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〇 今日の一献 いまも佇む 中村公園の「ラジオ塔」

―― 機能を失い、朽ちるに任せたままの歴史的遺物

 いまも時々訪れる名古屋の中村公園は、子供の頃からわたしの遊び場だったが、気がついたときには、この施設はもうここにあった。

 時折、ブツブツと音がしたことがあるけれど、何のための施設か分からなかったが、大人に聞くと「ラジオ塔」だということだったが、その時のわたしの関心はそこまでで、以後はずうっとそのままになっていた。

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00-パノラマ 20170412 中村公園-1

 生誕地に因んで秀吉の馬印から名前を取った、桜の季節の「ひょうたん池」。

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 松の木立に囲まれて目立たない場所に、「ラジオ塔」がある。

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 先日訪れたときに気になって寄ってみたら、太く育った松の木立に囲まれて「ラジオ塔」は、まだそこにあった。

 帰ってから調べたら、市発行の『名古屋の公園』の中の「昭和18年の名古屋市公園一覧」の施設に中村公園の「ラジオ塔」が出でいるのがこれだろうから、少なくとも1943年以前には、もうここに建てられていたことになる。

 そもそも「ラジオ塔」は、正式には「公衆用聴取施設」といい、ラジオ受信機とスピーカーが内蔵された高さ2~3mの塔で、1925年(大正14年)にラジオ放送が始まってから、当時はまだ高級品だったラジオを一般に普及させるため、1930年ごろに大阪・天王寺公園にラジオ塔が設置されたのを始まりとして、全国の公園や神社の境内に広がっていったとされ、1941年には全国で460基あったことが確認されている。

 その後、非常時の情報伝達の機能やラジオ体操の会場の役割を担ってきたが、やがてラジオの一般家庭への普及やテレビの出現により、ラジオ塔の役割は廃れていき、いまではその存在すらも忘れ去られたのだろうと思われる。

 その『名古屋の公園』によると、当時は市内の7つの公園に設置されていたようだが、このうち今も残るのはこれを含めて3基のみという。

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 改めて近づいてよく見ると、わたしが幼いころに気づいた当時には、松の根が太く張ったせいか傾いていた塔は、その後に造られた土台の上に垂直に直されて建ってはいるが、やはり建設から70年以上を経て、壁には亀裂が入り屋根は苔むした、朽ちるに任せたままの状況で、そのうち上部から崩壊するのではないかとの予感さへ伝わる。

 聞くところによれば、所によっては、地域に残るラジオ塔が修復・再建されたり、中には国の登録有形文化財に指定されたものもあるという。

 そんなことを思いながら見回すと、20mほど離れたところに、公園管理事務所があるのだが、、、、、。










〇 今日の一献 洛北の紅葉を訪ねて 江戸時代の文人石川丈山が愛した詩仙堂

―― その4 江戸時代の文人石川丈山が愛した一乗寺の詩仙堂

 石川丈山は、1583年(天正11年)安城市和泉町で生まれ、譜代武士として家康に仕えていたが、浪人となってから漢詩に頭角を顕し、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通し煎茶の祖ともいわれる江戸時代初期の文人だ。

 比叡山西麓にある「詩仙堂」は、1641年(寛永18年)に石川丈山が自分の隠居のため、でこぼこした土地に建てた住居という意味の「凹凸窠」の名で造営し31年間隠棲した山荘で、国の史跡に指定されている。

 名古屋中村生まれの洛東の隠者、木下長嘯子の歌仙堂に倣って、中国の詩家36人の肖像を狩野探幽に描かせた「詩仙の間」があることから、いつしか「詩仙堂」の名で知られるようになった。

 現在は、曹洞宗の六六山「詩仙堂丈山寺」となっている。

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 正面の入口「小有洞」

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 詩仙堂の玄関を通して見える庭園

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 3階建の「嘯月楼」や窓の形が珍しい。

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 嘯月楼の間と庭園

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 造園の名手といわれた丈山の設計した庭園は、土地の高低差を利用して眺望を確保しながら、唐様回遊式庭園となっている。

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 玄関上にある丈山当時の特異な建築、3階建の「嘯月楼」。

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 カエデの裏紅葉

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 高い位置にススキの群を植え、紅葉とともに仰ぎ見せる工夫がされている。

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 回遊式庭園の下部にある池に映る紅葉

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 時折鳴り響く音の主は、ししおどしとして知られる、この太い竹筒でできた「添水 」(そうず)だった。

 六六山 詩仙堂丈山寺
 京都市左京区一乗寺門口町27
 叡山電鉄「一乗寺駅」から徒歩15分
 市バス「一乗寺下り松町」から徒歩7分

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 一乗寺下り松「宮本・吉岡 決闘之地」の石碑
 行きの右手に気がついていたが、詩仙堂の帰り道に立ち寄った。狸谷不動明王道を下りてきて、曼殊院道とが分岐する場所にこの石碑がある。

 「一乗寺下り松の決闘」とは、この場所で江戸時代の初め宮本武蔵が吉岡道場一門の剣士数十人と決闘を行ったという有名な伝説があり、この石碑は大正10年に広島県呉の剣士により建立されたもので、傍らに立つ黒松は当時から4代目の松という。

〇 今日の一献 洛北の紅葉を訪ねて 京都大原の還りは叡山電鉄に乗って

―― その3 叡山本線の終着駅、叡電「八瀬比叡山口」から「一乗寺」へ

 大原からの帰りは、国道367号を走るバスで叡電「八瀬比叡山口」駅まで出て、そこから次の目的地、詩仙堂のある駅「一乗寺」に向かう。
 
 八瀬流域では八瀬川と呼ばれる高野川の流れの岸も、紅葉が進んでいた。

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 川中にはアオサギが佇み、小魚を狙っていた。

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 叡電「八瀬比叡山口」駅の秋明菊
 叡電「八瀬比叡山口」駅は、「出町柳」を始発駅とする5.6kmの叡山本線の終着駅で、叡山ケーブル・叡山ロープウェイを乗り継いで、比叡山山頂に向かう西の入口となっている。

 かつては、行楽客で賑わったこの路線も、交通手段が多様化したいまでは、寂れつつある。

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 1925年(大正14年)の開業以来の面影を残す木造駅舎。

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 叡山本線の終着駅特有のドーム状のトレイン・シェッドが、かつての栄光の香りを残す。
 1987年(昭和62年)導入の、アイボリーを主体に山をイメージした緑の帯を塗装した700系711号車がやってきた。

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 比叡山の麓の紅葉が美しい。
 ホームは3面2線の櫛形ホームとなっている。

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 アイボリーを主体に、山をイメージした緑の帯塗装の700系711号車

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 叡山電鉄の路線図

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 座席の色は紺で、すべてロングシート。天井が白、壁と床は薄いグリーンに塗られている。
 途中駅で、先生に引率された幼稚園児たちが乗ってきた。

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 新緑をイメージした黄緑ラインの723号車とすれ違う。

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 鞍馬線を走る、デオ800形電車のギャラリートレイン「こもれび」
 デオ800形電車は、叡山電鉄で初めて片運転台構造と2両永久連結を採用したもので、2003年から、815 - 816号車の編成でスカートが追加され、ギャラリートレイン「こもれび」として就役している。

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 「修学院」駅には、車庫が併設されている。
 レトロな緑の作業用車両・Zパンタの「デト1001」や赤色塗奏の消防・救急電車、「えいでん まとい号」が留置されているのが見える。

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 4つ目の駅の「一乗寺」で下車。
 途中の駅で幼稚園児たちが順次降りていったが、自転車で待っていた母親に聞くと、スクールバス代わりに使っているとのことだった。

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 駅を出て東へ、道を真っ直ぐに山に向かって町を抜け、しばらく坂を上がると、その先に目的地の詩仙堂がある。




〇 今日の一献 洛北の紅葉を訪ねて 京都大原「三千院」に行ってきた

―― その2 大原の里と三千院の綾錦

● 四方を山に囲まれた 大原の里
 大原の里は、京都市街の北東部、比叡山の西の山麓の高野川上流に位置し、およそ1300年前から京都へ魚介類を運んだ鯖街道の名で知られる若狭街道が貫く盆地の里だ。

 また、平安時代から都への木材や薪炭の供給地となり、鎌倉時代からは大原の柴や薪、農産物などを頭に載せて京の町まで行商した「大原女」でも知られ、その習俗は昭和初期まで約800年続いた。

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 高野川の谷に向かって下る、大原の棚田の眺望

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 里の風景

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 バス停から三千院へは「大原女の小径」の坂道が続く。

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 土産物屋が並ぶ小径に沿って、呂川の清流が流れる。 

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● 三千院の紅葉の綾錦
 この地にある寺院群は、比叡山の北西麓にあることから延暦寺の影響が強く、三千院も最澄が延暦年間(782 - 806年)に構えた「円融房」がその起源とされる天台宗の寺院だが、幾多の移転の後に、12世紀(平安末期)からあった阿弥陀堂のある現在地に、1871年(明治4年)に本坊が移ってきたものだ。

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 寒暖の差が大きい山間の盆地の大原の里にある天台宗の魚山三千院では、紅葉はすでに盛りを迎えていた。高い石段の御殿門の周りの紅葉が美しい。

 この日、TVの放送クルーに導かれた東京からのタレントのグループが複数見られた。

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 「聚碧園」の池に映る紅葉

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 宸殿前に広がる庭園「有清園」の中にある、苔むした杉木立と入母屋造で杮葺きの「往生極楽院」が佇む風景は、あまりにも有名だ。

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 国宝の阿弥陀三尊が安置された「往生極楽院」正面
 ここで、妙なことに気がつく。
 寺の正門である「御殿門」を入って、客殿から右回りで廊下を通り、「宸殿」から前に広がる庭園「有清園」を通して「往生極楽院」にある阿弥陀三尊を遥拝しようとするのだが、なぜか肝心の往生極楽院の建物は後ろを向いた配置となっている。
 だから阿弥陀三尊へのお参りは、堂の正面へ有清園をぐるっと廻らなければならないことになる。

 三千院の本堂である東の金色不動堂や奥の院の観音堂へ向かう道すがら、お参りをすれば良いといえばそれまでだが、わたしにはこの配置がひどく不思議に思えて、改めて寺の経緯を調べてみたわたしなりの推測は次のようなものだ。

 もともと平安末期からあったこの池や杉木立に囲まれた「往生極楽院」は、南(朱雀門方面)から遥拝するように南に向けて配置されていたが、明治になって移ってきた今の三千院が、南に十分な土地が無かったことで、西から北へ往生極楽院を取り込む形で右回りの配置で堂宇を整備したことで、結果的にこうなったのではないかということだがどうだろう。

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 有清園の苔むした「わらべ地蔵」たち

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 有清園の池畔に咲く白椿

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 紅色に塗られた朱雀門には、紅葉の綾錦がよく映える。

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 今が盛りの三千院参道の紅葉。

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 何度も京都を訪れながら、その見た目のイメージの悪さから、今までついぞ口にしたことが無かったニシンそばを、パートナーとともに初めて味わった。
 このとき、蕎麦屋の窓越しに綺麗な和装の女性が見えて、思わず撮ってみた。

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 京都名物ニシンそば
 初めて味わったニシンそばは、わたしにとってはやはりイメージ通りの味だった。




〇 今日の一献 洛北の紅葉を訪ねて 京都岩倉「実相院門跡」に行ってきた

―― その1 岩倉山「実相院門跡」の紅葉の水鏡

 京都市左京区の岩倉の里にある岩倉山「実相院門跡」は、鎌倉時代の寛喜元年(1229年)に京都市北区紫野で、静基により創建された天台宗の寺だったが、応仁の乱を逃れるため現在地に移転したとされ、本尊は、鎌倉時代作の木像、不動明王をもつ。
 幕末には、一時岩倉村に隠棲した岩倉具視が、この寺に間借りして密談した記録なども残されている。

 現在は、単立の門跡寺院であり、本堂の磨き上げられた『滝の間』の床板に映る「床もみじ」が楽しめることで知られる。(本堂内の撮影は禁止されているから、「床もみじ」は、見るだけとなる。)

 しかし、今日(2017年11月10日)パートナーと訪れてみたけれど、床もみじはやはり少し時期が早かった。

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 背後の山を背景にした、奥の書院と客殿との間にある池泉回遊式の庭のもみじは、紅葉が進んでいた。

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 山水庭園の蹲踞(つくばい)の水鉢の水面が水鏡となって映る錦秋は、時折、懸樋から落ちる水滴が波紋となって広がり美しかった。

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 また、庭園の池の水面に落ちたもみじ葉が、水面に映る紅葉と青空との美しいコントラストを描いていた。

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 赤く熟した南天の実

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 枯山水の石庭の眺め

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 京都市左京区岩倉上蔵町121
 京都駅から地下鉄烏丸線で「国際会館前」下車。そこから京都バス 21・24系統「岩倉実相院」バス停下車すぐ。




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