〇 今日の一献 名駅西の『TSUBAKIフェスタ2016』に行ってきた

―― 「駅裏」のイメージを払拭する若者の街の新しいイベント

 10月29日(土)~30日(日)秋晴れの天候に恵まれて開催されたTSUBAKIフェスタは、名古屋駅西の椿神社のある中村区椿町界隈で行われ、今年で5回目とまだ若いイベントで、内容も若者向けのものが多く、若者たちや家族連れで賑わっていた。

 戦後から名古屋の駅西には大きな闇市があり、その後も雑多な紅灯の巷であったことから、名古屋人はこの地域を暗いイメージで長らく「駅裏」と呼び慣わしてきたが、新幹線が開通すると街の再開発が進み、近年新しくビジネスホテルや予備校、各種の専門学校などが相次いで立地するようになって、「名古屋駅太閤通口」と呼ぶ明るい若者の街へと大きな変化を遂げている。

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 地区の道路の一部を歩行者天国にして盛り上がるTSUBAKIフェスタ

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 多くのコスプレイヤーが集う
 コスプレ大会も開催され、ハローウィンの時期とも重なって、多くの参加者で賑わっていた。
 もともとアニメやコスプレ関連の店舗も多くあるこの地区は、彼らにとって親しみのある地区で、アニメーションの専門学校などが更衣室を提供していた。

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 奇抜な衣装とメイクで着飾って非日常的な自己表現をしたコスプレイヤーは、それを多くの人に露出・訴求したいとの心理が強く働くのだろう、お願いすると、皆さん快く気軽にポーズをとって撮影に応じてくれた。
 
▲組写真 椿フエスタ-00-002

 思い思いのコスチュームで着飾ったコスプレイヤーの中には、名称やLINEのアドレスなどを記したプレートを立てて写真に納まる方々がいたが、後で調べてみると、SNSなどで情報交換や評価・人気ランク付けなども行われているようで、なるほどこの世界も奥が深いものがあると感心した次第だ。

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 女性メンバーが多い、和太鼓「ゆうぶ」の演奏

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 駅西のアイドルグループ「dela」(デラ)のステージ公演
 「dela」(Delightful Enchanting Lovely Angels)は、2012年に誕生した愛知県・名古屋地域を中心に活躍する女性アイドルグループだ。

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 グループ名に違わず、楽しい魅惑的な美しい天使たちが舞台を所狭しと踊りながら歌い、熱狂的なファンたちが熱い声援を送っていた。

▲組写真 椿フエスタ-00-001

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 近くにある県警中村警察署の協力を得た、パトカーや白バイの展示・試乗が行われていた。
 パトカーに乗せられることはあっても、白バイに乗る機会はないとあって、女性の試乗者が多かった。
 
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 この地区の中心にある椿神明社も、ライブコンサートの会場になっていた。
 もともとこの地区には、今では埋められてしまった笈瀬川が南北に流れており、その川岸にこの社があって、境内にある大椿の林からこの名が付けられたそうだ。

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 椿神明社ステージのライブコンサート
 愛の伝道師、魂のシンガーを自認する、京都長岡市出身のシンガーソングライター持田浩嗣がライブでハスキーの渋い声を聞かせた。

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 椿の大木に囲まれた、神明社の拝殿と本殿

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 名古屋駅太閤通口のレジャービル街
 
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 椿町交差点と太閤1丁目交差点の間にある、東京IT会計・法律専門学校名古屋校のビルの2階には、ベランダから外を覗く3匹の大きな犬のオブジェがあって楽しい。(中村区椿町14-8)

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 太閤通口から見上げたJR名古屋駅






〇 今日の一献 平湯温泉から黄葉を訪ねて、上高地へ行ってきた

―― 壮大な黄金色が上高地の黄葉シーズンの最後を飾る

 例年にない寒気団の南下や低気圧の移動に伴う目まぐるしく変化する天候の下、久しぶりに岐阜県の奥飛騨温泉郷にある平湯温泉に行ってきた。
 
 奥飛騨の紅葉の景色は例年10月中旬から11月上旬が見頃とのことだが、今年は少し遅れていたものの、ここ2~3日の冷え込みで山裾は一気に黄葉が進んできたという。

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 高山駅で列車を降りて、高山濃飛バスセンターから国道158号線で平湯温泉に向かう。

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 麓の黄葉が進む、中央はアカンダナ山(赤棚:2,109 m)と左隣が白谷山(2,188 m)。
手前の山腹中央に湯の平トンネル(平湯IC側)が見える。アカンダナ山の斜面のスジは旧道で、右へは安房峠へと至る。左下は平湯温泉郷

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 平湯温泉の東にあるアカンダナ山(赤棚:2,109 m)は、安房峠の北西に位置する焼岳火山群の一峰の活火山。

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 平湯バスターミナル
 各種の現役施設を備える大規模なバスターミナルで、乗鞍や上高地、新穂高、高山などの観光地を結ぶ交通の要所になっている。
 岐阜県と長野県を結ぶ安房トンネルが、18年をかけた難工事の末に1997年(平成9年)に開通し便利となり、乗り合いバスの他に、松本、富山を結ぶ特急バス、新宿、名古屋への高速バスも運行されている。

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 平湯温泉郷には、25軒の温泉宿がある。
 乗鞍火山帯の乗鞍岳のふもと、標高1,250mにある平湯温泉には40もの井戸・源泉があり、源泉から90℃の湯が毎分13,000㍑噴き出す。
 泉質は、ナトリウム、カルシウム、マグネシウム、炭酸水素塩泉など含み、胃腸病やリウマチ性疾患を始め、神経症、皮膚病などに効能があるとされている。

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 温泉街で盛んに湯気を立てる温泉卵の店先

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 もう少しで咲く、夏播きの秋蕎麦の花

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 今回の宿は『匠の宿 深山桜庵』
 (岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯229)

 高い天井と太い梁や柱の和風の建物で、部屋も白木をふんだんに使った和洋室で、ゆったりと寛げた。

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 大浴場の入口。母屋は腰板と珪藻土の壁の廊下
 (夜)湯上がりの牛乳、夜食の夜鳴きソバ、(朝)モーニング・コーヒー、ヤクルトなどの無料サービスもある。

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 各部屋にも窓の広い釜風呂があるが、開湯が戦国時代といわれるここでは、ヒノキの大浴場や露天風呂に入るのが正調というもの。

 源泉は90℃で、白濁した炭酸水素塩泉、塩化物泉は旅の疲れを癒すに最適。

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 夕食の『いろり会席』の始めの口取り八寸とお造里

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 炭火で焼く焼き物とすき焼き鍋は飛騨牛
 小部屋の囲炉裏風のテーブルでいただく会席料理はおいしく、各皿の量は少なくとも料理が進むうちに満腹でとても食べきれなかった。

00-▲組写真 20161024 平湯温泉宿

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 北の夜空のカシオペア座
 カシオペア座の一番左の星(カフ)から下方の、ケフェウス座の左足にあるエルライのさらに下にあるのが、コグマ座の尾にあるポラリス(北極星)。
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 気温が下がり、車のボンネットが白くなり、ダウンコートでも寒かった。

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 東の空のおうし、ペルセウス、ぎょしゃ座
 右におうし座の頭に当たるプレアデス星団がある。
 2016.10.24 22:34

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 翌朝の種類豊富な朝食も、夕食と同じレストランでいただく。
 
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 露天風呂から遥か北に見える、笠ヶ岳(2,898 m)


〇 黄金色の黄葉を訪ねて、上高地へ

 久しぶりに訪れた上高地へは、この宿のマイクロバスで行く無料送迎サービスを利用した。
 このサービスは期間限定だが、上高地バスターミナルまで所要時間は30分。途中、大正池でも乗降できるから便利だった。

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 上高地への途中、紅葉・黄葉の美しい錦繍が盛りの安房トンネルの出口周辺。
右下の梓川が奈川渡~新島々方面へ下る谷。

 むかし安房トンネルなどが整備される前は、槍・穂高への登山には、松本経由で新島々まで夜行列車で行き、そこから早朝この谷をバスに揺られて安房峠を経て、狭い釜トンネルをくぐって上高地に向かったものだった。

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 河童橋付近の黄葉
 標高1,500mの上高地周辺に多く自生する、落葉樹のヤナギ、カツラ、シラカバ、カラマツなどは黄色に黄葉するため、この季節、辺りは一面黄金色に染まる。

 若いころのようにガツガツ歩き回るのは止して、近くの『五千尺ホテル』1階のメインダイニング「The Gosenjaku」で、ゆったりと景色を眺めながらのコーヒーは格別だった。

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 上高地から見る穂高連峰(涸沢方面)
 標高の高い涸沢カールのナナカマド、ヤマウルシなどの赤やオレンジの紅葉はすでに終わりつつあり、常緑樹に混じってカツラ、シラカバ、カラマツの壮大な黄金色が、上高地の黄葉シーズンの最後を飾る。

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 河童橋から眺めた梓川の上流

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 梓川の支流の清水川は、落葉が進み早くも冬支度だ。

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 明神岳(2,931m)と黄葉した梓川の岸辺
 遠くに河童橋が見える

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 梓川下流方面の焼岳(2,455m)

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 梓川に沿って続く遊歩道と黄葉したカラマツ林

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 カラマツ林に囲まれた上高地バスターミナルと焼岳

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 環境省が所管する「上高地ビジターセンター」では、国立公園上高地周辺の自然に関する展示・情報が提供されている。

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 盛んに湯気を上げる焼岳と黄葉が進む大正池の岸辺
 乗鞍火山帯にある焼岳は、今も活火山だが、大正池は、1915年(大正4年)の焼岳の噴火活動で梓川が堰き止められてできた池だ。

 今も続く焼岳方面からの土砂の流入で、池は年々埋まっており、浚渫が行われているが追いつかない。

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 この辺りの白樺の樹はすでに落葉しており、やがて平地より早い雪の季節を迎える。




〇 今日の一献  第39回『大須大道町人祭』に行ってきた

―― 庶民の街大須にふさわしい 気楽に楽しむ大道芸

 毎年10月中旬に開催される官製の祭「名古屋まつり」の向こうを張って、1978年(昭和53年)に始まった市民の祭り『大須大道町人祭』が、39回目の今年(2016年)も10月の15日(土)、16日(日)の両日、名古屋市中区の大須商店街一帯で繰り広げられた。

 恒例の大道芸を中心に据えたこの祭りは、気取りの無い庶民の街大須にふさわしく、思い思いに気楽に楽しむ老若男女・家族づれの多くの人出で賑わった。

 今年行われた出し物・イベントは総計48にも上り、商店街の各所に設えられた15の会場で行われ、とてものこと全てに参加・鑑賞できるものではないテンコ盛りのまつりだった。

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 名古屋の代表的な商店街の一つである「大須商店街」は、江戸時代からつづく萬松寺と真福寺寶生院(大須観音)の門前町・繁華街として発展してきたもので、主な通りごとに①万松寺通商店街、②大須新天地通商店街、③名古屋大須東仁王門通商店街、④大須仁王門通商店街、⑤大須観音通商店街、⑥大須門前町商店街、⑦大須本通商店街、⑧赤門通商店街、⑨赤門明王商店街の9つの商店街で形成され、地区全体では1,100もの店舗が集積している。

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 第39回『大須大道町人祭』の予告ポスター
39回目を迎えた今年は、文政9年(1826年)に大須東門前でラクダの祭礼行列が行われたことに因み、大道芸(見世物)の一つとしてラクダパレード(15日)が行われた。

 史実によると、190年前 のラクダは1瘤ラクダだったそうだが、今回の滋賀県から借りてきた2頭のラクダは2瘤ラクダだった。


〇 まつりの華「おいらん道中」
  http://autumn.nagoya-osu.com/chonin/?page_id=333


 明治、大正時代にかけてこの地区にあった「旭廊(旭遊廓)」に因み、まつりの華として花魁(おいらん)が禿(かむろ)や振袖新造などを引き連れて揚屋や引手茶屋まで練り歩く「おいらん道中」が毎年再現されており、一般公募で選ばれた女性たちが華やかな花魁などに扮し大須の街を練り歩く。

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 「おいらん宿」で一休みする一般公募で選ばれた花魁たち
 頭に載せる鬘(かつら)が3㎏、高さ30cmの高下駄が3㎏、衣装の裲襠(うちかけ)や俎板帯など、全てを身につけると総重量は40㎏に及ぶといわれ、その姿で日に3回の出演という過酷な道中は大変だ。

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 美しく着飾った花魁の頭に載せる鬘の重さは、3㎏もあるという

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 休憩中の姉女郎の「花魁」に付き従う、妹分の禿や振袖新造たち


 〇 地元アイドルグループ「OS☆U」の公演
   http://ameblo.jp/osuofficial/


 愛知・名古屋を拠点として活動するOS☆U(オーエスユー、 Osu Super Idol Unit)は、2010年8月に大須商店街から誕生した。
 メンバーは名古屋を始めとする東海地方の出身者で構成された、元気なローカル女性アイドルグループだ。

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 巨大な招きネコのあるふれあい広場での、大須のアイドル「OS☆U」の公演
 
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 大須を活動拠点とする人気アイドルグループとあって地元の若者のファンも多く、会場をびっしりと取り巻く聴衆でなかなか近づけないほどだ。

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 〇 アングラな舞踏集団「大駱駝艦」の金粉ショー
  http://www.dairakudakan.com/


 1972年に創設された、麿赤兒が主宰する舞踏集団(カンパニー)の「大駱駝艦」は、この世に生まれたことこそ大いなる才能と主張し、身振り、手振りを中心に再構築するパフォーマンスで数多くの作品を生み出し国内外で活動しており、金粉ショーはこのまつりの恒例の呼び物の一つになっている。

 現在、東京・吉祥寺にあるスタジオ「壺中天」(こちゅうてん)を拠点として、様々な場で精力的な公演を続けている。

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 世界でも珍しい、舞踏集団「大駱駝艦」の金粉ショー
 昨年から。コスチュームの露出度がやや穏やかになったようだが、肉体をもって全身で表現するこのカンパニーの公演は、今回初めて観たわたしには、多分にアングラ的で新鮮だったが難解なものだった。

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00-組写真金粉ショー

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 公演の後に、観客を廻って投げ銭を受け取る出演者の艦員
 『大須大道町人祭』では、全てのパフォーマンスに「投げ銭箱」が用意されており、観客は思い思いの額の投げ銭を行うのが恒例となっている。


〇 大道芸に回帰した「江戸糸あやつり人形」
  http://www.geocities.jp/edoitoayaturi_temp/edoito-01.html


 江戸糸あやつり人形は江戸時代に生まれ、江戸から東京へと伝えられてきた和芸で、伝統的な江戸糸操り人形の劇団としては、1635年(寛永12年)に旗揚げしたといわれる東京都小金井市にある「結城座」が、国の記録選択無形民俗文化財などに指定されていて有名だ。

 主宰する1979年(昭和54年)にこの道に入ったという上條充氏は、1992年に「江戸糸あやつり人形」を設立して独立し、1995年から国内外で大道芸の活動を続けている。
 2004年の第27回大須大道町人祭に初参加し、今回が12回目の参加となる。

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 あやつり人形「かっぽれ」の巧妙な技の公演

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 有料駐車場を会場とした舞台での公演

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 あやつり人形「酔いどれ」
 酔いどれて踊る男の面が途中で落ちて、おかめ(女)の顔になって女踊りをする。

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 あやつり人形「獅子舞」
 縁起もの・ご祝儀ものとして舞われる獅子舞を、「手板」を口に咥え拍子木を鳴らしながら十本を超える糸で操る演目。
 
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 最後には、獅子の中から獅子舞の2つの人形が姿を現すという、驚きの仕掛けで観客を沸かせた。


〇 巨大なロボット「SHINJI as BIONIC SATAN」のパフォーマンス

 バイオニック・サタンの出自は良く分からないが、身長3.5mの巨大悪魔型ロボットのコスチュームで、商店街を歩き回るパフォーマンスだ。
 2012年の第35回大須大道町人祭に初参加し、今年が5回目の参加。

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 巨大キグルミの悪魔型ロボットだが、子供たちには愛嬌を振りまいていた。
 
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 軽妙な曲が聞こえてきたと思ったら、1984年旗揚げの「ちんどん通信社(東西屋)」とすれ違った。
 第7回の大須大道町人祭への初参加から、今年で30回の連続参加という。

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 「まごやまつり」のハイライト、郷土英傑行列の最終日を終え、山車から降りて大須の花道を練り歩く徳川家康に出会った。

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 朱塗りの大須観音の南正面にある、仁王門

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 壁面に仁王のペインテイングが施された仁王門通のマンション
















〇 今日の一献 掛川城竹の丸の旧松本家邸宅

―― 葛布で富を築いた豪商の邸宅(古民家)と大日本報徳社の本社

 地方に旅をすると、目指した著名な施設などの外に、古くてもきらりと光る興味深いものたちに出会うと、思いの外の幸せに浸ることが出来る。

 特に大都会では、これまでに何度も押し寄せた時代の波や高度経済成長の都市化によって多くのものが失われてきたが、それらの変化の影響が比較的少なかった地方には、まだまだわたし達が知らないだけの興味深い価値のあるものが多く残っているような気がしている。

 今回の静岡3城めぐりの掛川城への旅で出会った、旧松本家邸宅もその一つではないかと思う。

 掛川の城下町には、幕末から明治にかけて商いで成功した者たちのうちでも、「御三家」とされる松ヶ岡(山崎家)、竹の丸(松本家)、喜半(鳥井家)の三つの豪商があり、幕末ごろから始まり今も毎年10月に開催されるご城下の町民の祭り、掛川祭りのスポンサーなど、地元の有力者として地域の振興にも努めてきた。

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 この旧松本家邸宅は、その御三家のうちの葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が、掛川城の北にある竹の丸の一角に土地を得て、1903年(明治36年)に本宅として建築した建物で、これ以降地元では、松本家は「竹の丸」の通称で呼ばれることになる。
 
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 掛川城本丸の北西の、この絵図で侍町と記された曲輪は、北門から城内に続く「竹の丸」と呼ばれていた。(赤丸で囲んだ場所が旧松本家邸宅のある所)
 
 国の重要文化財に指定されている、『遠州掛川城絵図』の部分
 (正保城絵図―1644年(正保元年)国立公文書館蔵)

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 左に入母屋破風の屋根で式台の付いた格式の高い玄関があり、右に寄棟造りの大屋根の母屋が広がる。

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 母屋の大屋根の鬼瓦

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 左の2階建てが離れ、右は母屋

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 2階建て離れの側面外観と蔵
 もともと平屋建てだった離れは、大正末期から昭和初期にかけて2階建てに増築が行われたという。

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 母屋と離れの平面間取り図(現在)
 母屋は、桁行10間、梁間7間半の平屋建寄棟造となっている。
 離れの1階には主人が使っていた座敷や家人の間、北の間があり、2階は、洋間の「貴賓室」と控えの間、水屋のついた座敷で構成されている。
 また、建具や欄間、取手など、資材の吟味やデザインにも建築主のこだわりが行き届き、職人の技が遺憾なく発揮されているのを見ることができる。

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 大きな沓脱石のある1階座敷からの出入り口
 2階貴賓室には鉄製の付けバルコニーがある。

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 離れ座敷には、床の間を背に上段の間が設けられている。

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 離れ座敷正面から見える庭園の様子。

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 階段を上がった踊り場と廊下
 離れ2階は、洋間の「貴賓室」と控えの間、水屋のついた座敷で構成されている。

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 離れ2階の座敷は、上段の間を備えている。

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 離れ2階の座敷の窓からの眺め。

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 離れ2階の洋間の「貴賓室」
 広さは15帖程度で、床は市松模様の寄木張りになっている。

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 貴賓室の南側の欄間には、ハイカラな花鳥のステンドグラスが嵌め込まれている。

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 貴賓室の壁全てには、壁紙として松本家が商なっていた葛布が使われている。
 南には鉄製バルコニーがあり、ここからも掛川城天守を望むことができる。

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 貴賓室の北側の付け書院は、細かい細工の障子戸を通して控えの間と繋がり、その上の欄間には中央に鳳凰、両側に桐を配した透かし彫りがある。

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 貴賓室の北の控の間

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 中庭からの建物の眺め
 左が離れ、右側の母屋は茶の間、仏間、応接室の外観が続く。
 
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 母屋の茶の間の外観

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 母屋の茶の間(天井が高い。)
 離れの廊下は板張りだが、母屋は全て畳廊下となっている。

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 防水パテ処理がされている木製の窓枠には、昭和初期の手吹き歪みガラスが残っている。

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 母屋の茶の間から見た中庭
 茶の間では、広いお庭を眺めながらお茶やコーヒーが飲める喫茶ルーム「竹の丸カフェ 」となっている。
 見学料とセットメニューになっているから、お得感がある。

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 広間と台所、その奥が内玄関


 〇 葛布について

 葛布は、山野に自生する植物の葛(クズ)の茎から採った繊維を糸として織り上げた布で、軽くて光沢があり、独特の風合いがあることから珍重され、江戸時代には武士の使う裃(かみしも)や合羽地などに使用されるなど、遠州地方の特産品としてもてはやされ生産も盛んだったという。

 しかし、明治維新による武士階級の消滅に伴い葛布の消費量が激減し、産地として壊滅的打撃を受けたものの、明治初期以降、国の内外に向けて新たに襖紙や壁紙などの建築資材などへの用途転進を図ることで、ようやく消滅の危機を免れてきた。

 江戸時代から葛布問屋を営んできた松本家がこの邸宅を建ててからしばらくした頃、葛布の新たな用途開拓などのために様々な人たちとの交際・交渉・商談も行われたはずで、そのために必要なステージとして、離れ2階の増改築もなされたのではなかったかと勝手な想像を逞しく広げるのも楽しい。

 現在、「葛布」は、科布(しなふ)、芭蕉布(ばしょうふ)などと並んで、『日本三大古布』の一つとされ、今も掛川では葛布を扱う会社は数軒が残る。

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 デモ用に母屋に置かれた、葛布の手織り機
 
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 葛布の原料となる葛の糸

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 旧松本家邸宅の敷地配置図
 なお、この旧松本家邸宅は、1936年(昭和11年)に松本家から掛川町に寄贈され、以来町の公共施設として利用されてきた。
 平成19年になって、掛川市の文化財指定を受けたことを契機に修復工事がおこなわれ、平成21年から一般公開されている。


〇 二宮尊徳と大日本報徳社の本社

 JR掛川駅の駅前には、少年が薪を背負って歩きながら本を読む姿の、今ではめずらしい二宮金次郎の像が建てられている。
 なぜかは、この後に掛川城竹の丸の旧松本家邸宅を訪れた後に、ようやく判ったことだった。

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 小学校の校庭などではお馴染みの、駅前の二宮金次郎の像

 掛川城の竹の丸地区には、公益社団法人大日本報徳社の本社が置かれている。
 大日本報徳社とは、江戸時代に農村復興運動を指揮した二宮尊徳が、自身の実践の中から得た道徳と経済の融和を目指す、経済学説・思想を体系化した「報徳思想」を、その弟子で掛川藩の大庄屋だった岡田佐平治が普及・啓発しようと1875年(明治8年)に設立した「遠江国報徳社」を起源としている。

 皇室との関係も深く、現在では大日本報徳社を最上部組織とし、その下部組織として全国の各地域、職域に社団法人として「報徳社」が設置されているという。

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 掛川城の竹の丸地区に建つ、大日本報徳社大講堂
 1907年(明治40年)に竣工した公会堂は、現在は大講堂として使用されている。

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 大講堂の大屋根
 2009年(平成21年)に国の重要文化財に指定された。

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 仰徳学寮
 この建物は、もともと皇室の親王の邸宅として明治17年に建てられたもので、昭和13年にこの地に移築され、現在静岡県の有形文化財に指定されている。

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〇 今日の一献 浜松市の珍しい楽器の博物館

―― 「楽器のまち」に古今の世界の楽器が集う 
 
 静岡の3城めぐりで浜松城へ行ったついでに、浜松市立の珍しい楽器の博物館に寄って来た。

 浜松市楽器博物館は、JR浜松駅から北東すぐの旧国鉄貨物駅跡地の開発で建設された「アクトシティ浜松」のDゾーンに、1995年(平成7年)4月に開館した、全国で唯一の公立の楽器博物館で、世界中から収集した1,300点の資料を展示する東洋最大の楽器博物館でもある。

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 浜松市楽器博物館は、東西に長く広がって連続する「アクトシティ浜松」の施設の最も西のDゾーンに位置している。

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 博物館の入口。左にミュージアムショップがある。
 
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 博物館の入口に置かれた、古代ギリシアの竪琴(Lyre)を弾く女性のブロンズ像。

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 第1展示室にはアジア(展示数:300)と日本(展示数:200)の楽器が常設展示されている。
 インドネシアの中部ジャワとバリ島の青銅ガムラン楽器や、バリ島の竹ガムラン楽器およびジェゴグの3つが一堂に揃っているのは、世界でもここだけという。

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 韓国の伝統民族打楽器、ピョンジョン(編鐘)

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 日本では、ビルマ(現在のミャンマー)を舞台とした古い小説『ビルマの竪琴』で有名となった竪琴「サウン・ガウ」で、9世紀頃から王宮や仏教音楽に使用されていたミャンマーの伝統的な楽器。

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 カマンチェ(kamancheh)
 イランの楽器で、ペルシャ語で「弓」を意味する「カマン」から派生した名で弓で演奏する擦弦楽器。棹が胴を貫いており、日本の胡弓もその一つで楽器を回して演奏する。

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 日本の琵琶
 左―薩摩琵琶、中―筑前琵琶、右―平家琵琶
 
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 オセアニアやアフリカ、アメリカ、ヨーロッパの新旧民族楽器などが展示されている第2展示室。

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 ラッパホーン類の展示
 展示台には映像モニタやヘッドホンが設置されており、楽器の演奏音を聞きながら音色や音楽の情景を楽しめるようになっている。

 右の蛇のようにくねくねした楽器は「セルパン」
 フランス語で蛇という意味で、19世紀以降は使われることがなくなった古楽器

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 「アコーディオンのなかま」
 ふいごが付いた鍵盤楽器にも様々なアコーディオンの種類があるようだ。
 
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 フルートを吹く少年の人形
 古今のフルートの展示台の上にさりげなく飾られた人形。

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 第3展示室にはヨーロッパの鍵盤楽器
 チェンバロや19世紀の名工の手によるピアノ(フォルテピアノ) などの世界的名器も展示されている。

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 様々な方式で発明・開発されたアクションの、グランドピアノが展示されている。

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 ピアノとハープとのハイブリットに見える「ジラフピアノ」
 グランドピアノのフレーム部分を、上に立てたデザインのピアノで、その姿がキリンに似ていることからこの名前があるそうだ。

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 小規模な、各種のパイプオルガン

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 展示品を見廻って疲れたら、博物館に隣接してある、明るい色彩のインテルアで開放感のあるカフェレストラン「LOLO 3RD CAFÉ」(ロロサードカフェ)でひと休みするのもお勧め。

 全国的にも珍しい楽器博物館が浜松にあるのも、オルガン製造から始まったヤマハピアノやそこから分岐した河合ピアノ、シンセサイザーのローランド、ギターエフェクタのボス、教育楽器の鈴木楽器製作所などといった楽器メーカーの工場や本社が集中して立地する「楽器のまち」であることによることが大きい。

 ヤマハや河合ピアノが発祥し大きく育ってこれたのは、優れた研究者・職人の存在とその努力があったからに違いないが、わたしが大昔に学校の教科書で習ったことは、「昔から南アルプスの麓から切り出した良質な木材が、天竜川を使ってこの地域に運ばれており、浜松は木工業も盛んだったことから、ピアノの筐体・部品製造のための良質な材料や職人の確保ができた。」ことにもよるということだった。

アクトシティ浜松01

 アクトシティ浜松の全容

 この施設は、JR浜松駅北東の駅隣に、複合商業ビルのアクトタワーを中心に、総工費1,664億円((浜松市664億円、民間 1,000億円)をかけて1994年(平成6年)10月(Dゾーンは1995年4月竣工)に建設されたもので、AゾーンからDゾーンの4つから構成されており、浜松市のシンボルともなっている。

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 アクトシティ浜松の一部、アクトタワーとホール施設












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