〇 今日の一献  Ciao l'Italia その2の2 ミラノ

 
―― 美術館で宗教画にまみれる

●ブレラ美術館
 17世紀に建てられたイエズス会の施設を1776年、美術アカデミーが設置され、絵画の収集が始まった。
 15~18世紀の特にルネサンス期に活躍したヴェネツィア派やロンバルディア派の宗教絵画が多い。2階が美術館で、館内は38の部屋があり、500点を超える名画が展示されている。なお、1階はミラノ美術大学になっている。
 (本当は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある修道院の食堂の壁画、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観たかったのだが、予約が取れなかった。)

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 中庭には、カノーヴァ作の「平和をもたらす戦いの神マルス」の姿をした、青銅のナポレオン像が立つ。

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 アンドレア・マンテーニャ作「死せるキリスト」1480年
 テンペラ・画布。パドヴァ派の代表格の画家。
 十字架から降ろされたキリストが、両足の裏を向けて横たわる姿を短縮法で描写したもの。手足に残る釘の跡、変色した 皮膚まで写実的に描写している作品。

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 アンドレア・マンテーニャ作「聖母子と天使」 1485年

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 ラファエロ作「聖母の婚礼」1504年
 イタリア中部の街チッタ・ディ・カステッロのサン・フランチェスコ聖堂のために描かれた祭壇画で、ラファエロ21歳の作品。
 画面手前でマリアに指輪を授けているのが大工のヨセフ。

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 ドナト・ブラマンテ作「円柱のキリスト」 1490年

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 ジョヴァンニ・ベッリーニ作「聖母子(ギリシャの聖母)」1460年
 ヴェネツィア派の画家。生涯を通じて数多く描いた初期の「聖母子」作品の一つ。

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 アントニオ・カノーヴァ作「平和をもたらす戦いの神マルス」1809年の下肢を通して見る、マリア
 (高さ3メートル、重さ1.5トン)
 ナポレオンのお抱え彫刻家であった新古典派の作家。1805年に首都ミラノの大聖堂で戴冠式が行われ、ナポレオンがイタリア王となり、1809年にナポレオンの40歳の誕生日の8月に開催された、美術館の開館式典のために設置された。

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 ピエール・シュブレイラス作「マドレーヌとサンティとキリストの磔刑」
 (Crocifissione con la Maddalena e Santi)

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 ダニエル・クレスピ作「最後の晩餐」
 (Cenacolo)

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 マイケル・ダ・ベロナ作「キリストの磔刑」
 (Crocifissione)

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 ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「モンテフェルトロ祭壇画(ブレラ祭壇画)」1474年
 (Pala di Montefeltro (Pala di Brera))
  テンペラ・油彩・板 初期ルネサンス

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 シモーネ・ペテルザーノ作「ヴィーナス、キューピッドと二人のサテュロス」
 (Venere e Cupido con due satiri in un paesaggio)

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 修理工房の修復中の絵画。


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● ミラノ:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
 イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年にかけて建設されたアーケード。
 現在4階建てのアーケードには、オートクチュール店から書店に至るまでの上品な各種店舗、グッチ、プラダ、ルイ・ヴィトンなどの高級ファッションブランド店やレストラン、カフェ、バーなどが入居している

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 中央のドーム天井
 十字型の2つの交差するアーケードに覆われ、スカラ広場とドゥオーモ(ミラノ大聖堂)を結ぶ巨大アーケード。1階は店舗。2階以上はオフィスや住居。

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 ドームの四角には、アジア、アフリカ、アメリカ、北ヨーロッパを象徴する絵が描かれている。

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 床面のモザイク画は、トリノ(牡牛)の都市の紋章


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ガッレリアの中にある、”SAVINI”のバニラのジェラード。

● イタリアン・オペラの最高峰、ミラノ・スカラ座
 スカラとは、かってヴィスコンティ家に嫁した女性の名前で、彼女のために建てた教会の跡に劇場を作ったことから「スカラ座」の名前がある。
 スカラ座では数々の著名なオペラ、プッチーニの蝶々夫人やトゥーランドットの初演の舞台となった。

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▲組写真の ミラノ昼食 01-001

 ● ミラノの街中の『AL GALILEO Ristorante』で昼食。
 名物、サフランで色付けしたミラノリゾットと子牛の肉のミラノカツレツ。デザートはミルフィユ。
 ここは各国のツアー団体客向けレストランで、セットメニュー。味は一様に薄い。
 AL GALILEO Ristorante
 Via Galileo Galilei, 14, 20124 Milan, Italy

 ところで、来年(2015年)5月1日から10月31日までの期間、ミラノ郊外の会場で1906年以来109年ぶりの国際博覧会(milanoexpo-2015)が開催される予定となっており、わたしたちの着いたミラノ・マルペンサ空港やスフォルツェスコ城内でもその宣伝装飾が行われていた。

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〇 今日の一献 Ciao l'Italia その4の3 ヴェネッィア

―― 鐘楼からの眺めとゴンドラで巡るラグーナの街

● サン・マルコの鐘楼
 サン・マルコ寺院の前の角に単独で建っている。最初は、9世紀にサン・マルコ広場の位置にあったドックの見張り台として建設され、後にサン・マルコの鐘楼とされた。
 高さは98.6mあり、下半分はレンガ造り。上部にピラミッド型の尖塔が乗り、アーチ型の鐘架の中に5つの鐘がある。

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 サン・マルコの鐘楼の頂に立つ、金箔を張った木製の大天使ガブリエルの彫像。
 鐘楼は1513年に完成したが、1902年に崩壊したため1912年に再建された。

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 ピラミッド型の尖塔内のアーチ型の鐘架の中にある5つの鐘。
 鐘室までは、地上からエレベーター(8ユーロ)で上ることができ、全周を眺めることができる。

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 鐘室から見下ろすサン・マルコ広場
 左にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が見える。

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 足元に、ムーア人の時計塔やサン・マルコ寺院を眺める。

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 手前に、サン・マルコ寺院と宮殿が見える。

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 鐘室から見下ろす、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
 サン マルコ広場の向かい、サン マルコ湾に浮かぶ島に建つ。

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 どこまでも続く赤レンガの古い建物。そして教会




● 街中をゴンドラで訪ねる
 150をこえる運河が177の島々に分けている。
 だから、昔から市内の輸送を担ったのは、手漕ぎボートのゴンドラだった。
 今も変わらず、人・物資の運搬、パトカー、ごみ収集も全て船で行う。

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 ドゥカーレ宮殿の東の船着場からゴンドラに乗る。
 なげき橋を見上げながらサン・ズラン川を辿り街中に入っていく。
 運河・川には、道路と同じようにそれぞれ名前がついているが、狭くて曲がりくねっており、初めて訪れる者にとっては分からず、迷路に迷い込んだ感覚となる。

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● サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(救済の聖母マリア聖堂:Saint Mary of Health)
 カナル・グランデ(大運河)に面して建つ、巨大な八角形のドームのあるカトリック教会のバシリカ建築で、1687年に共和国守護者の聖母マリアに捧げる教会として建設され、共和国の象徴となっている。1階は税関。

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 イストリア産の石と大理石の粉末で表面を覆った白い煉瓦の美しい外観で、バロック様式の高い祭壇の裏には、12世紀ごろのビザンツ美術のイコン『聖母子』が隠されているという。

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● サンタ・マリア・デッラ・ロサリオ教会
 カナル・グランデに面して建つ、18世紀(1743年完成)のドミニク派の教会で、ロココ様式の建物や聖人の彫刻装飾が美しい。

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● 寄港する世界の巨大豪華客船
 リベルタ橋で本島に渡る直前にあるトロンケット島には、大型旅客船の入港が可能な港がある。
 さすが世界的な観光地であるヴェネッィアには、多くの世界の巨大豪華客船が入港する。この時は、4隻が認められた。
 右の客船の積層の高さは、13階建てビルよりも高い。近くに寄ると、これが動くのかと思うほど巨大だ。

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● 文庫本の考案
 今回の旅は、「塩野七生の著作舞台を訪ねる。」だった。
 それで、塩野女史の作品をその舞台で内容を思い出せるようにと、本を持っていこうと考えた。しかし、旅の荷物に嵩張るから文庫本を持って来たのだが、なんと文庫本の発祥の地はここヴェネツィアだった。

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 活版印刷技術が発明されてからも、本といえばA2判以上の大きいものだった。
しかし、それでは旅などに携帯するには大きすぎて嵩張るから、16世紀ごろに出版業が盛んだったヴェネッィアで文庫版が考案された。
 それと、今まで印刷活字として「テクストゥラ体」などが使われていたが、難しくて読み辛かったことから、文庫本の発明とともに「イタリック体」が考案されたという。

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 16世紀の文庫本

● 「錨」と「イルカ」のマーク
 これは、15世紀後半に、ヴェネツィアで出版業を行っていたアルダス・マヌティウスが活版印刷工房のプリンターズ・マークとして使っていたもの。
 熟考と沈着、正確さをあらわす「錨」と、快速を象徴する「イルカ」とを組み合わせて「ゆっくり急げ」という意味を表しているそうだ。

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● ホテル アマデウス
 サンタ・ルチーア駅から徒歩5分弱と近く、中庭を持ち、設備は当然古風だがバスタブも完備し、ヴェネツィアの街中で泊ったと実感できる快適なホテルだった。
 (驚いたことに、イタリアではホテルの部屋にシャワーがあっても、このバスタブのないホテルは決して珍しくないそうだ。)

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 なお、ヴェネツィアについて塩野女史は、「21世紀の現在のヴェネツィアの街をおおっている、眼に見えない薄いグレーのヴェールをとりはずし、ていねいに洗って磨きあげたとすれば、その下から現れるのは、燦然と輝く華麗で豪華な16世紀のヴェネツィアである。当時のヴェネツィアは、ヨーロッパの宝石箱であったのだ。」(『ローマ亡き後の地中海世界』4巻)と、最大限の賛辞を贈っている。


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〇 今日の一献 Ciao l'Italia その4の2 ヴェネッィア

―― 聖遺物の略奪が共和国の地位を高めた

● サン・マルコ寺院
 聖マルコに捧げられた共和国の大聖堂。
 ヴェネツィアでは、法王庁との政治的独立性を保持するため、サン・マルコの教会を大司教座として受け入れず、ドージェの礼拝堂という建前をとって来たが、ナポレオンの征服で変更され大聖堂となったけれど、今も人々はサン・マルコ寺院と呼んでいる。

 最初の聖堂は、828年にヴェネツィアの2人の商人がイスラム帝国領のアレキサンドリアの墓地から運んできた、聖マルコの聖遺物(遺骸)を安置するために建てられた。
 その後、幾多の焼失・再建を経て1090年代にビザンチン様式で完成し、以後900年にわたって増築や改修がされてきた。

 建物内には、モザイク画や金箔で飾られた壁や天井と、祭壇裏には2,000個の宝石が埋め込まれた「黄金の衝立」(パラ・ドーロ)があることでも有名で、ヴェネツィア共和国の富と権力の象徴ともなっていた。

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〇 イエスの言葉をまとめた4人の福音書家の一人、聖マルコが布教に努めたエジプトの都市、アレキサンドリアは、ローマやコスタンティノポリスなどのように当時はキリスト教の中心地だったが、616年以降にはイスラムの領土となり、そこで死んだ聖マルコの墓も荒廃していた。
 828年になって、ヴェネツィアの2人の商人が墓地から遺骸を盗み出し、キャベツとイスラムが嫌う豚肉をかぶせてかごの中に隠しながら運んできたものだ。
 その結果、当時新興国であったヴェネツィアは、聖マルコの遺体を所有し守護聖人とする共和国となったことで、キリスト教世界の中でその地位を高める効果があったという。

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 外観はアラビア風の丸い屋根をもち、ビザンチン建築を代表する記念建築物となっている。

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● 聖堂のファサードを飾るモザイク画
 寺院のファサードに描かれたモザイク画は、色あせない細かい色つきガラスを使って描かれており、初期のものは13世紀に制作されたものが残り、17~18世紀に造り替えられたものもあるという。
 モザイク画は、材料となるモザイク作りや制作に手間がかかり高価だった。このため、後の時代には、漆喰の上に自由に描け手間のかからないフレスコ画が、教会内部の装飾絵画の主流となっていく。


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 中央のモザイク画は、「栄光のキリストと最後の審判」が描かれている。

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 中央のモザイク画の右には、「聖マルコの遺体のヴェネツイア到着」の画が描かれている。

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 モザイク画「ドージェと市民による聖マルコの遺体の歓迎」
 副音者マルコの遺体が安置され、ヴェネツイア総督や市民が遺体の到着を歓迎する場面を描いている。

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 13世紀に作られた、「聖堂内へ運ばれる聖マルコの棺の行列」の場面


● 聖堂の内部
 オスマントルコによって破壊された、東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルの聖使徒大聖堂に倣って建てられたといわれる聖堂内部は、床がギリシア十字型の平面で、天井は中央部と4つの円蓋を持つクロス・ドーム形式のビザンチン様式の建築で、壁からドーム天井までをモザイク画ときらびやかな金箔が覆っている。

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 ドーム天井を持つ主祭壇

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 祭壇手前に、十二使徒の聖像が飾られている。

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 壁からドーム天井までの8,000㎡を、ビザンチン様式のモザイク画ときらびやかな金箔が覆っていてまばゆいばかりだ。
 このため、11世紀ごろには、「黄金の教会」というあだ名がついたという。

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 2人のベネチア商人によって、聖マルコの聖遺骸が運ばれたことを描いたプレート。

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 聖母子のイコン。
 マドンナNicopeia(崇拝されたビザンチウムのイコン)
 


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● サン・マルコ広場
 ヴェネツィア共和国の中心的な広場で、回廊のある3階建の建物に囲まれ、ドゥカーレ宮殿やサン・マルコ寺院などがある。
 台形の広場(piazza)に、海に面したサン・マルコ小広場(Piazetta San Marco)が続いており、全体としてL字型になっている。

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 小広場には2本の柱があり、それぞれ頂上にはサン・マルコの獅子の彫像と守護聖人・聖テオドーロの彫像がある。

● ムーア人の時計塔
 1499年に完成した時計塔で、塔頂に鐘を打つムーア人のブロンズ像があり、翼のあるライオン像のレリーフがある。

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● テトラルキアの像
 サン・マルコ寺院の南西隅で見つけた、斑岩製の「4人の王」の彫刻。
 テトラルキア(「4人の支配」)とは、帝政ローマ後期の皇帝ディオクレティアヌスが、帝国の危機に対応するため293年に行った帝国支配の政治体制をいう。
 この像は、もともとコンスタンチノーブルの宮殿にあったが、1204年の第4回十字軍でヴェネツィアに略奪してきたというもの。
 なお、右隅の王の足部が欠損(白い素材で補修)しているが、欠損部分が1960年代にイスタンブールで発見され、そこで展示されており、史実が証明された。

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●  昼食は、レストラン ステファノ
 ① いかスミ スパゲティ
 ② エビとイカのミックスフライ
 ③ サラダ
 ④ バニラアイスクリーム
    Ristorante Da Stefano
      Casselleria 5306, 30122 Venice, Italy


▲組写真イタリア料理画像20141004 01-001


〇 今日の一献 Ciao l'Italia その4の3 ヴェネッィアにつづく

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〇 今日の一献 Ciao l'Italia その4の1 ヴェネッィア

―― 冷徹な外交と東西交易で栄えた海洋都市国家 

 塩野七生の『海の都の物語』1~6巻
 ヴェネッィア共和国が辿った、興亡の千年の歴史物語
 (2009年から新潮文庫 全6巻が刊行された)

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  ヴェネッィアは、5世紀にゲルマン人のイタリア侵略から逃れた人々がここの潟(ラグーナ)に松の丸太を打ち込んで、その上に街を造り上げたことから始まり、中世には共和国として地中海交易で栄えた街だ。

 自治権を持ち、697年に初代の総督を選出して共和制統治を始め、国益を優先した合理的な外交と交易で稼いだ巨大な富で海洋経済大国となり、地中海最大の強力な海軍を保有していた。

 このため、他の国ではできなかった商船隊を軍艦で護送するという確実な方法で、オスマントルコやイスラムの海賊に対抗しながら交易を続けて発展し豊かな富を築いたが、やがて1897年になって、ナポレオンに侵略されて共和国は崩壊する。

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 ヴェネッィア共和国の国旗は、守護人サン・マルコを象徴する「有翼の獅子」だった。

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 アドレア海のラグーナに浮かぶ、100以上の大小の島から成るヴェネッィア。その本島には、北西のサンタ・ルチーア駅付近から南東のサン・マルコ広場近くまで、大運河(カナル・グランデ、3.8km)が逆S字型に貫いている。

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 ホテルに到着して、部屋の窓から眺めた夜の街並みの光景は、幻想的な情緒を醸し出す。

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 運河の夜景
 迷路のように狭くて曲がりくねった路地や通りには、自動車は入れない。
 そのうえ大小の運河には400もの橋が架かり、船を通すためにアーチ形だから、歩行者専用の街だ。
 
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 夜の街の賑わい
 水面に夜の灯火が映り、旅愁を誘う。

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 夜店や商店で売る仮面舞踏会の仮面のおみやげ
 毎年2月の中頃、キリスト教の四旬節前の1週間に開催される「仮面カーニバル」は、冬のヴェネッィアの風物詩となっている。
 この祭りは、11世紀後半から始まったといわれ、貴族や庶民までのあらゆる階層の人々が仮面とマントで扮装し、夜の街に繰り出す祭りとして盛んになり、17~18世紀には最高潮となった。
 しかし、1797年にナポレオンのイタリア支配により途切れるが、200年後の1979年になって復活し、いまでは、祭りの期間中には50万人の人出で賑わうという。

▲組写真の ヴェネチア窓からの眺め画像 01-005

 〇 ホテルの窓から眺めた朝,夕、深夜の街の風景

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 運河の朝の風景

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 街を大きく二分する、カナル・グランデ(大運河)から眺めた、左から鐘楼、造幣局、サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿。

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 かつてのヴェネッィア共和国の中枢地区

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 ドゥカーレ宮殿前の船着場


● ドゥカーレ宮殿
 ドゥカーレ宮殿は、ヴェネツィア共和国の総督(ドージェ)官邸兼政庁であった建造物だ。
 9世紀に創建されたが、10世紀に火事に遭ったが再建され、1340年になって独特の大小のアーチ列柱が美しいゴシック風の様式で建設され、その後も幾度もの火事による損傷に遭いながら、ルネサンス様式などを加味して再建され、16世紀にかけて現在の姿に改修された。
 壁面を白とピンクの大理石で飾られた宮殿は、ナポレオンの占領時まで共和国のドージェの官邸及び政庁として使用された。
 
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〇 黄金階段
 16世紀に造られたこの階段は、正面玄関から居宅や会議室などのある階へ続く、漆喰と金箔で飾られたVIP専用の豪華なものだ。
 宮殿を訪れる外国使節団などが、まず初めにこの階段を上るとき、そのきらびやかさは共和国の威勢を示すのに大きな演出効果があったに違いない。

▲組写真 ヴェネチア黄金階段画像 01-005

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〇 宮殿会議室の天井絵画
 ほとんどの絵画は、油彩で描かれている。
 海が近く、湿気の多いこの地では、イタリアの他の都市で発達したフレスコ画よりも、影響の少ない油絵がいち早く取り入れられ発展していった。

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 共和国の議会会議室や貴賓室などでは、天井や柱が金箔で飾られ、ヴェネツィア派と呼ばれる画家たちの油絵作品で埋め尽くされている。

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ティントレット作『天国』(1594年)
 大評議会の間(大広間)の大きさは、25m×54m×高さ15.4m。
 造船技術を生かした巨大な吊り天井で柱が一本もなく、当時欧州最大級のこの部屋は、1200~2000人の人を収容できた。
 その壁に、飾られているのが、この油絵で、縦7.45m、横24.65mの大きさは、世界最大級の油絵だという。


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パオロ・ヴェロネーゼ作『ヴェネツィア礼賛』(1585年)
 大評議会の間の中央天井に飾られている。

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 大評議会の間から望む、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
 サン・ジョルジョ・マッジョーレ島に、1610年に完成したベネディクト会のルネサンス建築の教会。

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 〇 様々な中世の武器が整然と並ぶ、宮殿内の武器の陳列展示。
 造船が盛んだった共和国では、14世紀以降には銃器も生産されるようになり、16世紀には世界の造船・兵器製造の一大拠点だった。

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ため息橋(Bridge of Sighs)
 ドゥカーレ宮殿の取調室と新牢獄(Prigioni Nuove)を繋ぐ白の大理石でできた橋で、1600年に造られた。
 判決を受けた囚人が、牢獄に送られる時にこの橋の窓から美しいヴェネツィアの街を眺め、ため息をついたという故事から19世紀に名付けられた。

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「ライオンの口」
 宮殿の中庭の壁にある『密告の口』(真実の口)。
 人間の顔をしているが、その顔がライオンの顔であることから「ライオンの口」とよばれる。
 治安機関である十人評議会への密告書を受け付ける投函口だった。

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軍神と海神が中庭を見守る「巨人の階段」
 中庭に突き出ている大理石の階段は、軍神マルス(左)と海神ネプチューン(右)の二体の巨人が設置されていることから「巨人の階段」と呼ばれる。

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 ドゥカーレ宮殿の中庭に建つ彫像


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● 夕食は、ホテル プリンチぺ内のレストラン
 ① ペンネの野菜ソースパスタ
 ② 魚の白身のグリル。ポテトとズッキーニ添え
 ③ レモンシャーベットとバニラアイスクリーム

 Hotel Principe
  Lista di Spagna, Cannaregio 146, 30121 Venezia , Italy

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〇 今日の一献 Ciao l'Italia その4の2 ヴェネッィア につづく




〇 今日の一献  Ciao l'Italia その5 ヴェネッィア

―― ヴェネッィア・サンタ・ルチーア駅とイタリアの列車たち

 わたしは撮り鉄もする。
 ホテルに着いて、夕食後に自由時間ができたから、散歩を兼ねてすぐ近くの島の西北に有る、ヴェネッィア・サンタ・ルチーア駅に行ってみた。

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● ヴェネッィア・サンタ・ルチーア駅
 スカルツィ橋から眺めた夕景。
 右にFS(トレニタリア)のヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅がある。
 1861年に開業し、ローマ、ミラノ、フィレンツェなど国内主要都市や、ミュンヘン、パリなどのヨーロッパの各都市とも路線が結ばれ、毎日450便の列車が発着し、1日約8万人、年間3000万人が利用する。

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 駅名の由来は、イタリアナポリの民謡、"サンタ・ルチア"(Santa Lucia)からではなく、駅の建設に当って取り壊した、ここにあった教会と修道院の名前によるという。

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 フレッチャルジェント「銀の矢」(ETR600型)高速列車
 高速新線区間と在来線区間を直通運行する高速列車。
 振子式高速列車で最高速度は250km/h。

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 ALe801/940型高輸送力列車(手前)
 1996年に導入された二階建ての近郊・通勤型電車で、最高速度は140km/h。

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 FS E.464電気機関車
 1999年に導入された近郊・通勤型客車牽引用の電気機関車で、最高速度は160km/h。

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 中距離中央扉客車(MDVC)(手前)
 1981年運用開始の中距離列車用に設計された客車で、最高牽引速度は160km/h。

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 ヴィヴァルト客車
 2005年にデビューしたイタリアの新型二階建客車で、最高牽引速度は160km/h、中距離・近郊列車などに運用されている。
 愛称の「ヴィヴァルト」は作曲家のヴィヴァルディとアルトの造語(Vivaldi + Alto = Vivalto)であり公募で決められたという。

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 イタリアの駅には改札口がないから、自由に出入りして撮影できた。

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 落書きも消さないで運行している。

 ● 次の日の列車たち

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 「銀の矢"FrecciaArgento"」の高速鉄道、レ・フレッチェ(旧名称 ユーロスターイタリア)の列車編成が陸橋を本土に向かって渡る。

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 モノレール(クルーズターミナル駅)
 2010年春から、駐車場のあるトロンケット駅~クルーズターミナル駅~ローマ広場駅間に、無人運転のモノレールが運行を開始した。
 朝7時から23時まで7分間隔で運転し、運賃1ユーロ。

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 陸橋を渡り、バスでフィレンツェに向う。
 FS E.464電気機関車が牽く列車が、島に向かって渡ってくる。

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 本土に向けて陸橋を渡る、FSのFS E.464電気機関車。

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 バスと並走する列車。

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 落書きなのだろうが、あまりにも堂々と描かれていて、唖然としてコメントできない。

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 本土側のメストレ地区には、ヴェネッィア・メストレ駅がある。

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 西のミラノ方面に向けて走るFS E.464電気機関車




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