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〇 今日の一献 掛川城竹の丸の旧松本家邸宅

―― 葛布で富を築いた豪商の邸宅(古民家)と大日本報徳社の本社

 地方に旅をすると、目指した著名な施設などの外に、古くてもきらりと光る興味深いものたちに出会うと、思いの外の幸せに浸ることが出来る。

 特に大都会では、これまでに何度も押し寄せた時代の波や高度経済成長の都市化によって多くのものが失われてきたが、それらの変化の影響が比較的少なかった地方には、まだまだわたし達が知らないだけの興味深い価値のあるものが多く残っているような気がしている。

 今回の静岡3城めぐりの掛川城への旅で出会った、旧松本家邸宅もその一つではないかと思う。

 掛川の城下町には、幕末から明治にかけて商いで成功した者たちのうちでも、「御三家」とされる松ヶ岡(山崎家)、竹の丸(松本家)、喜半(鳥井家)の三つの豪商があり、幕末ごろから始まり今も毎年10月に開催されるご城下の町民の祭り、掛川祭りのスポンサーなど、地元の有力者として地域の振興にも努めてきた。

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 この旧松本家邸宅は、その御三家のうちの葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が、掛川城の北にある竹の丸の一角に土地を得て、1903年(明治36年)に本宅として建築した建物で、これ以降地元では、松本家は「竹の丸」の通称で呼ばれることになる。
 
00掛川松本家 正保城絵図-002_edited-1

 掛川城本丸の北西の、この絵図で侍町と記された曲輪は、北門から城内に続く「竹の丸」と呼ばれていた。(赤丸で囲んだ場所が旧松本家邸宅のある所)
 
 国の重要文化財に指定されている、『遠州掛川城絵図』の部分
 (正保城絵図―1644年(正保元年)国立公文書館蔵)

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 左に入母屋破風の屋根で式台の付いた格式の高い玄関があり、右に寄棟造りの大屋根の母屋が広がる。

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 母屋の大屋根の鬼瓦

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 左の2階建てが離れ、右は母屋

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 2階建て離れの側面外観と蔵
 もともと平屋建てだった離れは、大正末期から昭和初期にかけて2階建てに増築が行われたという。

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 母屋と離れの平面間取り図(現在)
 母屋は、桁行10間、梁間7間半の平屋建寄棟造となっている。
 離れの1階には主人が使っていた座敷や家人の間、北の間があり、2階は、洋間の「貴賓室」と控えの間、水屋のついた座敷で構成されている。
 また、建具や欄間、取手など、資材の吟味やデザインにも建築主のこだわりが行き届き、職人の技が遺憾なく発揮されているのを見ることができる。

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 大きな沓脱石のある1階座敷からの出入り口
 2階貴賓室には鉄製の付けバルコニーがある。

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 離れ座敷には、床の間を背に上段の間が設けられている。

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 離れ座敷正面から見える庭園の様子。

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 階段を上がった踊り場と廊下
 離れ2階は、洋間の「貴賓室」と控えの間、水屋のついた座敷で構成されている。

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 離れ2階の座敷は、上段の間を備えている。

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 離れ2階の座敷の窓からの眺め。

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 離れ2階の洋間の「貴賓室」
 広さは15帖程度で、床は市松模様の寄木張りになっている。

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 貴賓室の南側の欄間には、ハイカラな花鳥のステンドグラスが嵌め込まれている。

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 貴賓室の壁全てには、壁紙として松本家が商なっていた葛布が使われている。
 南には鉄製バルコニーがあり、ここからも掛川城天守を望むことができる。

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 貴賓室の北側の付け書院は、細かい細工の障子戸を通して控えの間と繋がり、その上の欄間には中央に鳳凰、両側に桐を配した透かし彫りがある。

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 貴賓室の北の控の間

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 中庭からの建物の眺め
 左が離れ、右側の母屋は茶の間、仏間、応接室の外観が続く。
 
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 母屋の茶の間の外観

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 母屋の茶の間(天井が高い。)
 離れの廊下は板張りだが、母屋は全て畳廊下となっている。

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 防水パテ処理がされている木製の窓枠には、昭和初期の手吹き歪みガラスが残っている。

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 母屋の茶の間から見た中庭
 茶の間では、広いお庭を眺めながらお茶やコーヒーが飲める喫茶ルーム「竹の丸カフェ 」となっている。
 見学料とセットメニューになっているから、お得感がある。

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 広間と台所、その奥が内玄関


 〇 葛布について

 葛布は、山野に自生する植物の葛(クズ)の茎から採った繊維を糸として織り上げた布で、軽くて光沢があり、独特の風合いがあることから珍重され、江戸時代には武士の使う裃(かみしも)や合羽地などに使用されるなど、遠州地方の特産品としてもてはやされ生産も盛んだったという。

 しかし、明治維新による武士階級の消滅に伴い葛布の消費量が激減し、産地として壊滅的打撃を受けたものの、明治初期以降、国の内外に向けて新たに襖紙や壁紙などの建築資材などへの用途転進を図ることで、ようやく消滅の危機を免れてきた。

 江戸時代から葛布問屋を営んできた松本家がこの邸宅を建ててからしばらくした頃、葛布の新たな用途開拓などのために様々な人たちとの交際・交渉・商談も行われたはずで、そのために必要なステージとして、離れ2階の増改築もなされたのではなかったかと勝手な想像を逞しく広げるのも楽しい。

 現在、「葛布」は、科布(しなふ)、芭蕉布(ばしょうふ)などと並んで、『日本三大古布』の一つとされ、今も掛川では葛布を扱う会社は数軒が残る。

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 デモ用に母屋に置かれた、葛布の手織り機
 
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 葛布の原料となる葛の糸

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 旧松本家邸宅の敷地配置図
 なお、この旧松本家邸宅は、1936年(昭和11年)に松本家から掛川町に寄贈され、以来町の公共施設として利用されてきた。
 平成19年になって、掛川市の文化財指定を受けたことを契機に修復工事がおこなわれ、平成21年から一般公開されている。


〇 二宮尊徳と大日本報徳社の本社

 JR掛川駅の駅前には、少年が薪を背負って歩きながら本を読む姿の、今ではめずらしい二宮金次郎の像が建てられている。
 なぜかは、この後に掛川城竹の丸の旧松本家邸宅を訪れた後に、ようやく判ったことだった。

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 小学校の校庭などではお馴染みの、駅前の二宮金次郎の像

 掛川城の竹の丸地区には、公益社団法人大日本報徳社の本社が置かれている。
 大日本報徳社とは、江戸時代に農村復興運動を指揮した二宮尊徳が、自身の実践の中から得た道徳と経済の融和を目指す、経済学説・思想を体系化した「報徳思想」を、その弟子で掛川藩の大庄屋だった岡田佐平治が普及・啓発しようと1875年(明治8年)に設立した「遠江国報徳社」を起源としている。

 皇室との関係も深く、現在では大日本報徳社を最上部組織とし、その下部組織として全国の各地域、職域に社団法人として「報徳社」が設置されているという。

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 掛川城の竹の丸地区に建つ、大日本報徳社大講堂
 1907年(明治40年)に竣工した公会堂は、現在は大講堂として使用されている。

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 大講堂の大屋根
 2009年(平成21年)に国の重要文化財に指定された。

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 仰徳学寮
 この建物は、もともと皇室の親王の邸宅として明治17年に建てられたもので、昭和13年にこの地に移築され、現在静岡県の有形文化財に指定されている。

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