅櫓の姿

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 天守閣と西南隅櫓を写した戦災前の名古屋城の古絵葉書

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 本丸空堀の石垣上に建つ西南隅櫓。2階の西面と南面の屋根には千鳥破風があり、出窓型石落が設けられている。
 南面の2階石落とし屋根には小規模な軒唐破風が設けられ、2階の千鳥破風とともに華麗な装飾となっている。

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 この櫓も建物と接続して塀が設けられていた東面と北面は、装飾に乏しい。

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 屋根上の青銅製の鯱

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 2階西面の千鳥破風
 濃尾地震で崩壊した西南櫓は、当時管理していた宮内省によって修復されたため、鬼瓦などには菊花紋が刻まれている。
 
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 塀が接続していた本丸側二面の櫓の装飾は乏しい。城主の居住区画を覗き見るのを憚ってか、東南隅櫓と同じように本丸内側方面には出入口のほかには、3階の小さな窓しか設けられていない。

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 実測「名古屋城東南櫓西側姿図」
 出典:名古屋城管理事務所

000-名古屋城西南櫓縦断面図 B1520700_edited-1

 実測「名古屋城東南櫓縦断面図」
 出典:名古屋城管理事務所

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 1階内部
 この櫓は畳敷きで、歴代城主の甲冑が納められていたという。

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 手摺が付けられ、踊り場が設けられた、2階へ上がる階段

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 2階の天井は思いのほか高い。
 建築には素人のわたしだが、東南隅櫓に比べると、なぜかこの櫓内の雰囲気は異なり、補強のためか水平材と斜材の接合などに、やたらボルトや平型I字金具などが使われているのが目立って見える。
 これは濃尾大地震で空堀に崩落したこの櫓が大正時代になって復旧・再建された時に、新しい部材や技術で補われたからだろうと思うのだが、、、どうだろう。

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 武者窓の下では、『名古屋城夏まつり2018』が行われていた。

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 3階へ上る階段も踊り場を備える。

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 3階から階段下を見る。

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 これは創建時からの内部の意匠だろうか、この櫓には歴代城主の甲冑が納められていたからか、最上階の3階は他の櫓とは異なり、梁はむき出しとなっておらず天井板が貼られている。
 また、この階には廻り子と長押が設けられており、デザインは違うものの復元された本丸御殿に使われたと同じ金箔の飾釘隠しも施され、特別な空間となっている。

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 金箔が使われた飾釘隠し

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 3階の窓から眺めた千鳥破風の屋根の棟瓦にも、菊花紋が見える。

00-panorama 西南隅櫓-01

 左遠方には名古屋駅方面の高層ビル群が見える。
 城内の右眼下では、展示収蔵施設の建設が進められている。

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 物見や防戦・攻撃などの機能を果たすべく、城の隅櫓の開口部(窓)は堀の外へ向かう面に設けられ、郭内に向かう面には少ない。しかし、見せることを意識した屋根や軒などの装飾は、専ら堀の外へ向かう面に設けられている。

 この3階の小さな北窓は、郭内の天守が眺められ、まるで景色を切り取る「ピクチャー・ウインドウ」のようだ。

00-panorama 西南隅櫓-00

 3階の北窓から眺めた本丸方面のパノラマ画像。


 〇 今日の一献 名古屋城の重文・三隅櫓の同時公開に行ってきた その2
 ―― 戦災を免れた重要文化財 名古屋城の西北隅櫓  に続く、、、。








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