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〇 今日の一献 古代からの癒しと美人の湯 玉造温泉に行ってきた

―― 山陽・山陰を巡る旅 その3

 島根県松江市にある玉造温泉は、時期は定かではないがおおむね奈良時代には開湯した古湯といわれ、733年に成立した『出雲国風土記』にはその効能から「神の湯」と記され、また清少納言は『枕草子』117段で、全国の三名泉の一つだと紹介するほど知られた山陰地方を代表する名湯とされている。

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 玉造温泉街にある足湯の施設

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 『出雲国風土記』には、「一度入れば肌がしっとりすべすべとなり、二度入ればどんな病気や怪我も治ってしまう。その効能が効かなかったという話は聞いたことがないから、世の人々は「神の湯」と呼んでいる。」と書かれ、湯上りの肌がツルツルになる美肌効果が高いことから、女性たちの密かな人気温泉となっている。

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 出雲神々 縁結びの宿『紺家』の露天風呂

 【泉質】ナトリウム、カルシウム、硫酸塩、塩化物泉
 【効能】神経痛・リュウマチ、外傷後遺症
 【源泉温度】72度C

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 路上にあった元湯跡のプレート
 むかし地元の男が白鹿を追って山に入り、この温泉を発見したとの故事と三種の神器の一つの八尺瓊勾玉がこの地の特産のメノウで造られた(玉造)との伝説を表している。

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 玉造温泉の街中を流れる玉湯川沿いには桜並木と旅館などが立ち並び、路の傍らには日本書紀や古事記の神話を題材にした、8つの「神話の情景オブジェ」が設置されている。

 須佐之男命の「八俣の大蛇退治」の神話オブジェ(ブロンズ 2011年)

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 この「神話の情景オブジェ」は、平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」を制作して馴染みのある、大阪出身の東京芸術大学大学院教授の籔内佐斗司氏のブロンズ作品群だ。

 「因幡の白兎」の神話オブジェ(ブロンズ 2011年)

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 玉造温泉の『神様さがし』
 玉湯川沿いに設置された8つの「神話の情景オブジェ」を探して、温泉街を逍遥するのも楽しい。

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 玉湯川に棲む小魚を狙って佇むアオサギ

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 玉作湯神社
 出雲国風土記に見える神社で、温泉街の山に近い外れにある。櫛明玉神、大名持神、少毘古那神の三柱が祀られ、本殿は出雲大社と同じ大社造となっている。

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 玉作湯神社の収蔵庫
重要文化財の出雲国玉作跡から出土した玉類や砥石、硝子塊、坩堝残片等が収蔵されている。

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 温泉街の夜景
 玉湯川の左右に並ぶ温泉旅館の前には、自前で架けた橋が多い。

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 夜の「八俣の大蛇退治」の神話オブジェ

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 足湯のある姫神広場に設置された、籔内佐斗司氏の「姫神の像」(ブロンズ 2010年制作)
 「神の湯」とされている玉造温泉は、出雲神話と美肌にちなんだ「姫神の湯」をコンセプトとしている。

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 ついでに、合併前の旧玉湯町の勾玉・管玉のデザインの汚水管マンホールの蓋

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 同じく、合併前の旧玉湯町の勾玉の首飾りと出雲玉作史跡公園で復元されている竪穴式住居のデザインの汚水管マンホールの蓋

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● 玉造温泉への途中、出雲大社に参拝してきた。
 出雲大社は、大国主命を祀る神社で、古代から杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれてきたが、1871年(明治4年)に出雲の国に因んでか「出雲大社」と改称されて現在に至る。
正式名称は「いづもおおやしろ」だが、一般には「いづもたいしゃ」と呼ばれる。拝礼作法として、「二拝、四拍手、一拝」で拝礼するものとされている。

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 出雲大社の二の鳥居

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 拝殿の大注連縄
 出雲大社をはじめ島根県の神社では、一般の右縫いとは逆に左から綯う「大黒締め」と呼ばれる注連縄になっている。

 そもそも注連縄は、社の結界として機能するもので、魔の進入を防ぐものとされているが、出雲大社の注連縄が逆綯いとなっているのは、社の中から外に出ないように防いでいるのだとの説を唱える歴史家もいて興味深い。

panorama 20160418-00のコピー

 出雲大社の拝殿(左)と中央の奥は本殿

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 中央奥に見えるのが大社造の本殿(国宝)

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 境内の石畳に印された、発掘された3本組の柱の跡
 現在の本殿の高さは約24m、大屋根の面積177坪という破格の大きさの出雲大社だが、いにしえの本殿の建物はさらに大きく高く、古代(飛鳥時代ころ)には32丈(約96m)、また中世には16丈(約48m)だったこと、さらに平安時代から鎌倉時代にかけての200年間に本殿が数回倒壊したとの言い伝えもある。

 現に、2000年には本殿前の地下から、1248年(鎌倉時代)に完成したとされる直径1.35mの木を3本組に金輪で束ねて直径3mの柱とした巨大な柱の根元部分が発掘され、伝わってきた古文書に記された記録と符合することが確認されたことで、にわかに高さ48m(15階建てのビルに相当する)の説も実在した可能性が高まっている。

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 縁結びの絵馬の奉納
 出雲大社では縁結びのご神徳に因み、紅白の結びと男女の人形の絵が描かれた絵馬を中心に、それぞれの願いを書いた絵馬が奉納されている。

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 出雲大社
 島根県出雲市大社町杵築東195
 http://www.izumooyashiro.or.jp/



● 「出雲大社はオオクニヌシの怨霊を鎮めるための神社」だった?
 井沢元彦の通史『逆説の日本史』1古代黎明編によると、「しめ縄が普通の神社と反対の張り方をしている。」、「本殿の主神オオクニヌシの神座は横を向いている。」、「本殿に並んで祀られた五霊の客神はヤマト系の神で、オオクニヌシが神殿から出ないように監視している。」、「亡ぼしたオオクニヌシを丁重に祀るために、平安時代のわらべ歌にあるように本殿は日本で一番大きく立派な建物だった。」、「出雲の「雲」は死の象徴で、礼拝作法も四拍手である。」ことなどを例に挙げて、征服者のヤマト政権にとって「出雲大社はオオクニヌシの怨霊を鎮めるための神社」だったとの説を唱えている。

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 出雲そばは、「わんこそば」、「戸隠そば」と並んで三大ソバの一つに数えられ、島根県出雲地方で割子そばや釜揚げそばなどとして、広く食べられ有名だ。

 もともとソバは痩せた土地で栽培されるもので、産地として信州が有名だが、江戸時代に信州からこの地に改封された藩主が、ソバの栽培を奨励したことで盛んになったとの説があるという。

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 出雲市のマンホールの蓋
 日本一の高さの石造りの日御碕灯台に、旧大社町(出雲市)の鳥だったウミネコと観光船のグラスボートをデザインした、汚水管マンホールの蓋







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