〇 今日の一献 早春の日本一の『星が最も輝いて観える場所』の長野県阿智村

―― 星空観望と『中馬ぬくもり街道ひな祭り』との昼神温泉郷に泊って

 『星が最も輝いて観える場所』として名高い長野県野阿智村の星空観望に行ってきた。
 昨年来、星の観望のために恵那や阿智村に通ったが、天候に恵まれずついぞ望みがかなっていなかった。

 今回は、ちょうどこの期間、当地方では『中馬ぬくもり街道ひな祭り』が開催されていたので、昼間はひな祭りを見て、夜になって星空観望をしてついでに温泉に入ろうという算段だった。

  『中馬ぬくもり街道ひな祭り』は、江戸時代に馬による荷駄の運送(中馬)で栄えた南信州と三河を結ぶ飯田街道(中馬街道)沿いの5市町村(飯田市~阿智村~平谷村~根羽村~愛知県豊田市稲武・足助地区)で、街道沿いの商店や民家などに、もともと各家に伝わってきたおひなさまを飾って行われている。

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 昼神温泉の旅館、石苔亭「いしだ」の能舞台に飾られたお雛さま

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 石苔亭「いしだ」の吊ひなは迫力があって立派だ。

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 昼神温泉の癒楽の宿「清風苑」のロビーに飾られた、昭和初期の御殿飾りひな

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 『中馬ぬくもり街道ひな祭り』の案内パンフレット
 このパンフレットの地図を見ながら、各施設に飾られたおひなさま見物をはしごするのも楽しい。

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 保養センター「尾張あさひ苑」の江戸時代後期の内裏雛

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 平谷村の土びな

 開催期間:2016年3月1日(火)~4月3日(日)
 ただし昼神温泉地区は、2016年2月1日(月)~4月3日(日)


―― 日本一の『星が最も輝いて観える場所』での星空観望

 長野県阿智村は、環境省が認定する平成18年度「全国星空継続観察」―星が最も輝いている観える場所―の第一位に選ばれている。

 昼神温泉は、1973年(昭和48年)に当時の国鉄中津川線のトンネル工事のボーリング中に、温泉が湧出したことから発展した比較的新しい温泉地で、pH9.7のアルカリ性単純硫黄泉の泉温44.0 ℃の温泉は、美肌にも効果があるとされている。

 中央自動車道で中京圏と直結しアクセスに優れることで、温泉発見から20年間で急速に発展したものの、周辺にはライバルの温泉地も多く近接地に特に魅力のある観光地も無かったことから、次第に来客数は減少傾向を辿っていた。

 こうした中、危機感を深刻に抱いた地元関係者の発案により、2012年7月から星空を鑑賞する「天空の楽園 日本一の星空 ナイトツアー」のイベントなどが開始され、春に咲くこの地に植えられた5,000本の花モモとともに、新しい魅力を備えた観光地に生まれ変わった。

 標高410mから2,191mまでの山間地の当日は、夜間の気温はマイナス1℃だった。

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 北方向の星空―北極星と大熊座(北斗七星)付近

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 北極星を中心に左にカシオペア座と右に大熊座(北斗七星)

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 南方向の星空―オリオン座付近

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 オリオン座の左付近(冬の大三角形)
 上にはふたご座、下に大犬座が見える。
 大犬座の足元の点滅しながら移動する光跡は、中部国際空港へ着陸する航空機の航跡。
 南信州は、頻繁に飛ぶ航空機の航路となっており、星野観測の邪魔になることが多い。

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 南から西方向の星空―オリオン座の右におうし座があり、スバル(プレアデス星団)が見える。

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 ゴンドラで上る標高1,400mの観望地『ヘブンスそのはら』は、「恋人の聖地」に選定されている。(以前訪ねた雨の夜の画像)

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 昼神温泉郷の夜景

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 夜明け前のホテルのベランダからの観望

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 夜明け前の阿智村のへびつかい座

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 昼神温泉郷の朝の情景

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 昼神温泉の中央部を流れる阿智川

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 3月中旬とはいえ、山の中の温泉郷の春はまだ浅い。

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 ようやく咲き揃った福寿草

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 春を告げるフキノトウ

 現在、梅がようやく開花を迎えたところで、この山間の谷筋の春は遅い。
 これから、有名な花モモや桜の季節へと進んでゆく。

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 阿智村のマンホールの蓋
 中央にアヤメの花をデザインし、周囲にACHI VILLAGE SEWERAGE(阿智村下水道) とある、カラー版の汚水管マンホールの蓋。


 国から「日本一の星空」の選定を受けたものの、日頃綺麗な星空を見慣れた地元の人々にとっては、当初はこれが観光客を誘引する強力な観光資源になるものとは思いもよらなかったようで、イベントへの協力の取付けなどの説得には相当の苦労があったようだ。

 疑心暗鬼のうちに始まったイベントは、2012年の「天空の楽園 日本一の星空 ナイトツアー」のイベントで6,500人の参加者を数えたが、順次増加傾向を辿り2014年には3万3,000人へと大きく成長してきた。

 いまや、この星空観望と春の花モモの観光などとあわせて人気観光地となり、昼神温泉郷の年間観光客は20~25万人までに復活した。

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 名古屋駅前で4月16日からの「天空の楽園 日本一の星空 ナイトツアー」のイベント開始をPRする、宣伝装飾。

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 名古屋駅前メンズ館のナナチャン人形が阿智村の星空をプリントしたコスチュームを着ている。

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 ゴンドラに乗って標高1,400mの観望地『ヘブンスそのはら』に上り観望する、2016年のナイトツアーは10月15日(土)まで。
 ただし、昼神温泉のナイトツアーは、冬季を除き年間を通じて開催されている。








〇 今日の一献 アイレスフレックス Z型とオリンパス・ズイコーレンズ

―― AからZのイニシャル名のうちの(仮の)最初のカメラ

 前にも書いたけれど、二眼レフカメラは、我が国の戦後の一時期にカメラの一大ブームを巻き起こしたが、それらのカメラの名称をAからZまでのイニシャル順に並べたら、120種類もあったそうだ。(別表参照)

 以前には、その最後に位置するZENOBIA Frexを紹介したので、ここではその最初の栄誉を担うべきAで始まるイニシャルを持つカメラを紹介しようと考えて、この最初となるべきACCURA Frexや次のAMI Frexを時間をかけて探してみたが、どうしても手に入らない。
 だから割と入手し易かった3番目に位置するだろうと思われる、AIRES Frex(アイレスフレックス)を(仮の)最初のカメラとして、「その上、五十音順では正しく最初になるはずだ。」との詭弁をお許しいただきながら紹介する。
 
 ついでに、セールストークを駆使して誇らしく書かれていて興味深い、当時のアイレスの宣伝カタログが入手できたので、『』内で紹介しておく。

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 『魅力再発見・二眼レフ』
 写真工業8月号別冊(2006年7月)から


 このカメラは、その希少性で幻のカメラとさえ言われる35㎜判二眼レフ「ヤルーフレックス」を開発したヤルー光学(1949年設立)を前身として、1950年8月に設立されたアイレス写真機製作所(アイレス)が1951年9月に発売したアイレスフレックス Z型だ。

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 ブームで競争相手の多かった二眼レフの差別化を図るため、当初『世界に誇るレンズ界の王者』として定評のあった日本工学のニッコールQ.C. 75mmF3.5レンズを装着して発売された。

 レンズを供給した日本工学では、当時二眼レフの開発を社内で検討したものの結局発売することはなかったが、供給にあたって日本工学の製造基準を要求したことから、このカメラはローライコードⅢ型の近似モデルとして精度の高い高品質のカメラに仕上がっているという。

  『その精度、外観に最高の工作をもって製作されており、完成したカメラは厳密に一台ずつ細部まで検査を行ったうえ、皆様方に提供されております。』

 しかし、この頃はレンズの原料である硝材不足から、ニッコールレンズの供給が十分でなく滞ったこともあったことから、このZ型には他にオリンパスのズイコーレンズ付きと昭和光機製(後に合併)のコーラルレンズ付きとの3種類が発売された。
 
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 アイレスフレックスのカタログ(価格表)
 Z型に付けられたレンズによって値段が違った。
  ニッコールレンズ(3群4枚構成)付き 42,000円(1951年9月発売)
  ズイコーレンズ(3群4枚構成)付き 33,000円(1952年6月発売)
  コーラルレンズ(3群3枚構成)付き 30,000円(1952年7月発売)


 このうち、わたしのアイレスフレックスZ型にはズイコーレンズが付いている。


〇 レンズとシャッターの機構
 オリンパス・ズイコーF.C. 75mmF3.5レンズは、全面単層コーティングされたテッサータイプ(3群4枚構成)で、当時は国内レンズのうちでもその描写のシャープさで定評があった。

 『国産第一級レンズとして、オリンパス光学工業が自信を以て制作した三群四枚構成の優秀レンズ』

 しかし現在では、このレンズの宿命ともいえる経年変化によるコーティングの劣化により、多くのクラカメ使いが嘆く「ズイコー曇り」という白濁が発生し、人間の眼でいう白内障に陥っているものが多い。

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 このレンズも御多分に漏れず、第3群の第1レンズの表面に白濁が認められ、その上ビューレンズの焦点不調があったので、レンズを分解して酸化ケイ素で処理するとともにピント調節を行った。
 
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 シャッターは、セイコーシャのSEIKOSHA-RAPIDで、シンクロ接点はドイツ式接点。
 
 『精工舎が長い歴史と技術を以て完成した此界第一級のシャッター』

 速度は Bと1から1/500秒まであるから、現在も実用には十分だが、惜しむらくは、下級機のU型のコパルシャッターには付いていたセルフタイマーはない。
 絞りは、f3.5、4、5.6、8、11、16、22。

 機能が近似するとはいえ、ローライコードⅢとは異なるところは、シャッター速度と絞りの表示はレンズ周りのだるま型カバーの表面に、数字が刻まれているから選択は明快だ。
 また、撮影には、鏡筒の下にあるシャッターレリーズレバーでチャージしておいてから、別に本体表面の右下にあるレリーズボタンを押して行うから、カメラぶれ(シャッターぶれ)の発生は少ないと思う。

 このレリーズボタンがない本家ローライコードシリーズでは、シャッターレリーズレバーの往復でシャッターを切るが、カメラぶれを防ぐためには別売りだったアダプターを手に入れ、シャッターレリーズの穴に装着して使うことになる。

 『Z型は、フード、フイルター、アタッチメントの規格品を確実に着装できるように、バヨネット式装着となっています。』


〇 焦点調節とフィルムの装填・巻上げ機構
 ピント合わせは、ファインダーフードを開けて擦りガラスのレンジファインダーを覗きながら、右側にある焦点調節ダイヤルを回して鏡筒を前後に繰り出して行う。

 『ファインダーフードは片手開きで開閉し、且つ透明ファインダーが装着されております。』

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 ボディ右には焦点調節ダイヤルとフイルムの巻き上げダイヤル、カウンターがある。


 ファインダーはそっけない擦りガラスだが、折り畳まれたルーペをセットすれば、ルーペ周りの蓋がファインダーをカバーして外光を防ぐ工夫がされているからピント合わせは容易だが、このクラスの機種ではファインダーにもう少し工夫があってもよかったのではないだろうかと思う

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 ファインダーはそっけない擦りガラスだ。
 折り畳まれたルーペをセットすれば、ルーペ周りの蓋がファインダーをカバーして外光を防ぐ工夫がされている。


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 フィルム装填は容易だ。
 裏蓋の開閉は、カメラの底にある三脚穴のあるダイヤルに付いた金具を「O(開)」の矢印方向へスライドしてからロックを外して行う。ロックの場合には、「C(閉)」方向へスライドさせる。

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 『裏蓋止は二重にして、完全遮光と補強が図られています。裏蓋止装置もカム式により完全かつ堅牢です。』

 フィルムの巻き上げは、ボディの右の大型ノブを回して行う。
 フィルムは下から上へ移動するから、120ブローニーフィルムを下室内に装着し、フィルムの端を上に付けたフィルムの芯の巻取り溝に通して巻き取る。

 この時、フィルム室上部の奥にある歯車は、巻き取られていくフィルムに合わせて回転し、コマの移動量を検出してカウンターを進めながら自動停止する役割を果たしている。

 フィルムの装填後、まず最初に巻取りノブの中心にあるフィルム停止解除ボタンを押しながらフィルムを巻き進め、フィルム室のレールの両端にある赤点とフィルムの裏紙に描かれたスタートマークを合わせてから裏蓋を閉じる。次に、フィルム停止解除ボタンを押しながら、その脇にあるカウンター解除ボタンをスライドしてカウンターにスタートの「S」を出して解除しておく。

 その後、再度フィルム巻き進めれば、コマの移動量を検出してカウンターに1が表示されて巻取りが自動的に停止するから、従来機のような裏蓋に開けた赤窓は必要なくなって光線漏れの恐れがなくなり、速写性も高まった。(セミ・オートマット機構)

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 フィルム室のレールの両端には、スタートマークを示す赤点が刻まれている。
 ビディが、下位機のU型やYⅢ型と共用しているから、本来ならばこのカメラの価格からして、レンズ室の壁には、廉価版のリコーフレックスの後期型でも試みられた乱反射を防ぐ溝や、高級機に標準装備されていたバッフルがないのは残念だ。

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 『堅牢、精密なダイカスト・ボディーで、赤窓を有せずフィルムのリーダー・ペーパー上の三角点を利用する自動巻き取り装置を完成しています。』


アイレスフレックス 01-20160200


 ○ 本体のアクセサリー

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 このカメラの背には、英文で天候・季節・時間に合わせた簡易露出表のプレートが付けられている。

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 ピントフードには、アイレスカメラのロゴマークが付けられている。


○ 使用にむけての整備
 ところで、このカメラがわたしのところへやってきたとき、巷間評判の芳しくないズイコーレンズの例にもれず、このカメラの撮影レンズにも曇りが認められ、また前の所有者が何らかの分解調整を行ったからか、ビューレンズの焦点不調があった。

 これまで「ズイコー曇り」の悪評から避けてズイコーレンズの写りを体験したことがなかったわたしは、何とか使えないものかとシャッターのダルマカバーを外してレンズを分解して酸化ケイ素で研磨処理したが、幸いその曇りは軽いものだったから大きくオリジナルを毀損しなかったと思う。また、後ピンとなっていたビューレンズのピント調節も割と簡単に終えることができた。

 この記事の最後にこのカメラで撮影した画像を掲載したので、ご覧いただきたい。

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 前面プレートの貼皮を剥がしてシャッターのダルマカバーを外せば、上下のレンズやシャッターの分解整備の工程に迫れる。


〇 アイレスフレックスZ型の主な仕様

アイレスフレックス 02-20160200


〇 アイレスフレックスZ型の取扱説明書と宣伝広告
 
 「アイレスフレックスの使い方」
 アイレスフレックスZ型の取扱説明書の抜粋

資料 アイレスフレックス00

資料 アイレスフレックス01

資料 アイレスフレックス02

 アイレスフレックスZ型などの宣伝広告
 「正確な工作と測定によって生まれた!アイレスフレックス」
 1952年のアサヒカメラ誌上に掲載

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 アイレスフレックスの宣伝カタログの一部

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 アイレスフレックスの英文宣伝カタログの一部

00米国資料 アイレスフレックス00


〇 撮影例

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 ドーム内径35mで世界一の名古屋市科学館のプラネタリウム・ドーム
 Olympus Zuiko F.C. 75mm F3.5

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 名古屋市内の白川公園にある市立科学館
 Olympus Zuiko F.C. 75mm F3.5

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 名古屋市科学館のB6型蒸気機関車
 1904(明治37)年のドイツ・ハノーファー社製
 Olympus Zuiko F.C. 75mm F3.5

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 下町から見たJR名古屋駅方面
 Olympus Zuiko F.C. 75mm F3.5

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 ビル街に設置されたストリートアートの銅像
 Olympus Zuiko F.C. 75mm F3.5



 ところで、「ズイコー曇り」というのは、本来透明なはずのレンズが、磨りガラスのように白濁してしまうことだが、人間の眼の病気では白内障という。

 わたしが50歳代に入ったころ、日常もとみに眼の見え辛さを感じるようになり、掛けている近視メガネレンズの度を強く変えるなどしても改善することはなかった。
 あるとき、学生たちの前で話をする機会があったが、用意する原稿ノートの文字を24ポイントにしなければ判読できなくなって、ようやく眼科で受診した結果は、両眼ともに白内障との診断だった。

 ズイコ―レンズのようにコーティングの劣化だけであれば、今回のように表面を研磨すればよいけれど、老化などによる眼のレンズの白濁治療は、手術でレンズを交換することになる。

 かくしてレンズ交換の手術を受け、ついでに近視対応の多焦点眼内レンズにしたことで、おかげで中学校入学以来の長期にわたって使ってきたメガネが必要なくなり、その長年の煩わしさから見事に開放されることとなった。






〇 今日の一献 『天地明察』の渋川春海の没後300年記念展を観た

―― 国立科学博物館の企画展「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」

 今日は、太陽暦の4年に1度のうるう年の2月29日だった。
 久しぶりに昨日まで、関東方面へ行ってきた。
 いつも東京へ行くと、時間を見つけてあてもなく上野山を訪れることに決めているから、今回も帰りに寄ってきたのだった。
 
 ご存知の通り、上野の山には動物園やら国立博物館、美術館など様々な文化施設や歴史が集積しているから、ろくに調べもせず訪れれば、今回のように西洋美術館や黒田記念館、奏楽堂などが休館中だったりするけれど、気楽なもので、その時は他を訪ねればよいのだと考えている。
 (それは、どこへ行ってもわたしにはいつも新鮮で、興味深いところばかりだからだ。)

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 実物大の巨大なシロナガスクジラのモニュメントが目立つ国立科学博物館の本館(日本館)

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 閉鎖されている正面玄関を通して、D51機関車の展示が見える。
 (D51形蒸気機関車231号)


 今回訪れた国立科学博物館は、脇にある巨大なシロナガスクジラのモニュメントをしばし見上げてから、入り口のD51機関車を眺めながら入館した。
 わたしの年齢となると、65歳以上は入館無料だというから、これはありがたかった。

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 展示室ホールの吹き抜け天井
 本館(日本館)中央ホールの吹抜けドーム天井やステンドグラスが美しい


 1階の企画展示室では、ちょうど江戸時代の天文学者、渋川春海(1639~1715年)の没後300年を記念して、日本の科学技術者展シリーズ第11回「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」が開催されていた。

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 1階の企画展示室の「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」展の入り口

 もともと幕府の囲碁指南だった安井算哲が、将軍家光の異母弟保科正光や水戸光圀などとの親交を通じて、幕府の命により各地での天体観測と算木で計算を行いながら新しい大和歴である『貞享暦』(1685年施行)を完成させ、後に渋川春海と改姓した算術と天文好きの男の生涯を描いた小説、冲方丁の『天地明察』(2010年『本屋大賞』受賞)を以前に読んでいたから、天文好きのわたしにとっては、これは偶然の僥倖として少々興奮ぎみで観てまわった。

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 企画展「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」の宣伝チラシ

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 江戸時代の天文学者、渋川春海の事跡展示コーナー


 日本では、平安時代から800年にわたって中国の暦(太陰太陽暦「宣明暦」)が使われてきたが、長い年月を経て、庶民にも分かる天体現象である月食や日食の予報が外れるなど誤差が大きくなっていた。
 このため幕府は渋川春海に命じて、わが国に合った日本人の手による最初の暦、『貞享暦』(1685年施行)の編纂がなされた。

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 我が国最初の天文学者といわれる渋川春海が完成させた『貞享暦』の 1729年(享保14)年版の暦

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 渋川春海が作成した、紙張子製の天球儀(1697年)と地球儀(1695年)


 春海以外の人々として、吹上御苑で天体観測を行い自ら簡天儀などを製作した第8代将軍吉宗や西洋の天文学を取り入れた『寛政暦』を作った大坂の高橋至時や日本地図の伊能忠敬など、市井の天文暦学家の事績資料がわかりやすい説明付きで展示紹介されている。

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 第8代将軍吉宗が作らせた吹上御苑の新天文台

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 緯度や経度を測り地球の大きさを測ろうとした伊能忠敬が行った、夜間天体観測を示した『浦島測量之図』
 
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 土星や木星などの星のスケッチや月齢などの早見表を解説した、上方の岩橋善兵衛が著した『平天儀図解』1802年(享和21年)

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 江戸時代の天文図(星座表)

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 江戸時代後期に数々の望遠鏡を制作し、京都でわが国初の望遠鏡を使った天体観望会を開催した岩橋善兵衛の家に伝わる望遠鏡

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 日本の暦(和暦)の移り変わり


 渋川春海が完成させた『貞享暦』(1685年施行)も、以降年月を経て誤差が拡大していったことから、幕府により『宝暦暦』(1755年施行・貞享暦より出来が悪かった。)や月や太陽の運行に楕円軌道法などを採用した高橋至時の『寛政暦』(1798年施行)、世界でもっとも精緻な太陰太陽暦といわれる渋沢景佑が編纂した『天保暦』(1844年施行)へと改暦が行われた。

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 高橋至時や伊能忠敬、渋沢景佑など、わが国の天文暦学者である人々の生没・師弟関係図。

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 太陰太陽暦の仕組み


 この展示を観ると、平和の時代となった江戸時代の人々の天体の運行などの自然に対する旺盛な知識欲と好奇心に驚かされるとともに、普段わたしたちが何気なく使っている『暦』の重要性に改めて気づかされるものだった。

 なお、明治6年(1873年)、我が国は世界に合わせて暦を『太陽暦』(グレゴリオ暦)に改め、現在に至っている。

 この企画展示は、3月6日(日)まで。

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 冲方丁の『天地明察』(2010年『本屋大賞』受賞)と展示会のブローシャー


● 国立科学博物館について

 国立科学博物館は、東京都台東区の上野公内にあって、1877年に創立された国の教育博物館の系譜を引き継ぐ、自然科学に関する資料407万5991点を収蔵する国立の科学博物館だ。
 1923年9月に発生した 関東大震災による火災で博物館の施設と資料のすべてを失うが、関係先からの資料の寄贈を集め、早くも1926年11月には別館が竣工し開館する。
 
 メインの建物である本館(現在の日本館)は、当時の文部省大臣官房建築課の文部技師糟谷謙三による設計により、1930年12月に竣工したネオ・ルネサンス様式の美しい建物で、2008年6には重要文化財に指定されている。

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 正面玄関から入った中央ホールは、天井まで吹き抜けとなっており、漆喰による装飾と明り取りのステンドグラスが美しい。
 また壁や階段にはモザイクタイルの装飾や大理石がふんだんに使われており、国の威信をかけて建設されたことが分かる。

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 洋風の建物の明り取りのため、壁の随所にステンドグラスが使われており、華やかさが感じられる。

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 階段部分などには、東洋的なデザインの法輪をモチーフにした、透かし金具が付けられている。

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 最上階の3階天井は、自然光を取り入れる金網入りの強化ガラスの明り取り窓が設置されている。(現在は、紫外線を避けるために人工照明となっている。)
 ボランティア説明員の女性によると、オリジナルのガラスの金網は亀甲形だったけれど、制作する職人が居なくなって、新しい部分の金網はひし形になっているという。

 ここには、国内で初めて発見された首長竜、「フタバスズキリュウ」の復元骨格が天井から吊るされ、川床からの発見時の産状レプリカや実物化石標本などが展示されている。

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 アンモナイト類の化石資料(日本館 3階)
 





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