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〇 今日の一献 静岡3城めぐりの旅 その3 駿府城

―― 家康譲りの慎重さで整備を進める 駿府城

 室町時代の14世紀から、駿河守護の今川氏の館が置かれたこの地には、今川氏の滅亡後1585年(天正13年)に浜松から移った家康によって駿府城が天守閣を持つ近世平城として築城されるが、家康の関東移封に伴いその抑えとして1590年(天正18年)に秀吉配下の大名、中村一氏が入城した。

 江戸に幕府を開いた家康は、秀忠に将軍職を譲って大御所となって隠居した後、畿内など10ヵ国の大名の天下普請によって駿河城の本丸、二の丸などの大改修を開始し、5ヵ月後の1607年(慶長12年)の完成とともに隠居所とした。

 しかし、2ヵ月後の12月に女中の不始末により出火し、御殿や天守など本丸の総ての建物を焼失するが、早くも翌年に本丸御殿が再建され、翌々年には本丸西隅の5重7階の天守なども再建された。

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 今も一部が残る南面の外堀と大手門に通じる通路
 外堀は北と西はほぼ残っているものの、東はほとんど埋められ、南は一部埋め立てられている。

 1616年(元和2年)家康が75歳で死去すると、藩主頼宣―忠長の後は駿府は天領となり、以後この城には城代・定番が置かれるようになる。
 1635年(寛永12年)には城下から出火した火災で、天守・御殿・櫓・塀などの大半を焼失し再建されるが、天守閣だけは再建されないままとなった。

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 中堀の堀・石垣は全てがよく残る。(南面)
 
駿府城 連隊駐屯時-002

 その後、1707年の宝永大地震や1854年に発生した安政地震などで、城内の建物や石垣に損害を受けるが、そのつど修復されて明治時代を迎える。
 
 明治に入って、払い下げを受けた市は、1896年(明治29年)陸軍34連隊を駐屯地として誘致したため、残存していた本丸堀(内堀)が埋められ、城郭施設もすべて取り壊されて現在の姿となった。

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 1870年(明治3年)以降の払い下げで、民有地となった外堀の四足門の傍らの石垣が、今もビルの一部に残る。

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 三の丸から大手門へ続く枡形石垣

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 現在の駿府城の基礎を築いた家康の姿人形が、復元した東御門施設内に展示されている。

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 『駿府御城繪圖』
 (静岡県立中央図書館公開デジタル化画像から)
 この絵図は、1860年(安政7年)に駿府城在番の天野大助と藤原政好が描いたものとされる。

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 駿府城の縄張りの概要図
 3重の堀をめぐらし、東西・南北約700m、面積は堀を含めて約15万6,000坪(51万4,800㎡)の堂々たる規模となっている。

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 復元した東御門内に設置されている、駿府城の全容を示すジオラマ
 二度目の焼失後に天守閣は再建されず、また天守関係施設の全容が不明のため、このジオラマの天守台には天守閣がない。

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 櫓の屋根上に載っていたとされる青銅製のシャチ

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 復元された東御門内の櫓門上のシャチ

静岡市の駿府城整備計画

 静岡市の『駿府公園基本計画』完成平面図
 静岡市では平成3年に、「歴史遺産の保存・再整備」、「都心の公園機能の強化」、「防災機能の確保」の3つを基本方針とする『駿府公園基本計画』を策定し整備を進めている。

 これまでに、巽櫓、東御門、葉山庭園。坤櫓や石垣、富士見芝生広場の整備を完了させるなど、全体の約40%が整備され、現在は、第4工区の整備が進められている。

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 復元された東御門と巽(たつみ)櫓
 古来の伝統工法で巽櫓は1989年(平成元年)に、また東御門は1996年(平成8年)にそれぞれ復元され、これまでに駿府城公園内から発掘された資料などを展示している。

 巽櫓は、二の丸の東南角に設けられた矩折三層二重入母屋造の隅櫓で、安政大地震によって全壊していた。
 東御門は、二の丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される桝形門で、一重(一部二重)入母屋造の構造となっている。

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 東御門内の枡形石垣と櫓門 

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 東御門内の櫓門の内側

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 復元された巽櫓と中堀

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 巽櫓の傍らにある、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』の主人公、弥次・喜多のブロンズ像

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 鳥瞰で見る、駿府城内の中堀と復元された東御門・巽櫓

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 復元された二の丸坤(ひつじさる)櫓
 復元に当たっては、現存する古文書や名古屋城の西南隅櫓などを参考に、伝統工法により2層3階建て、縦、横、高さ14m、延床面積391.08㎡の規模で平成26年4 月に復元され、資料館として公開されている。

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 東御門内の櫓門を過ぎると、二の丸と本丸が広がる。

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 本丸跡に建つ、徳川家康の鷹狩りの像

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 天守閣と付帯施設の復元模型
 駿府城の天守閣は5層7階の立派な建物だったが、家康の入城後に焼失し、すぐに再建されたが、寛永12年には再び焼失し、以後再建されなかった。

 静岡市では、「にぎわいをつくり、地域活性化につなげる」として、天守閣の復元を検討しているが、確定する復元資料が見つからず、また天守台や天守閣の建設費は鉄筋コンクリート造で100億円、木造なら240億~250億円かかると推計されており、まずは基本計画に従って天守台跡の発掘調査を先行させる模様だ。

00-○ Blog 原稿 静岡3城めぐり -2

 駿府城の鳥瞰パノラマ観望には、静岡県庁東別館の20階の展望階がお勧めだ。

 右下に東御門と巽櫓、左隅に二の丸坤櫓がある。
 また中央上方に、発掘調査中の本丸天守台が見える。
 本丸内堀は東南隅の一部を除き埋められており、中掘りは全て残っている。

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 展望階から南東の静岡駅方面を望む。
 足元には外堀が見える。


○ 4年計画で進む天守台の発掘調査

 静岡市では天守台の整備方針の決定に向けて、1万5,000㎡の天守台跡の発掘調査を、2億円かけて平成28年度から4年計画で進めている。

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 発掘調査の目的や調査範囲を示す案内板

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 平成28年現在の時点では、本丸掘跡西側を掘り下げ、天守台の西側ラインの石垣が発掘されている。

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 発掘された天守台の石垣

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 駿府城の天下普請の証として、石垣に刻印入りの石も出ている。

00-「駿府城御本丸天守台之図」


 江戸幕府を開き磐石の徳川政権を築いた家康が、大御所として晩年の居城とした駿府城の復元に当たっては、どうやら家康譲りの慎重さで整備が進められていくように見える。







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