〇 今日の一献 エミール・ガレの世界が広がる 大一美術館へ行ってきた

―― 地域で光る、東海地方唯一のガラス工芸美術館

 『灯台下暗し』とはこのことだ。
 お恥ずかしながら、同じ中村区内に住みながら、しかも昨年にはもう開館20周年を迎えたという、主として19世紀末フランスのガラス工芸家エミール・ガレの作品群を展示する大一美術館へ、遅ればせながらパートナーとともに行ってきた。

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 大一美術館は、パチンコメーカーの大一商会が、企業メセナの一環として同社オーナーの収蔵品を元に1997年(平成9年)5月に開館したもので、美術館の敷地は、同社のもと工場跡地に建てられている。

 ここでは、展示物の写真撮影が可能となっている。

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 正面玄関の二重扉を開けて入ると目の前に、ロビー天井から垂れ下がる火炎のような巨大なガラスのシャンデリアに圧倒される。
 この作品は、アメリカの現代ガラス工芸作家デイル・チフーリの1997年の作品で、600個のガラスで構成され、重さは500kgもあるという。

 正面の階段を上がった2階は、この現代作家チフーリの作品の展示場で、1階ホールの左手から入ったところからガレ作品群の世界が広がる。

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 目玉作品の一つ、エミール・ガレの「鯉文月光色花器」1878年パリ万博出品。
 ジャポニズムの影響を色濃く受け、葛飾北斎の「魚濫観世音」をモチーフにした作品。

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 葛飾北斎の「魚濫観世音」

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 「昆虫と風景文花器」1880年
 エミール・ガレの肖像写真を写し込んでみた。

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 シャルル・マルタン・エミール・ガレは、陶磁器ファイアンス焼きと家具の工場の息子として1846年5月フランスロレーヌ地方ナンシーで誕生。ガラス製造の技術を習得し、1878年のパリ万国博覧会に出品してから認められ、アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸、陶器などの巨匠となった。1904年9月白血病により死去(58歳)した。

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 展示場の風景

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 左上:「アラベスク文様花器」1889年
 右上:「ダリア文花器」1890年
 左下:「王妃マルゴ文花器」1880年
 右下:「ローズ・ド・フランス」1900年

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 「蜻蛉文漆風碗」1884年(伊万里焼茶器風ガラス碗)

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 「ジャンヌ・ダルク文花器」1889年のパリ万博出品

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 「好かれるための気遣い」
 1889年のパリ万博出品(青緑の4層ガラス)

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 「龍文花器」1890年(エジプト様式図柄作品)

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 「花形花器」1900年(中世風作品)

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 「ジャンヌ・ダルク文ランプ」1903年

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 「菊に蝶文ランプ」1900年(左手前)
 「紫陽花文ランプ」1900年(右)

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 日本の文化工芸品に多大な影響を受けた作品群(陶器作品)
 左上:「薩摩写獅子香炉」1870年
 右上:「装飾扇 菊に蝶」1878年
 左下:「獅子形陶器」1884年
 右下:「蝶文水差し」1880年
 
 わたしたちがエミール・ガレの一連の作品群に、なぜかしら深い親しみを感ずるのは、きっとこのジャポニズム(日本文化趣味)に強い影響を受けた作品が多いからに違いない。

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 「古代船形人物文飾り花器」1884年(陶器作品)

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 「蛙と魚文貝形陶器」1883年(陶器作品)

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 ● アメリカの現代ガラスアートの先駆者 デイル・チフーリの作品展示

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 2階には、現代作家チフーリの作品ガ展示されている。 

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 ベネチアで修行したチフーリの作品は、ベネチアングラスの系譜を色濃く感じさせる。

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 デイル・チフーリの肖像写真とその作品
 1941年アメリカワシントン州タコマ出身。ワシントン大学でテキスタイルデザインや建築学を学んでいる時にガラスに出会い、ヴェネチアでガラス工芸を習得し、アメリカ・デザイナー研究所賞、視覚芸術家賞などを受賞し、現代ガラスアートの先駆者として世界で最も注目される作家のひとりとなった。イングランド滞在中の1976年、自動車事故で左目が盲目となった。1992年には、アメリカで初めての人間国宝に認定されている。


● ピエール・オーギュスト・ルノアールの作品展示

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 ルノアールの「ビスケットを持つ幼児」(1896年)
 収蔵品の企画展、同時開催の「2大巨匠名品との出会い」3月4日まで

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 「花帽子の若い娘」(1895年)

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 館内のミュージアム・ショップ

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 市中心部から少し離れた西部地域に立地する施設だが、高品質でエレガントな企画展示が行われており、ガレ作品を中心とする東海地方唯一のガラス工芸美術館として、訪れて決して期待を裏切られることはないと思う。

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 大一美術館
 名古屋市中村区鴨付町1-22
 開館時間:10:00 – 17:00
 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、12月30日~1月1日









〇 今日の一献 郷土戦国武将の故事を訪ねて 清須城へ行ってきた

―― 桶狭間の戦い、清須同盟、清洲会議、清洲越しなどの歴史の舞台となった城

 冬休みでやって来た、武将・歴史好きの孫とともに清洲城へ行ってきた。
 昨年の夏休みには、郷土戦国武将の故事を訪ねて名古屋城、犬山城、岡崎城などを訪れたが、今回は年末に、わが家の近くの秀吉・清正の生誕地である中村公園にある豊国神社や寺々などを巡ったのだった。

 ご存知のとおり、清洲城は織田信長が那古野城からここに移り、小牧城へ移る前の10年間居城とした城(清洲古城)で、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いにはこの城から出陣している。

 また、1562年(永禄5年)の家康との同盟の盟約、「清須同盟」、1582年(天正10年)の本能寺の変で信長が倒れた後の織田家の跡目相続会議、「清洲会議」、関が原の戦い後の1607年(慶長12年)には、家康の九男、後の尾張藩祖の徳川義直が入城するなど、歴史上の重要な舞台となった。

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 馬を駆って馬上から弓を射る、天守内の信長像

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 天守最上階から見下ろすと、眼下に五条川が流れ、赤い欄干の大手橋が架かる。
 本来の清洲城の位置は川の対岸にあり、新幹線の左手の清洲公園(二の丸)から右(本丸・北曲輪)にかけて曲輪が続いていたとされる。

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 後期清洲城と城下町の復元ジオラマ

 清須会議の後、この城は次男織田信雄が相続し、2重の堀、大天守・小天守などが造営(後期清洲城)されたが、度重なる五条川の氾濫に悩まされる。

 大阪方の備えとして、水攻めを怖れた家康は、東方にある高台の広い名古屋台地に名古屋城と城下町を建設し、1609年(慶長14年)に人も物も全て町ぐるみの移転、「清洲越し」が行われると、この城は廃城となり町は廃墟となった。
 (江戸時代になって街道が整備され、ひとや物流が活発になると、清須の宿として復活する。)

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 かつての清洲城の曲輪域を貫いて新幹線が走る。

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 天守から東方8kmの、「清洲越し」先の名古屋の城下町を望む。

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 天守などの文献資料が乏しく、現在あるのは旧清洲町の町制100周年を記念して、平成元年に京都の伏見城を参考に桃山時代の城を想像しながら再建された模擬天守だが、それでもその姿には力が篭められ堂々として美しい。

 なお、後期清須城の曲輪の研究については、鈴木正貴著『後期清須城本丸考』愛知県埋蔵文化財センター研究紀要 第13号(2012年.5月)に詳しい。

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 後期清須城本丸周辺の想定復元図
 『後期清須城本丸考』から

清須城曲輪2_jpgのコピー

 ● 清洲城
 愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
 休館日:月曜日〈休日の場合は直後の平日〉、12月29日から31日
 ただし、桜の花見期間・清洲城信長まつり期間は開館








〇 今日の一献 孫に引かれて 『あいち航空ミュージアム』へ行ってきた

―― 航空機の開発・生産の伝統の地で実機を展示する博物館

 関東に住む孫が冬休みの年末年始にやってきたので、昨年(2017年)11月にオープンしたばかりの県営名古屋空港に併設された『あいち航空ミュージアム』へ、孫を連れてパ-トナーとともに行ってきた。

 鉄骨造2階建ての施設(延床面積7,900m²)のフロアには、戦後初の国産旅客機「YS-11」などの実機が置かれ、2階フロアには、日本の航空史に残る名機百選の模型やサイエンスラボがあり、また展望デッキからは県営名古屋空港に離着陸する飛行機も眺められる。

 ものづくりの盛んな愛知県は、戦前・戦後を通じてわが国の航空機の開発・生産の伝統のある地で、現在では航空宇宙産業の拠点ともなっている。

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 あいち航空ミュージアム2階のエントランス
 
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 地上フロアには、戦後初の国産旅客機「YS-11」などの実機が並ぶ。
 2階フロアには、名機百選の模型コーナーやサイエンスラボがある。

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〇 戦後初の国産旅客機「YS-11」
 YS-11は、第二次世界大戦後に初めて日本のメーカーが開発した双発ターボプロップエンジン方式の旅客機で日本の高度経済成長期を象徴する存在となっている。
 1962年8月に初飛行に成功し、1973年(昭和48年)3月の生産終了までに182機(国内民間機75機、官庁34機、輸出13カ国76機など)が製造された。
なお、製造は三菱重工業、川崎重工業、富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機工業、住友精密工業の7社が分担し、最終組み立ては三菱重工業の小牧工場が担当した。

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 乗員= 2名、定員= 56~64名
 全長= 26.3m、全幅= 32.0m、全高= 8.98m
 自重= 14,600kg、最大航続距離= 2,200km
 最大巡航速度= 470~480km/h

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 この機体は、航空自衛隊のYS-11P輸送機仕様 52-1152号機
 1965年3月に初飛行し、要人や幹部の移送のためのVIP仕様で航空自衛隊に導入され、52年後の2017年5月に総飛行時間2万3,872時間で退役し、生まれ故郷に戻ってきた機体だ。
 
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 2階フロアの名機百選の模型展示

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 名機百選の模型の一部
 左上:「アンリ・ファルマン複葉機」1909年(明治42年)
 右上:日本海軍夜間戦闘機「月光」1943年(昭和18年)
 左下:日本陸軍戦闘機「飛燕(三式戦闘機)」1943年(昭和18年)
 右下:朝日新聞欧州往還機「神風号」1937年(昭和12年)

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 地上フロアにある航空整備士職業体験コーナー(航空機の離着陸シミュレーションも体験できる。)

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 インストラクターの説明で、航空機の点検整備の体験ができる。

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 〇 「八〇式名市工フライヤー」

 2017年1月に70mの初飛行に成功した、名古屋市立工業高校の生徒が製作した八〇式名市工フライヤー。
 2010年の試作1号機から数えて7年の、6機目の機体。

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 トイレの中には「YS-11」の操縦席が広がる。

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 展望デッキからは、県営名古屋空港を離着陸する航空機が眺められる。

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 1階「飛行機の工房」に展示されている「零戦五二型甲」。

〇 旧日本海軍の主力艦上戦闘機「零戦五二型甲」
 零式艦上戦闘機は、第二次世界大戦時の大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機で、零戦(ゼロ戦)の略称で知られ、航続距離2,200km、20mm機関砲2門の重武装と優れた格闘性能を生かして米英の戦闘機に対し優勢に戦い、戦局に寄与した。
 終戦時まで主力戦闘機として運用され、爆撃、特攻任務にも使用された。この「零戦五二型甲」は、その派生型の「三菱4708」号機。

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 この機体は、1944年に旧三菱重工業大江工場(名古屋市)で生産され、1983年にミクロネシアのヤップ島で発見されたゼロ戦の残骸の部品を使うなどし、2年かけて復元されたもの。

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 『あいち航空ミュージアム』
 愛知県西春日井郡豊山町豊場(県営名古屋空港内)
 10:00-19:00(休館日:火曜/祝日の場合は翌日)

 なお、隣接する三菱重工業小牧南工場内のMRJ最終組立工場5階フロアには、「MRJミュージアム」が開設され、展示室(約1,150㎡)や2階のMRJ実機の製造作業を見学することができる。



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