〇 今日の一献 伯爵夫人と銘々されたカメラ コンテッサ35

―― 金属質の妖しく光り輝くコンパクトなそれは、高貴な気品さえ醸し出す

 紅葉を訪ねて京都の西部、嵐山方面へ行ってきたが、まだもみじの見ごろには早かった。
 足利尊氏が日元貿易で稼いだ金で建立した天龍寺で、竹林をコンテッサ35(Contessa35)で撮っていたら、メガネをかけた赤ひげの長身の外人が親指を立てて何か言いそうだったから、こちらもとりあえず親指を立ててお返しをした。
 それで立ち去ろうとしたら、その彼が自分の一眼レフカメラを指差しながらニヤリと笑ったからよく見ると、Zeissだった。
 「ドイツ語が話せないんだワ。」と言ったら、文法が?間違っていたらしく、首を傾げていたが、、、。

 まあ、自分の国でかつて製造された古いカメラを、旅先の異国でいまだに使っている輩を見ると、やはり妙な親近感が沸くのが万国共通のカメラ使いの性のようだ。

 35㎜距離計連動式コンパクト蛇腹カメラ Contessa35は、旧西ドイツの精密光学機メーカーのツァイス・イコン社のコンパクトカメラで、ドレイカイルプリズム式連動距離計を搭載したブローニーフィルム6×6版の蛇腹式カメラ、スーパイコンタ6の設計コンセプトを引き継いで、135タイプの35mmフィルムカメラとして完成させたカメラだ。

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 第2次大戦後にツァイス・イコン社が最初に発売した35mmフィルムカメラは、距離計無しモデル Ikonta 35と非連動距離計付きの Contina。1950年には連動距離計と露出計を装備した Contessa 35が発売され、これらを合わせて「コンテッサ三姉妹」とも呼ばれる。

 このカメラの名称「Contessa」は、イタリア語で伯爵夫人を意味するそうで、蛇腹を折り畳めば女性の手に収まるほどにコンパクトになり、鏡筒を中心にファインダーとセレン式受光窓を左右に配した姿はシンメトリーのデザインにまとめられ、ニッケルメッキの妖しく光り輝くボディはおしゃれで、伯爵夫人の名にふさわしく高貴な気品さえ醸し出している。

 また、このカメラに付属した取扱説明書の濃紺の表紙には、当時の先端フアッション姿の女性が白色のエスキースで描かれていることからも、やはりこのカメラの使い手が女性であることを強くイメージしているのだと思う。

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〇 レンズとシャッターの機構
 レンズは、ツァイスが誇るオプトン T Tessar 45mm の明るい f2.8(3群4枚構成)が付いている。レンズ周辺に描かれた赤字でTのマークは、ツァイス独自のTコーティング処理が施されていることを示し、オプトン T Tessarは、解像の切れ味が鋭い描写と発色・コントラストとも評価が高かった。

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 このカメラのシャッターは、SYNCHRO-COMPURでシンクロ接点がMX切換え式となっているから、1953年から発売された後期型だ。(前期型は、Compur Rapidで、シンクロ接点X)
 速度は B、1、1/2、1/5、1/10、1/25、1/100、1/250、1/500秒。
 絞りは、f2.8、4、5.6、8、11、16、22。
 前面向かって鏡筒の左上にある小さいノブを上げてシャッターチャージし、隣の大きなバーを下してシャッターを切る。

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〇 露出計の機構
 カメラの前面左にはセレン光電池の受光部窓が配置されており、通常の屋外では隙間のある蓋を閉じて受光するが、室内など暗所では蓋を開けて測光する。

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 受光部上の軍艦部に、セレン光電池により起電した電流を測るメーターとフィルム感度目盛(6-400 ASA)のノブが設置されている。

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〇 焦点調節とフィルム巻上げ機構
 鏡筒の上には、折り畳み式蛇腹カメラの距離計の問題を回転する楔形のプリズムで解決した、ツァイス独自の定評のあるドレイカイルプリズム式連動距離計の対物レンズが角のように突き出している。
 だからピント合わせは、一眼式のレンジファインダーを覗きながら、鏡筒前部にある焦点調節リングを回すと回転する、第一群のレンズの前後で行う。

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 ファインダーは明るく、黄色のブライトフレームが浮かび上がっており、フレーム中央の二重像を重ねることでピント合わせを行う。
  
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 フィルムの巻き上げは、左下部の大型ノブを回して行う。巻き戻しは、巻き上げノブ中央にあるボタンを押して逆転ロックを解除しながら、右の大型ノブを回しながら巻き取る。

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 以上の操作で撮影することから、このカメラは決して機動性や速写性能には優れてはいない。
 むしろその操作手続き自体を優雅な気分と動作で、一枚一枚の撮影をゆっくりと楽しむためのカメラであり、せっかちな人にはお勧めできない。
 しかし、このカメラの写りは、決して期待を裏切ることはないと思う。

 裏蓋の開閉は、左角にあるレバーを引き下ろしロックを外して行う。Contessa 35は普通のカメラと違って、右から左へフィルムが移動するから、35㎜フィルムのパトローネは右室内に装填し、巻取りスプロケットは左にあるが、あとの作法は普通のフィルムカメラと同じだ。

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 なお、フィルムレールの下部にある二つの画車は、フィルムのパーフォレーション(穴)に噛み合って、コマの移動量を検出するとともに、二重露出防止機構の役割も果たしている。


○ Contessa 35のアクセサリー
 何に使うのか不思議なアクセサリーパーツとしては、カメラの裏蓋の下に付いている引き出し式の金属のヘラ(箆)がある。
 これは前蓋縦開きのツァイス・スーパイコンタ6にも付属する部品だが、カメラの前蓋を開いてレンズを引き出して台の上に置いたとき、前蓋の厚みでカメラ本体が少し上を向いてしまうから、その高さの差を補いカメラを水平に保たせるよう工夫されたヘラなのだ。
 収納は、矢印に従って少し右へ傾けロックを外しながら押し上げること。

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 レンズにコーティングがされていなかった時代のクラッシクレンズには必須のフードだが、コーティングされていてもフードがあれば撮影にはより心強い。
 このカメラにはレンズ保護のフィルターも付いていた。

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 お洒落なカメラは、皮ケースのデザインも相当凝ったものだった。

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〇 Contessa 35の取扱説明書と宣伝広告
 人気機種だったそうだが、今では現存するこうした消耗品は少ない。

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 Contessa 35の取扱説明書の表紙(表裏)
 「コンテッサ三姉妹」のうちで最高級のフラッグシップ機で、女性の感性を意識したお洒落な装丁だった。

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 ドイツ語版の取扱説明書の一部

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 英語版の取扱説明書の一部

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 ツァイス・イコン社製品の宣伝広告

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 Contessa 35を解説する英文記事



〇 撮影例

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 京都天龍寺の竹林
 オプトン T Tessar 45mm f2.8

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 紅葉が進む京都天龍寺の庭園
 オプトン T Tessar 45mm f2.8

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 化野念仏寺の石仏群
 オプトン T Tessar 45mm f2.8

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 JR名古屋駅前のモニュメント「飛翔」
 オプトン T Tessar 45mm f2.8

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 ハローウィンの飾り物
 オプトン T Tessar 45mm f2.8

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 彼岸花(曼珠沙華)
 オプトン T Tessar 45mm f2.8















〇 今日の一献 ぶらりと散歩「円頓寺秋のパリ祭2015」と四間道を訪ねて

―― パリの老舗商店街と姉妹提携した名古屋市西区の円頓寺商店街

 名古屋市内に現存する商店街で最古にして、夏の七夕祭りでも有名な西区の円頓寺(えんどうじ)商店街が、秋のパリ祭りを始めてから3回目の今年、パリの老舗商店街「Passage des Panoramas」と4月に姉妹提携してから初めての「秋のパリ祭2015」(11月7、8日)が開催された。

 フランス骨董や雑貨の店、crêpeなどのテイクアウトの屋台が並び、パリの下町の音楽、アコーデオンの音とシャンソンの歌声が情緒を掻き立て、あいにくの雨だったにもかかわらず、若い人たちを中心に、多くの人出で賑わっていた。

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 「円頓寺秋のパリ祭2015」のブローシャー

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 秋のパリ祭の人出で賑わう円頓寺商店街

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 パリの音楽といえば、アコーデオンの音がが欠かせない。

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 喫茶・レストランではシャンソンの歌声が情緒を掻き立てる。

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 フランス骨董や雑貨の店、crêpeなどのテイクアウトの屋台が並ぶ。
 人形の頭の裏にある紐を引く毎に、目が3段階に変化する珍しい人形だ。

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 なつかしい、パリの修道院の幼い院生のお話の絵本『マドレーヌ』も販売されていた。

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 フランス人だろうか、ローカルの人々に混じって紅毛碧眼の外国人の姿も目立った。

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 円頓寺商店街の位置
 パリ祭2015にあわせて様々なイベントが開かれた。

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 「円頓寺秋のパリ祭2015」のブローシャーから
 

 円頓寺商店街は、名古屋市西区那古野にある。1724年(享保9年)の大火で焼失しこの地に移転した、日蓮宗の寺院「長久山圓頓寺」の門前町として形成された円頓寺筋に広がる商店街だ。
 飲食店、食料品、家庭用装飾・日用品の店が多く、市内西北部唯一の盛り場として賑わっていたものの、市電の廃止など交通機関の変化により1955(昭和30)年代以降は衰退してきた。

 近年、隣接する城下町の面影を残す四間道地区や、名古屋駅からも近いという立地を生かした様々なイベントで知名度を上げながら、賑わいを取り戻しつつある。

 今年(2015年)3月、アーケードをリニューアルするとともに、4月2日には、フランス・パリの商店街「パッサージュ・デ・パノラマ」と姉妹提携を行った。


● パリの老舗商店街「Passage des Panoramas」(パノラマ・アーケード)
 1799年からのパリ市内の最初の商店街で、パリ・2区の北のモンマルトル大通りから南のサン=マルク通りを接続する全長133mのアーケードに、活版印刷店や絵葉書商、切手商、レストランなど60店舗以上が軒を並べる商店街で、フランス歴史建造物の登録を受けている。

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 「Passage des Panoramas」のパンフレット

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 パリの老舗商店街「Passage des Panoramas」には60店舗以上が軒を並べる。



〇 堀川の五条橋と四間道の町並み
 円頓寺商店街に行ったついでに、久しぶりに商店街の東隣にある、堀川の五条橋と四間道の町並みをぶらぶら歩いてから帰った。

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 17世紀初頭の名古屋城築城の際に、運河として名古屋台地の西端に沿って南北に開削された堀川に架かる「五条橋」は、清洲越し時に清洲城下の五条川に架けられていた橋を移築したもので、「堀川七橋」の一つで最も上流に位置している。

 四間道(しけみち)は、1700年(元禄13年)の城下の大火の後、尾張藩が堀川西沿いにある商家の防火と商業活動のために、通りの東側に石垣の上に土蔵を建てることを奨励するとともに道路幅を四間(7メートル)に広げたことから、この名前がついたといわれ、現在も古い町屋や土蔵の街並みが城下町の名残をとどめる。
 名古屋市『街並み保存地区』(1986年)に指定されている。

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 古い町屋や土蔵の街並みが城下町の名残をとどめる四間道

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 いまも古い町家の屋根に残り、信仰を集める屋根神さま
 
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 四間道の南、中橋の袂にある浅間神社(1647年創建)
 石の鳥居の右先が、右にある民家の2階の壁に突き刺さっている。


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 エリアマップ付きフリーマガジン「ポゥ」(Paw)
 2005年創刊の縁側妄想会議編集室が発行する下町情報誌。
 主に名古屋市西区那古野の商店街「円頓寺」界隈を中心に、古き良き歴史や町並みから新しきおもしろき店情報、お祭りやまちづくり、イベントなどを掲載するフリーマガジン。
 (「ポゥ」(Paw)とは、ネコなどの足裏の肉球を意味する。)

  あるく下町情報誌「ポゥ」の縁側日記
  http://pawnet.blog35.fc2.com/


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 大正ロマンをイメージしたインテリアと着物袴姿のウエイトレスのおしゃれな店。ノリタケのおしゃれなカップで飲む珈琲の味は、まずまず。限定20食のランチもお勧めとか。

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 café Dinining『月のうさぎ』
 四間道の浅間神社近く
 名古屋市西区那古野1-30-15-2
            052-571-9622
 定休日:火曜日、第1、3月曜日


 帰り道、おかげでパリに触発されてしまったか、「Flの彼女が居るうちに、行きたいネ。」とパートナーからリクエストが出てしまった。


 驚くべきことだが、
 円頓寺「秋のパリ祭2015」(11月7、8日)が開催された6日後の11月13日のフランス・パリの夜(日本時間:14日の朝)、死者128人、負傷者349人にものぼる凶悪な同時多発テロ事件が発生した。
 犯行は、犯行声明を出したIS(イスラム国)と見られ、憤りを感じるとともに、この事件で犠牲となった方々に対して心から哀悼の意を表したいと思う。




〇 今日の一献 本陣、旅籠屋、商家と揃って残る唯一の宿場町「二川の宿」を訪ねて

―― お得な「JR名古屋⇔豊橋カルテットきっぷ」(豊橋~豊川・二川)を使って

 愛知県の豊橋市東南部にある二川は、江戸時代には天領で、旧東海道第三十三次の宿「二川の宿」(ふたがわじゅく)として、当時は本陣や脇本陣とともに旅籠屋が30軒ほど存在し、参勤交代や旅人の往来で栄えたという。

 1896年(明治29年)に東海道本線の二川駅が開業したが、駅の位置が宿場町の西端で中心からもかなり離れており、このため周辺開発がほとんど行われなかったことから、おかげで現在も旧東海道沿い2kmに、本陣を始め旅籠屋などの町並みが旧宿場町の面影を色濃く残している。

 今年(2015年)11月1日から商家「駒屋」が一般公開され、ここ二川宿は、本陣、旅籠屋、商家の3ヵ所を一同に見学できる全国で唯一の宿場町となった。

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 江戸時代の絵師、歌川(安藤)広重が描いた『東海道五十三次』の宿「二川(猿ケ馬場)」の版画
 この絵は二川宿の入口付近の情景で、姫小松の野が広がっているだけの特徴のない寂しい画面。左に名物「かしわ餅」の看板を掲げた茶屋があり、三味線を持った足取りのおぼつかない盲目の三人の瞽女(ごぜ)が茶屋に向かって歩いてくる。
 広重は『東海道五十三次』の中で、季節と、時刻のうつろいを表現しようと試みた。
 ここ「二川(猿ケ馬場)」では、薄暗い夕暮れ時となっている。


 調べてみたら、JR名古屋駅から二川駅まで二人で使えば、往復の4枚が1枚に付き450円もお得になる「JR名古屋⇔豊橋カルテットきっぷ」があることを知って、パートナーと出かけた。

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 江戸時代の「二川宿」の絵図と旅籠配置図
 1843年(天保14年)の記録では、二川宿には38軒の旅籠屋があったといわれ、当時の東海道の宿場の平均旅籠屋数56軒に比べて小規模な宿場だったとされる。



〇 二川宿の本陣
 二川宿本陣は、度重なる大火に遭いながらも再建され、明治後も取り壊されずに残り、1988年には改修・復元され、現在は豊橋市二川宿本陣資料館が併設されている。

 本陣は、江戸時代の公家、大名、幕府役人が宿泊や休憩した施設で、民営で主に地域の有力者が経営した。江戸後期には東海道の宿場には111軒の本陣があったといわれるが、参勤交代が途絶えた幕末から明治以降には、利用の減少で経営困難となって消滅していき、いまや東海道の宿場で現存するものはここ二川宿と滋賀県の草津宿だけとなっている。

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 二川宿本陣の全容
 本陣の北に蔵造りのデザインの豊橋市二川宿本陣資料館が併設されている。

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 二川宿本陣の式台
 大名の出入りした本陣の玄関

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 1718年(享保3年)に建設された最も古い東土蔵

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 二川宿本陣の間取図
 本陣開設当初の1807年(文化4年)ごろの規模は、間口17軒(32m)、敷地面積525坪(1,733㎡)、建坪181坪(599㎡)だったが、その後の増改築などで安政年間には建坪233坪(771㎡)となった。
 豊橋市史跡に指定されている。

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 二川宿本陣の書院棟内部
 本陣には、大名をはじめ30~40名の上級の家臣が宿泊した。
 二川宿本陣を定宿としたのは、福岡藩黒田家で、薩摩藩島津家、萩藩毛利家なども利用した。
 その他の家臣などは、周囲の旅籠に宿泊した。

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 本陣の書院棟内部

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 書院棟の上段の間
 大名などが宿泊・休憩する部屋で、他の部屋より一段高くなっている。

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 奥庭(向こうの蔵造は、資料館の建物)

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 本陣の書院棟内部

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 二川宿の風景ジオラマ(豊橋市二川宿本陣資料館)
 江戸時代300年は、抑圧された士農工商の封建時代とのイメージが強いが、覇権争いの戦乱が続いたヨーロッパに比べ、政権が安定していたわが国では、実際は庶民の往来は安全で頻繁だったから、この当時に各街道沿いに宿場が発達していたことは、世界史上の特筆すべきことだと思う。
 


〇 旅籠屋「清明屋」(せいめいや)
 本陣の隣に位置し、本陣に泊った参勤交代の藩の武士や町人の旅人の宿だった。
 改修・復元され、豊橋市指定有形文化財となっている。

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 旅籠屋「清明屋」の店先
 宿に到着した旅人に足洗いの盥を勧める女中
 
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 旅籠屋「清明屋」の店先
 暖簾に阿部清明の五芒星形のマークが付いているのがお分かりいただけるだろうか。


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〇 商家「駒屋」
 改修・復元が終わり、11月1日から一般公開されたばかりの商家「駒屋」
 街道に面した旅籠、商家などの町屋は、間口は狭いが奥は深い。向こう隣は、東駒屋、他に離れて西駒屋の建物も残る。

 何が幸いするか分からないものだ。近代の開発が遅れたおかげで古い町並みが残り、今回の商家「駒屋」の一般公開で、二川宿は本陣、旅籠屋、商家の3ヵ所を一同に見学できる日本で唯一の宿場町となった。

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 一般公開されたばかりの商家「駒屋」
 入場無料で、北土蔵には喫茶店が入り、広場のオープンスペースでも喫茶・軽食を楽しむことができる。
 中土蔵には土産品や創作雑貨の店がある。

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 商家「駒屋」の建物・間取り配置図

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 「駒屋」の主屋店先
 駒屋は、二川宿で米穀商と質屋を営む傍ら、問屋役や名主などの宿村役人を勤めた田村家の建物で、江戸時代から大正にかけて建てられたものだ。
 豊橋市指定有形文化財となっている。

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 展示されている文楽の花魁人形

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 主屋の座敷

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 離れ座敷

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 「駒屋」の前には、当時の軍事上の防衛施設である「枡型」の辻の痕跡がいまも残る。
 
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 住民の手で作られている吊るし雛

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 味噌・溜りを商った西駒屋の建物も残る。



〇 三州瓦と旅籠の鬼瓦
 鬼瓦は、日本の建築文化の一つだ。
日本三大瓦の一つの三州瓦で有名な愛知県では、豪壮な民家の屋根には家紋と火災除けを祈念した水を連想するモチーフの鬼瓦が残る。
 三河地方で採れる粘土はきめが細かく高品位であることから、古くから「いぶし瓦」の生産が盛んだった。

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 三州瓦で有名な愛知県内の豪壮な民家の屋根には、家紋と火災除けの水をモチーフにした様々な形の鬼瓦が残り、撮集めるのも楽しい。

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 街角に展示された三州瓦による干支彫刻

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 民家の軒先に置かれた、二川宿の保存会が企画する二川宿本陣まつりの常夜灯のオーナメント。






〇 今日の一献 コストパフオーマンスの高さでカメラ業界を震撼させた キャノネット

―― それは、レンズシャッターカメラの歴史の転機となった
 
 カメラメーカーのキャノンは、戦前は旧帝国陸軍からの要請を受けて、当時兵器の一つであったドイツ・バルナックライカの類似製品だがオリジナルを凌駕する機能に昇華したカメラを開発するなど、単に模倣するだけでなく創意工夫を凝らし技術を磨いて製品化するという日本のメーカーの特性を発揮しながら、戦後も一貫してレンジファインダーの35㎜フィルムカメラに主力を注いできたメーカーだ。

 そのキャノンが、1961年(昭和36年)1月に発売したキャノネットは、f1.9のレンズ付きで自動露出と手動が併用でき、露出の過不足の場合にはシャッターが切れないという機能を備え、速写性能を高めるためにトリガーのように巻き上げレバーを下部に設置した斬新なデザインのレンズシャターカメラで、価格が本体価格18,800円(別に速写ケース:1,700円、フード:450円、フラッシュユニッ ト:1,050円、逆光時撮影用EEカバー:80円)だった。

 この当時の国産カメラは、露出調整は追針式が主流だったし、付属するレンズがf2.0やf1.8であれば値段は23,000円から30,000円程度していた頃だから、このキャノネットのコストパフオーマンスの高さは当時のカメラ業界を震撼させるに十分で、発売の中止の要請さえ受けたという伝説まである。

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 これまで35㎜フィルムのレンズ交換式の高級レンジファインダーカメラを生産してきたキャノンにとって、キャノネットは初めて発売した普及機のレンズシャッターカメラだった。

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 軍艦部にはストッパーつきのシャッターボタンとフイルムカウンター、フラッシュシューだけなので、上から見るとすっきりしたデザインとなっている。Canonetのロゴが美しい。

 下部には速写性を追及したトリガー式の巻き上げレバーとクランク式巻き戻しレバーが設置されている。

 実はこのころドイツのカメラショーで発表された、ライカのあまりにも優れた高級レンジファインダー機、M3に驚愕し、これに追随することを諦めたニコンやアサヒカメラがいち早く一眼レフカメラの開発へと方向転進したのに比べ、先に書いたようにキャノンは一貫してレンジファインダーカメラに主力を注いできたことが災いして、これに出遅れたことによる経営上の存亡の危機にあったという。

 キャノンの社運をかけたキャノネットは、市場調査、設計、製造、販売の各部門の連携の基に、機械部品などをユニット化することで大量生産を可能とし、高いコストパフオーマンス戦略を追求した製品だったから、当然大衆に爆発的な人気を博し、発売から2年半で累計100万台を売り上げたというカメラだった。
 

〇 カメラ前面の機構
 レンズは、キャノンSE 45mmの明るい f1.9(4群5枚構成) が付いている。キャノンレンズ特有のアンバー色のコーティングがされている。
 
 シャッターは、コパルSV(セルフタイマー付き)、速度は B、1、1/2、1/4、1/8、1/15、1/30、1/60、1/125、1/250、1/500秒。

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 シンクロ接点MX切換え式。ロック付のシャッター。
 (セルフタイマーを稼動させるときには、シンクロ接点レバーをXに切換えること。)


〇 露出計の機構
 露出計の起電には、戦前から広くセレン光電池が使われており、このカメラではレンズ周りに大きな受光レンズがつけられており、キャノネットのデザインの目立った特徴ともなっている。

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 露出調整は、鏡筒のAUTO(EE)目盛にセットして、内蔵されたセレン光電池式連動追針式のクシ歯制御式シャッタースピード優先式EE(絞り優先も可能)で行う。
 また、AUTO(EE)目盛の解除で、マニュアル露出が可能。
 フィルム感度目盛DIN11~24、露出の過不足の場合にはシャッターが切れない.

 (EE:エレクトリックアイ(電気式自動露出)の意味。)

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〇 焦点調節とフィルム巻上げ機構
 ピント合わせは、レンジファインダーを覗きながら、鏡筒下部にある焦点調節レバーを回して前面を前後させて行う。ファインダーには黄色のブライトフレームが浮かび上がり、明るい。フレーム中央の二重像を重ねることでピント合わせを行う。

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 本機は最初期のもので、AUTO(EE)撮影にセットした場合にはフレーム内下部に露出の過不足に対応して黄色の五角形の矢印が出てシャッターは切れないから、矢印の示す方向へ絞り又はシャッターリングを回し、この矢印が消えれば適正露出を得られたことになりシャッターが切れる。
 
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 フイルムの巻き上げは、下部のトリガー式レバーの先を起こして左手指で行う。巻き戻しは、中央にある爪をRの方向に切替え逆転ロックを解除しておいて、左のクランクレバーを起こして巻き取る。
 
 裏蓋の開閉は、右のあるレバーを押しながらボタンを押せばスプリングの力で蓋が開くから、35㎜フィルムを装填すれば、あとの作法は普通のフィルムカメラと同じだ。
 
 キャノンはこのカメラの成功により、この後もキャノネットの系譜を引くキヤノネットS(露出計の測光素子がCdS)やQLシリーズなど、各種の普及機を発売しながらカメラの大衆化路線を継続していく。
 ただし、キャノネットのデザインの特色である、底に付けたトリガー式のレバーは、故障が多かったらしく、これ以後の機種には採用されなかった。
  
 いずれにせよ、キャノネットは大衆普及機として発売されたものの、その機能の優秀さとデザインの斬新さで、わが国のレンズシャターカメラの歴史の一ページを書き換えたカメラであったのではないかと思う。

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〇 キャノネットの使用説明書と宣伝広告
 人気機種で爆発的に購入されたが現存するこうした消耗品は少ないが、インターネットで手に入れることは容易だ。

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 キャノネットの使用説明書

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Canonet (1)1280

 キャノネットの宣伝広告
 (広告掲載の表示価格は、改訂後のもの。)

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 犬山祭り(愛知県)の山車
 キャノンSE 45mm F1.9
 1/250 AUTO(EE)

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 犬山祭り(愛知県)の山車
 キャノンSE 45mm F1.9
 1/125 AUTO(EE)

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 犬山の桜(愛知県)
 キャノンSE 45mm F1.9
 1/250 AUTO(EE)

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 なばなの里(三重県) 
 キャノンSE 45mm F1.9
 1/250 AUTO(EE)

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 長島アウトレットモール(三重県)
 キャノンSE 45mm F1.9
 1/250 AUTO(EE)

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 名鉄電車の運転席からの眺め
 キャノンSE 45mm F1.9
 1/250 AUTO(EE)





〇 今日の一献  横浜の「キングの塔」と名古屋市役所の本庁舎

―― 神奈川県庁の本庁舎を展観して 

 来る11月3日の文化の日には、名古屋で恒例の「歩こう!文化のみち2015」のイベントがあって、当日は午前9時30分から名古屋市役所本庁舎内の各所の一般公開も行われる。

 以前、名古屋市役所の本庁舎の時計塔について書いたことがあって、その折に市の本庁舎が神奈川県本庁舎の系譜と深い関係があることを知りいつかは是非訪れてみたいと思っていたところ、先日機会があって一般公開の日の県本庁舎に寄ってきた。

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 神奈川県本庁舎は、関東大震災で被害を受けた県庁舎を建て替え、4代目の庁舎として1928年(昭和3年)10月に竣工した帝冠様式の建物で、鉄骨鉄筋コンクリート造5階地下1階で、施工は大林組が担当した。

 この建物は、塔屋を含めて高さ48.6m、延床面積1万8,323㎡、当時の総工費275万円で、工期わずか1年8ヵ月で完成している。
 現在、国の登録有形文化財となっている。

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 県本庁舎の塔は五重塔をイメージした重厚な外観で、横浜の「キングの塔」という愛称で呼ばれ、横浜観光の目玉の一つとなっている。
 
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 仰ぎ見た塔屋

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 塔屋のテラコッタのファサード

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 庁舎1階に置かれた県本庁舎の建築模型は、この建物の全容が一目でよくわかる。

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 一般公開されている知事室
 さすが観光都市横浜では、県庁舎内の一般公開が年に11回も行われ、これに対応する当局職員の苦労は大変なものがあると思われる。

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 コンペ1等の当選者、当時東京市の職員だった小尾嘉郎(おびかろう)氏の透し図案

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 塔屋(4階)の断面図

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 県庁舎内の新旧の施設

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 庁舎中庭の外観

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 テラコッタの装飾やタイル張りのファサードの県庁舎

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 1階正面階段には、華麗な陶製装飾灯「宝相華」が取り付けられている。

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 1階玄関内部に設置された母子像

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 1階玄関ホール

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 階段の左右にエレベーターが設置されたホール

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 庁舎内部の廊下

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 神奈川県本庁舎「キングの塔」の遠望

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 横浜では、神奈川県本庁舎「キングの塔」(左)、高さ36mの横浜市開港記念会館「ジャック」(中央)、高さ51mの横浜税関「クイーン」(右)の3つの塔をあわせて「横浜三塔」と呼んで観光の目玉としている。

 なお、現地の観光ボランテイアの説明では、占領した時に駐留軍が使用するため、連合軍はこの地区の建物の爆撃を避けたことから戦後に多くが残ったそうだ。

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 庁舎屋上から見た横浜港


 ところで、名古屋市役所本庁舎は、1931年11月に着工し、1933年(昭和8年)9月に竣工しており、公開コンペの基本設計者は異なるが、実施設計・建設にあたり、県庁の建設を担当した神奈川県の職員を招聘した経緯があることから、市役所本庁舎の建物がどことなく県庁舎とよく似ているといわれてきた。

 今回の踏査で、この庁舎の建設当時流行った帝冠様式や名古屋市の本庁舎も同じく塔屋を持ち、テラコッタやタイル張りのファサードなどの配色に確かに類似点が見られるものの、総じてそれぞれにオリジナリティがありやはり別物との印象だった。

● 参考として

〇 今日の一献 季節(とき)が巡る、時計塔 その1
http://2011deko.blog.fc2.com/blog-entry-135.html


〇 今日の一献 季節(とき)が巡る、時計塔 その2
http://2011deko.blog.fc2.com/blog-entry-136.html


〇 今日の一献 季節(とき)が巡る、時計塔 その3
http://2011deko.blog.fc2.com/blog-entry-137.html


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