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〇 今日の一献 静岡3城めぐりの旅のプラス・ワン 曳馬城(浜松古城)

―― 若き日の家康が大敗して逃げ帰った城

 そもそも、徳川家康が1570年(元亀元年)に浜松に移り住んだ場所は、現在の浜松城の二の丸の東にあるこの曳馬城(引馬城・引間城)だった。

 曳馬あるいは引馬城は、15世紀ごろに築城され、16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていたが、家康がここを居城とすると、引馬の名称が「馬を引くとは、戦に負けるに繋がり縁起が悪い。」として、かつてこの地にあった荘園名―浜松荘からとって、城名と地名を「浜松」と変えて整備した経緯がある。

 したがって、武田信玄と戦った三方ケ原の戦いには、家康はこの城から出陣し、敗れた後にここへ逃げ帰っている。

00-浜松御城下絵図 浜松市中央図書館所蔵

 「浜松御城下絵図」 城絵図の部分(浜松市中央図書館蔵)
  江戸時代の城絵図の上に青丸で囲んだ部分が、曳馬城(浜松古城)

 徳川家康が築造した当時の浜松城は、土塁・土造りの城であり、石垣や瓦葺の建物を備えていなかったとされ、家康の関東移封後の堀尾氏の在城期に石垣や天守が創建されるなど、「浜松御城下絵図」の天守方向へ順次整備が進むとともに、江戸時代にはこの城は米蔵(古城)となった。

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 曳馬城の面影を残す北西部分の土塁の一部
 道路部分が水掘であったと思われる。

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 明治維新後に浜松城が廃城になるとその米蔵施設も破壊されたが、1894年になってこの地に元城町東照宮が創建され現在に至っているが、今は50m四方の敷地に、目立たず、地元にもあまり知られていない社殿が建つ。

00-20160915 浜松城-10のコピー

 元城町東照宮の建つ位置は、当時の曳馬城の4つの区画のうちの北西の主要部で、道路面から3mほどの小高い丘の上の、さらに一段高い場所に当たる。
 
 南に隣接して、市の社会福祉センターの建設工事が行われていた。

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 境内には、家康を祀る東照宮に関連してか、角の欠けた古い権現道の碑が立つ。

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 社殿の左右の壁には飾りとして、職人の技が冴えた獅子を描いた美しい「こて絵(鏝絵)」が施されている。


○ 「若き家康公と秀吉公のブロンズ像」

 遠江曳馬城(浜松古城)跡の「浜松元城町東照宮」が鎮座する場所は、若き時代の家康の居城であったことや、織田信長に仕える前の16歳前後の藤吉郎(秀吉)が針の行商で浜松に来て、松下嘉兵衛という豪族と出会い、曳馬城で行われた当時の城主・飯尾家の宴会で、栗を食べる猿の仕草の余興を気に入られ、松下家に3年間奉公した(「太閤素生記」)という故事がある場所だ。

 このため、地元では最近になって、この地は、若き日に無名だった二人が、後に大出世を果たして天下人となった、史上最強の出世の聖地『浜松パワースポット』として世に売り出そうとしている。

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 浜松元城町東照宮の境内に設置された、左が若き時代の家康像と右は16歳前後のときの秀吉像

 浜松市では、家康公顕彰四百年記念事業の一環として、昨年(2015年)12月、当時の静岡文化芸術大の磯田道史教授(日本史)の制作アドバイスを元に、「若き家康公と秀吉公のブロンズ像」を設置するなど観光資源の開発にも努めている。

 わたしにとっては今更だが、大出世を果たして天下人となった二人にあやかるため、2つの像の間に立って写真を撮れるように工夫してあるのは、苦微笑のご愛嬌に思われた。


○ 戦で大敗した家康の痛恨を描いた肖像画 「しかみ像」

 曳馬城(浜松古城)から出撃した家康が、西行する信玄の大軍と静岡県浜松市の三方ヶ原で1573年(元亀3年)に戦った戦が、世に名高い三方ヶ原の戦いだ。
 このとき、武田軍の死傷者200人に対して、家康の徳川軍は死傷者2,000人と多くの有力な武将を失う大敗を喫し、僅かな供回りだけで再びこの城に逃げ帰るという家康の人生最大の危機だった。

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 逃げ帰った家康は、お抱えの絵師に戦いに敗れた自身の苦渋の姿を肖像画に描かせ、生涯自分に対する戒めとして座右から離さなかったと伝えられ有名なのが「徳川家康三方ヶ原戦没画像」で、通称「しかみ像(顰像)」と呼ばれ、代々尾張徳川家に伝わり、現在は名古屋市内にある徳川美術館に所蔵されてきた。

 浜松市中区にある市博物館では、このしかみ像を元に家康の没後400年を記念して、2015年2月にウレタン樹脂製の身長159cmで等身大の立体像を制作し、展示している。

 しかし、最近の研究によると、この定説を覆し、尾張家初代藩主の徳川義直(九男)が父親の苦難を忘れないようにと、江戸時代に描かせた家康の礼拝像とみられており興味深い。



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