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〇 今日の一献 ようやく国宝指定の望みがかなった 松江城

―― 山陽・山陰を巡る旅 その4

 松江城は1611年(慶長16年)に堀尾吉晴によって、南に流れる京橋川を外堀とし、宍道湖の北側湖畔の亀田山の山頂に築かれた輪郭連郭複合式の近世平山城で、日本三大湖城の一つだ。

 明治の廃城令によって、多くの建物は払い下げられ撤去されたが、天守だけは地元の有識者の活動によってあやうく破却を免れ、山陰地方で唯一の現存天守として残った。

 その姿は、戦国末期から江戸初期への過渡期の戦闘的な城郭の姿を色濃く残しており、2015年(平成27年)7月に国宝に指定され、松江のシンボルともなっている。

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 天守は、外観四重で黒板張りで覆われ、内部は五階、地下の穴倉1階の構造となっており、石垣の高さは7.5mあり、その上に22mの天守が建つ。
 また天守の南には、天守に迫る敵に対して正面と側面からの攻撃ができる地下1階を持つ平屋の付櫓を備える。

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 大手門の前に立つ「松江開府の祖」堀尾吉晴の像
 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏が月山富田城(山城)に入城して松江藩(24万石)が成立した。しかし、時代が求める近世城下町の形成のためには山城は不便だったことから、これに代わる城として、堀尾吉晴・忠氏父子がかつて末次城のあった亀田山に新しく城を築いたものだ。

 そもそも堀尾吉晴は、豊臣秀吉と徳川家康に仕え、豊臣政権下では三中老の一人として功績を残した城普請の名人であり、忠氏亡き後も幼い孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し、現在の松江市の礎を築いたが、惜しくも城の完成直前に逝去した。

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 松江城の鳥瞰地図
 城の周りを囲む堀川は、宍道湖とつながっている。
 東西100m、南北170 mの本丸を中心に、東に中郭、北に北出丸、西に後郭、東から南にかけ外郭があり、西から南にかけ上の段と下の段に分かれた二の丸が囲む。
 また二の丸の南には、さらに一段低く三の丸が配されている。

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 二の丸上の段の南櫓と中櫓
 平成13年に125年ぶりに復元された。

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 三ノ門跡前から本丸天守を見上げる
 左の野面積みの高石垣には、本丸の武具櫓があった。

 石垣積の手法には、「野面積み」と「打ち込み接」があり、この城にもその両方が見られる。
 石垣の建設作業には大坂から招いた穴太衆があたり、松江城の完成に要した5年間のうちの3年間を石垣に費やしたといわれる。

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 横矢掛けの石垣
 本丸から武具櫓方向を見ると、石垣が折れ曲がっている場所は横矢掛けという、死角をなくして石垣をよじ登ろうとする敵兵を横から射るための構造だ。

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 本丸北の搦手道にあたる水ノ手門跡
 この虎口は厳しく巧妙に造られおり、敵兵は右、左と2度曲がらないと上にある腰曲輪までたどりつけない。

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 西南方向から見た天守は戦闘的な古武士を連想させる
 牛蒡積といわれる天守台の石垣の上に建つ天守閣の壁は、一・二重目と大入母屋までは全面黒の板張りで、三・四重目と付櫓はこれも黒の下見張の板で覆われている。

 三重目の大入母屋破風は白い漆喰で固められ、黒ずくめのこの城に唯一優美さを添えており、その形が鳥の千鳥に似ていることから千鳥破風と呼ばれ、この城の別名を千鳥城とも言われるもとになった。

 望楼階である最上階の廻縁は、山陰地方の寒冷で雨や雪が多い風土から防寒・腐敗防止のために設計が途中変更されたようで、室内に取り込まれた形式となっている。
 最上階の屋根には、銅版で覆った木製の鯱が載っている。

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 天守への入口は、付櫓に付いており、付櫓の壁には突上戸や矢狭間と鉄砲狭間、石落しなどが装備されている。

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 いよいよ天守内部に入城
 天守への入口は付櫓から、扉は鉄板で覆われている。
 
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 入口を入って付櫓の階段を1階に上がるまで4回屈折して、防御側の攻撃を受けながらようやく天守の地下に至る。
 ここには昭和の解体修理以前の、古い高さ2mの木製銅板張りの鯱鉾が展示されている。

 篭城戦に備えて、堀尾氏の以前の居城の浜松城と同じように水を確保するため、天主内に深さ24mの石組みの井戸が設けられている。

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 突上戸(つきあげど)は、防御のために戸が格子の外に上から吊り下げられており、必要時に外側に跳ね上げて開く。

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 内部から見た連子格子窓(武者窓)と狭間
 窓の格子の角柱は45度傾けて連なって設置されており、外からは見えにくく、内部からは広い視界が確保できるようになっている。
 窓の下には、天守に近づく敵に対して矢や鉄砲などで攻撃する狭間の口が開いている。

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 包板と寄木柱
 天守を支える柱を見ると、松の柱に包板と呼ばれる板を張って鎹や鉄輪で留められているものに気がつく。
 天守にある総数308本の柱のうち、包板は130本に施してあり、柱の割れの隠しなど不良材の体裁を整えるためのものと考えられている。

 また、松の一本の柱の外側に厚板を揃えて寄せ合わせ、これを金輪で締めて太い柱が造られているもの(寄木柱)は、柱の強度を増す工夫と、太い木材がなかったための苦肉の策と見られている。

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 天守1階内部の柱は全て寄木柱だ

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 各階を繋ぐ桐の階段
 階段は、幅1.6m、階段を引き上げるときの軽さや防火と腐敗の防止効果をねらって、厚さ10㎝の桐板が使われ、1階から4階の各階の間に設けられている。

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 階下の眺め
 材料不足もあってか、長大な通し柱を用いることなく、上層になるほど平面が縮小する天守の構造に対応している。

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 天守最上階(5階)
 望楼式最上階は、東西南北全てを展望できる。

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 天守最上階の天井の梁組

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 天守最上階(南面)の展望
 眼下に本丸跡に復元された南多聞櫓と一の門が見え、遥かに宍道湖の嫁ヶ島を望む。

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 天守内に展示されている甲冑・武具類

00-P1310622のコピー

 国宝指定の経緯を報ずるTVの番組
 松江城は、昭和30年代に国宝指定に向けての市民運動や陳情が行われたが、築城年を証明する史料などがないとの理由で指定には至らなかった。

 このため、再び指定に向けての気運の盛り上がりで、2009年(平成21年)以降、史料探しに懸賞金まで掛けて探した結果、かつて天守閣地下の柱に付けてあった城の建築時の祈祷札が、平成24年に城内二の丸上の段に鎮座する松江神社から見つかり、これに書かれていた「慶長拾六年正月吉祥日」が決め手となって、ようやく昨年(平成27年)7月に悲願だった国宝に指定されたものだ。

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 堀川めぐりの遊覧船
 堀を周回し観光する遊覧船が3カ所から出ており、約4kmを50分で遊覧できる。

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 橋の先に塩見縄手がある。

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 塩見縄手に面して残る小泉八雲の旧居
 城の西の堀に沿って伸びる道路が塩見縄手と呼ばれており、この地区には武家屋敷が多い。その中に有名な帰化文人の小泉八雲の旧居が記念館とともに並んで建っている。
 この地区には、当時の五百石から千石程度の武家屋敷の遺構も残っており、江戸期の風情を楽しむことができる。

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 松江で見つけた大黒様の鬼瓦(須山)
 さすが出雲大社のお膝もとの地方だけあってか、鬼瓦に大黒様のお顔が付いているのを見つけていたく感心した次第だ。
 なお、「鬼瓦」は家に魔が入るのを防ぐもので、大黒様の場合には「須山」というそうで、幸福を呼び込むものだと解釈したいがそこは聞きそびれた。

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 松江のお土産品の数々
 小泉八雲の名を使ったお土産も見られる。

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 しじみのつくだ煮のお土産
 宍道湖は、大きな大和しじみの産地として有名だ。

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 ついでに、いつものマンホールの蓋
 松江城下に残る武家屋敷の長屋門と石畳をデザインした、汚水管マンホールの蓋

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 宍道湖の嫁ヶ島と近くに建つ石燈籠、松江市の花のつばきや市の木の松をデザインした、カラー版の消火栓の蓋


● 立ち寄った境港の大漁市場
 境港は鳥取県の西部の日本海側の大砂州である弓ヶ浜半島の北端に位置し、自然条件に恵まれ、冬の紅ズワイガニや夏のマグロが全国一の水揚量を誇る山陰地方随一の良港だ。
 
 境港市は「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画で有名な水木しげるの出身地でもあり、町おこしを狙って商店街を始め市内にはこの漫画に登場する妖怪たちの像などが溢れ、観光客をひきつけている。

 今回わたしたちは、昼食のため境港にある巨大な海産物の販売施設「大漁市場 なかうら」に立ち寄った。

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 海産物の販売施設「大漁市場 なかうら」
 境港市にある流通団地、竹内団地内にあり、施設の正面には水木しげる氏に「がいな鬼太郎」と命名された巨大な鬼太郎の石像が目を引く。
 その足元には鬼太郎を守る一反木綿も描かれている。

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 『がいな』とは 当地の方言で大きいことを意味し、高さ7.7mもある「がいな鬼太郎」の石像は、左手には松葉ガニを抱きかかえたユーモラスな姿でこの施設の看板にもなっている。

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 地元で獲れた魚たちが店内に並ぶ
 はじめて見たこの不思議な魚は、「タナカゲンゲ(田中玄華)」といい、鳥取地方では「ばばぁ」とか「ばばちゃん」とか呼ばれる名物の魚だそうで、刺身や鍋物などに調理して食される。

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 いわずとしれた 紅ズワイガニ
 ズワイガニよりも水深の深い場所に生息し、全体に暗褐色だが加熱すると鮮やかな紅色になることからこの名が付いた。

 大漁市場 なかうら
 鳥取県境港市竹内団地209
 http://www.e-tairyo.com/










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