〇 今日の一献 教会のクリスマス・コンサート

―― カトリック五反城教会のコンサート
 
 ・・・メリークリスマス・・・・・

 先日、わたしの小・中学校時代を共にした友達に誘われて、パートナーとともに、名古屋市中村区にある五反城教会で開催された、クリスマス・コンサートを初めて聴いた。
 この教会は、創設から50年を経過した由緒あるカトリックの教会で、ドイツから贈られたという大きなパイプオルガンがあることで有名だ。

 パイプオルガンとオーケストラが奏でるクリスマス曲などが大聖堂に響きわたり、丁度西に傾いた太陽の光が、聖堂の壁のステンドグラスを通して差込み、演奏する楽団員の顔や身体に優しく降り注ぎ、黄金色の光の輪郭とシルエットの美しいコントラストを現出していた。

 わたし達、聴衆は、その光景を眺めながら、演奏される曲に聞き入り、心癒され、満足し、ひと時の大きな幸せを味わうことができた。
 (20121216 五反城教会、中村、名古屋、日本)

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 五反城教会は、ドイツの神言修道会(神言会)が創設した教会で、代々、神言会の司祭が主任司祭として司牧にあたっている。(また、神言修道会(神言会)は、名古屋市昭和区の学校法人南山学園の経営母体でもあり、南山教会も創設している。)

 この五反城教会の始まりは、まず「岩塚教会」として、1962年4月に教団の認可をうけて創設されたもので、今年50周年を迎えた。
 その後、1966年12月にこの大聖堂が竣工する(聖堂の総面積、1,048m2 )。そして、大聖堂が完成したこの頃、教会のある地名に因み、キリストの「ご誕生」にもつながる、「五反城(ごたんじょう)教会」に名称が改められたという。

 なお、2003年6月から8月にかけ、「平成の大修理」として、大聖堂の修理がおこなわれ、現在に至っている。

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 大聖堂の2階から鳥瞰した、聖堂内部のパノラマ画像
 (演奏の始まる前であればと、撮影が許可された。)

〇 Together at Christmas 2012
 ~パイプオルガンとオーケストラによるクリスマスコンサート~

 このコンサートは、五反城教会の大聖堂を会場に、当地方で活躍する若手オーケストラ、『アンサンブル・エネルジコ』の協力で開催される入場無料の手造りコンサートで、今年で6回目を迎えるクリスマスの盛大な「音楽の贈り物」だった。


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指 揮:小嶋 直也
オルガン:深谷 亜希
ソプラノ:高木 浩子、田中 豊子
管弦楽:アンサンブル・エネルジコ
第1部
① オーケストラによるチャペルのクリスマスキャロル
  「あめのみつかい」、「ああベツレヘムよ」、「天なる神には」、「まきびと」など
② パイプオルガンによるクリスマスキャロル
J.S.バッハ:「フーガ ト短調」、「プレリュードとフーガ ト長調」
③ 弦楽合奏とパイプオルガンによるプレゼント曲
  「主よ人の望みの喜びよ」、「アヴェ・ヴェル・コルプス」、「G線上のアリア」
第2部
① 歌とオルガン、オーケストラでおくるクリスマス曲
「オー・ホーリー・ナイト」、「シューベルトのアヴェ・マリア」、「アメイジング・グレイス」、「きよしこの夜」など
② オーケストラによる街角のクリスマスキャロル
「ア・モースト・ワンダフル・クリスマス」、「ホワイトクリスマス」など
③ オーケストラによるフィナーレを飾るクリスマスキャロル
チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」より
「行進曲」、「金平糖の踊り」、「トレパーク」、「花のワルツ」


〇 「アンサンブル・エネルジコ」(ensemble energico)
 名古屋大学の交響楽団の所属・出身メンバーが主となって2004年に発足した名古屋のアマチュア・オーケストラで、若手演奏家たちによる「エネルギッシュ("energico"の意味は「精力的に」、「力強く」)」な演奏を目指して演奏活動を行っている。

 『アンサンブル・エネルジコ』ホームページ http://www.energico.jp/

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 教会の高い塔屋の上に立つ十字架
 クリスマスのイルミネーションが飾られている。

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 建物を真上から見ると、円形に近い八角形となっている。塔屋は、三角柱であることが判る。
 右手(東)に入り口があり、セオリー通り、左手(西)に祭壇が置かれる、いわゆる、オリエンテーション(祭壇を東に向ける。)。

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 会衆席の向こうに、祭壇が見える。そして祭壇奥の壁には聖櫃があり、祭壇左手前には説教壇がある。
 右手にパイプオルガンが見える。祭壇奥の上方の2階部分に見えるパイプは、高音用のエコーオルガン。

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 このパイプオルガンは、1978年にドイツ・ケルン市にあるウィリ・ペーター社(Orgelbau Willi Peter)によって制作・設置されたもので、大小2,257本にも及ぶ大規模な金属と木製のパイプを持ち、27のストップ(organ stop:オルガンの音色選択のための塞閉レバー)で操作しながら、3段の手鍵盤と2オクターブの足鍵盤を使用して演奏するもので、奏者は高度な演奏技術を要求される。
 また、日本にあるパイプオルガンの中でも、このオルガンは大規模で、歴史的にも価値の高い楽器とされている。
 このような大規模オルガンの場合、一つのパイプ群のそれぞれが独立した小オルガンともいえ、パイプ群ごとに鍵盤が設けられ、それによって演奏の音色や音量の対比を可能にしている。
 なお、1995年に初めてのオーバーホールが行われたが、設置から約30年経過し、2007年には、ペーター社の技術者による大幅修復・整音により、設置当時の性能に復元された。

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 大聖堂内部正面のパノラマ画像
 正面祭壇2階には十字架があるが、北ドイツ的な教会様式からか、祭壇に付きもののキリストの像はない。左手のドアの奥は、司祭や侍者の控え室「香部屋」。右手のドアの奥には「小聖堂」がある。祭壇奥の上方にあるエコーオルガンは、金属パイプの裏に木製パイプと専用の鍵盤がある。
 祭壇後方の幾何学的なステンドグラスから差し込む自然の光が、優しく大聖堂内部を包む。
グラスの色は、赤、青、紫、黄色とあって、黄色のそれぞれのステンドグラスの中には、十字架が浮かび上がる工夫がされている。

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 敷地内に立つマリアとイエスの聖母子像。

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〇 カトリック五反城教会
  〒453-0837 愛知県名古屋市中村区二瀬町27
  052-412-3456
  地下鉄東山線「岩塚」駅2番出口から北へ徒歩5分。

〇 五反城教会のミサの時間
  日曜日 9時~10時15分頃 大聖堂 19時~ 小聖堂
  平日  7時~ 小聖堂
  第1金曜日 10時~ 小聖堂(7時のミサはありません)
  「信者でない方も参加できます。」とのこと。

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The Xmas concert in the church  20121216
I was invited by Mrs. Kageyama, the alumnus of junior high school days and listened to the Christmas concert that was held at the Gotanjou Catholic Church with my partner, for the first ...time.
This church is famous for the big pipe organ which had been presented from Germany, was established before 50 years
The Christmas music have been played by the orchestra & the pipe organ and echoed in the sanctuary of the church.
And the golden light inserted from "the stained glass" of the wall, poured into the player and it appeared a pure & beautiful silhouette, so we audience have been satisfied and made us feel happy.

The Gotanjou Catholic Church, Nakamura, Nagoya, Japan

〇 今日の一献 季節(とき)が巡る、時計塔 その3

―― 名古屋市役所本庁舎の時計塔

〇 建物の設計と時計塔の謎
(The design of the building and a mystery of the clock tower)
 ところで、この建物のデザイン設計だが、先に書いたように名古屋市の公募による建築デザイン設計競技(コンペ)により行われたものだ。
 設計競技の歴史は古く、建築史上では、ルネサンス期のイタリアで行われたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム(フィレンツェ)などの設計コンペがあり、他にパリのオペラ座(フランス)、ロンドンのウエストミンスター宮殿(国会議事堂、イギリス)などが有名だ。

 設計競技は、公平性を保つことや、能力のある新人にチャンスを与えられること、優れた建築家に依頼することができるなどのメリットがあることから、日本でも、特に公共的な建物の設計者を決める方法として、明治末の頃から次第に実施される機会が増えてきていた。
 (現在の我が国の公共建築の場合、いまも設計競技は行われてはいるが、複数の建築設計事務所等を対象とした入札を行い最も安い価格を提示した者に依頼する、「設計入札」が多くなっている。)

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 名古屋市役所本庁舎の全容パノラマ
 竣工時は、6の字型であった建物も、その東に別棟の東庁舎が増築された。
 (この間、市役所向いには西庁舎が新築され、従来の庁舎を本庁舎と呼ぶようになる。)


 名古屋市の場合、あらかじめ市の建築課が平面プランを設計したものを提示し、庁舎の外観デザイン(意匠)を公募し、応募のあった中から審査のうえ市庁舎建築設計懸賞図案を選定するもので、募集要項には、東洋趣味を基調とした近世式でとの意匠条件が付され、一等金賞の賞金は5千円、二等銀賞は2千5百円、三等銅賞は5百円の懸賞金が付されていた。
 募集は、昭和5年(1929)10月に発表され、昭和5年(1930)1月15日の締切には、全国から559通の応募図案が寄せられた。同月25日と翌26日の二日間、審査が行われ、金賞1点、銀賞2点、銅賞5点が選出された。

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 東庁舎がまだない、竣工当時の建物の鳥瞰
 (本庁舎4階にあった、庁舎模型)

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 建物の西方向からの鳥瞰
 庁舎正面は、西向き。真ん中に市会本会議場があり、その東奥には東庁舎がある。
 (本庁舎4階にある、現在の庁舎の配置模型)


 見事、一等金賞となった平林金吾氏は、愛知県西春日井郡豊山村(当時)の出身で、東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科を出た、当時東京の復興建築助成㈱に勤務する技師で、36歳の脂が乗り切った時期にあった。(略歴は後述する。)
 入選案と応募案は、同年2月、鶴舞公園で当選者を始め応募者全ての透視図等を陳列して、『名古屋市庁舎意匠競技図案展覧会』が3日間にわたって開催され、時期が紀元節、建国祭と重なったことから一般市民の関心を呼び、連日盛況であったという。

 また同年6月には『名古屋市廳舍競技設計圖集』が東京・洪洋社から発行され、金賞を獲得した平林金吾氏の作品を始め、銀賞2点、銅賞5点やなどの透視図等が掲載された。

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 平林意匠案の名古屋市廳舍の正面デザイン
 『名古屋市廳舍競技設計圖集』から

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 平林意匠案の名古屋市廳舍の正面と塔屋のデザイン
 『名古屋市廳舍競技設計圖集』から


 外観のデザインの決定の後、名古屋市建築課は、平林意匠案をもとに、実施設計に入る。
そして、昭和6年(1931)11月の地鎮祭により着工し、昭和8年(1933)年9月に建物は竣工する。
庁舎の壁面は、地階から2階の窓下まではヒシャ石張で、その上5階の窓下までが焦げ茶色の筋入タイル張、5階の壁はクリーム色のタイル張と3層構成になっている。最上部のパラペットに、瓦屋根をのせている。中央の塔屋がシンボルとなっており、その塔の最頂部に四方睨みの鯱を置く。
 内部意匠は、名古屋市建築課が、名古屋城本丸御殿の意匠を参考に設計したとされる。
 なお、建設を施行したのは、大倉土木株式会社(現在の大成建設株式会社(昭和21年(1946)改称))である。
 また、実施設計と工事監理に当たっては、同規模で似たレイアウトの鉄筋コンクリート建築の神奈川県庁舎(昭和3年(1928)建設)を設計したスタッフを招聘したとも言われている。

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 竣工当時の名古屋市役所庁舎の絵葉書
 庁舎の壁面は、石張、焦げ茶色の筋入タイル張とクリーム色のタイル張の3層構成になっており、現在の庁舎の姿と変わりはない。

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 竣工当時の名古屋市役所の庁舎の航空写真
 南隣に、愛知県庁の建設予定地が見える。


 さてここで、既にあなたは気が付かれたでしょうか。
 まず、庁舎の外観デザイン(意匠)を公募し、一等金賞となった平林意匠案には、塔屋に大時計は描かれておらず、しかし竣工した庁舎には設置されていることを。
 
 もう一度、幾つかの違いがあることをご理解いただくため、次に平林意匠案(『名古屋市廳舍競技設計圖集』から)と、竣工当時と現在の庁舎の写真画像を集合画像にまとめてみたので、比較して見ていただこう。

00 市役所の時計台 集合画像 0
 幾つかの違いがあることを比較するため、平林意匠案(『名古屋市廳舍競技設計圖集』から)と、竣工当時と現在の庁舎の写真画像を集合画像にまとめてみた。

 平林意匠案との違いは、竣工後の建物の外観だけでも、
① 塔屋に大時計が取り付けられている。(時計塔は、意匠案にはなかったのだ。)
② 瓦屋根隅と破風のニ層の軒下には、平林意匠案にはなかった、テラコッタの鬼面の首の彫像が24体(魔除けとして、)設置されている。
③ 意匠案に比べ、建物全体の窓が小さくなり、数も増えている。
④ さらに、例えば正面の縦ストライブが、当初の3本から4本へとなっているなど、正面玄関まわりや正面細部の意匠にも、意匠案にはない変更が見られるのだ。

(他に、平面図から判るように、市会本会議場の議席は平林意匠案の扇型から、竣工後は現在の円形となっている。
 このことについては、
 中日新聞【なごや特走隊】「市議会議場、なぜ円卓 円満な市政、願い込め」(2007年5月28日)を参照いただきたい。)
 http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/ntok0071/list/CK2008102802100030.html

 それでは、なぜこのようなことが起こるのか、門外漢のわたしには謎のようにさえ思える。

 そもそも、明治期から昭和中期の我が国の設計競技(コンペ)では、建築家を選ぶのではなく、優れたデザインを選ぶものと考えられており、当選者が実施設計まで担当することは少なかったという。また、現在のように、設計者の著作権を尊重するという発想にも乏しく、応募案から選んだものに審査員などが大きく手を加えることは普通に行われていたようだ。

 例えば、明治45年(1912)の大阪中央公会堂の指名コンペでは、1等当選者の原案は修正され、またコンペ当選者は実施設計に参加していない。
 また、大正4年(1915)に実施された明治神宮宝物殿のコンペでは、1等当選案は採用されず、3等案が採用され、また実施設計は他人が行っている。
 さらに、国会議事堂の建設に当たっては、大正8年(1919)に公開コンペが行われ、洋風の意匠案が1等当選したが、反対運動もあって当選案は大きく変更されて実施され、議事堂は大正9年(1920)に着工し、昭和11年(1936)になってようやく竣工したという。

 従って、平林意匠案の幾つかの変更は、名古屋市建築課によってなされたその後の実施設計の段階で加筆・変更がなされたものとみられ、件の大時計の設計、設置もこの時に行われたものに違いないのだ。

● 平林金吾氏の略歴
明治27年(1894)年11月27日生まれ。
     愛知県西春日井郡豊山村大字豊場(当時)の安藤喜代三郎の3男。
 やがて、母の姉の嫁ぎ先の平林家の養子となり、平林姓を名乗り、11歳のとき、東京に移住。
大正2年(1913)東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科に入学。
大正5年(1916) 同校卒業。滝川鉄筋コンクリート会社に入社。初めてRC造倉庫工事を経験。
大正7年(1918)内務省明治神宮造営局技手。明治神宮宝物殿の工事監理に従事。
大正12年(1923)9月 関東大震災の発生で、東京・横浜地域は壊滅状態となる。
大正13年(1924)東京市の臨時建築局技師。
    53校の鉄筋コンクリート造3階建て小学校復興にあたる。
昭和2年(1927)東京麹区山下町の復興建築助成㈱の技師として転職。12年間在職。
    この時名古屋市庁舎の意匠コンペに応募。
昭和27年(1952)㈲平林大沢一級建築事務所を開設し、所長となる。
 この間、日中は会社に勤めながら、南京忠霊塔、東京商工奨励館(佳作入選)、関東大震災記念建造物、軍人会館、大連駅舎、大阪美術館、東京市忠霊塔(佳作入選)などの設計競技に応募している。

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 最初の一等入選は、大正7年(1918)大阪府庁舎設計懸賞競技(賞金8千円)で一等入選。大阪府営繕課が実施設計を行い、大正15年(1926)にRC造7階建て庁舎が完成。
 次に、大正11年(1922)の日本建築学会の建築会館の設計懸賞競技に一等入選(賞金千円、蒼穹社・平林金吾・岡本馨案)と三等に入選(賞金5百円、岡本馨・平林金吾案)。
 3つ目は、昭和5年(1930)の名古屋市庁舎(1933年、賞金5千円)設計競技に、帝冠様式外観で一等入選。
 4つ目は、昭和10年(1935)に完成した朝鮮貯蓄銀行本店(現韓国第一銀行本店、ソウル特別市内)の設計懸賞競技で、RC造4階建での古典様式で一等入選。
 なお、日本建築学会正会員。1951年度、52年度には、日本建築学会評議員と理事を務めた。
三男一女に恵まれ、1981(昭和56)年12月29日に没した。行年87歳。

 「新連載 再見 東海地方の名建築家 故郷に錦を飾った建築家・平林金吾」から
 http://www.jia-tokai.org/sibu/architect/2005/02/seguchi.htm

市役所の内部施設
 竣工当時の庁舎内部の各施設の写真

神奈川県庁舎00
 (参考)竣工当時の神奈川県庁舎
 関東大震災により庁舎が焼失したため、公募で当選した小尾嘉郎の意匠案をもとに、神奈川県庁内務部が実施設計した。昭和初期に流行した帝冠様式のはしりとされ、昭和2年(1927)着工、翌年(1928)10月に完成。塔屋は横浜3塔の「キングの塔」として市民に親しまれており、歴史的建造物として、1996年に国の登録有形文化財に登録された。
 巷間、名古屋市役所庁舎に酷似しているといわれるけれど、わたしにはそうは思えない。なお、時計塔はない。


  〇 今日の一献  横浜の「キングの塔」と名古屋市役所の本庁舎
  ―― 神奈川県庁の本庁舎を展観して 
  http://2011deko.blog.fc2.com/blog-entry-385.html


〇 閑居余話 市民により親しまれる時計塔へ
(For the more familiar clock tower for citizen)
 ここまで書いてきて改めて考えることだが、
 名古屋市役所庁舎の建物や時計塔は、来年には建設から80年を迎える、国の登録有形文化財にも登録された歴史的価値も高い建物で、確かにその帝冠様式の建物は美しく、今も変わらず名古屋市の市政・行政機関の庁舎として使われている。
 先に、わたしは、むかし市役所の塔に時計があることを知ったのは、小学校の時と言ったが、わたしの場合、仮に大叔父の家への途中に本庁舎の建物を見る機会がなく、また、叔父の画をたまたま見ることもなかったとしたら、市役所本庁舎がどこにあって、どんな建物で、また時計塔があることを知るのはいつの時になったであろうか。
 
 欧米の都市の行政機関であるシティホールや教会などの歴史的な公共的建物は、普通その都市の中心部に位置し、すぐ前には広場などがあり市民のスポーツや憩いの場所ともなっており、その建物も慣れ親しまれている。

 これに比べ、我が国の主要都市は、歴史的には城下町であった場合が多く、東京都などの例外を除き、明治の廃藩置県とそれに伴う城郭施設等の破却・収用による土地の確保により、官公庁舎を建設してきた経緯があるため、それらの都市の国、県、市役所などの庁舎の多くは、堀などで市街地から隔てられたかつての城域内に立地して、整然とした官庁街を現出しているように見える。

 徳川御三家筆頭の尾張藩の、かつての広大な城域に立地する名古屋市役所本庁舎なども、やはり市街地から隔絶された城の堀内に立地しているが、竣工当時には高い建物も少なく、また高い台地上にあることから、周囲からは確かに時計塔もよく見えたであろうことは想像に難くない。

 しかし、現在のように立地環境は変化し、その上、大都市として、普段市民(区民)の必要とする行政サービスの多くは各区の区役所などで賄うことが出来るため、いきおい市役所本庁舎を訪れる機会のある市民はごく限られた者にとどまり、今では必ずしもランドマークとしても、また広く市民に慣れ親しみのある施設であるとは思われないのは、わたしだけだろうか。

 こうしたなかで、先に見たような、恒例の「名古屋まつりの山車揃え」や「市役所の公開イベント」の開催、さらに市役所庁舎を映画やドラマの撮影ロケに使う「フイルム・コミッション(なごや・ロケーション・ナビ)」の展開などは、名古屋市民や周辺地域住民のみならず、広く名古屋を訪れる観光客に対しても、名古屋市民の貴重な財産を、公開・訴求して、親しみを湧かせる仕掛けの一つとして大きな効果があるものとみられ、今後とも関係者の一層の努力を期待したいと思うのだ。

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 市役所の公開イベントの日、玄関前での市消防音楽隊のカラーガード隊「リリーエンゼルス」による、フラッグの演技

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 庁舎の廊下。
 近年、NHKドラマ「負けて勝つ~戦後をつくった男・吉田茂~」2012年のロケーションなど、庁舎が多くの撮影に使われるようになった。


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● ところで、上のレリーフについて、ご存じの方はおられるであろうか。
 このレリーフは、本庁舎4階の階段ホールの西壁に掛けられている。

 このレリーフに描かれている群像は、赤子と他に4人の女性と2人の男性で、よく見ると、右手の3人の女性はゆったりとした長い衣を身に着け、うち赤子を左手に抱いた女性は、向かって左の全裸の姿で手を差し伸べる男性に応ずるように、右手を上げて何かを語りかけているように見える。
 その両者のやり取りを、右手に立つ一人の女性を除き、他の男女が眺めているといった図案である。持ち物は、杖だろう物の他に特に武器も持たない。
 しかし、この群像の着衣・髪形などから、わたしにはローマ時代の風俗が類推されるのだが。
 なお、この作品には、タイトルや作者の銘板も見当たらない。
 
 レリーフの画面は、丁度壁にある両方の柱の間に収まるように計算され、制作されたものとみられ、その古さから、この庁舎の竣工時からここに掛けられていた可能性さえあるのだ。
 西洋美術や、ローマ史に詳しい専門家であれば、この私の素朴な疑問を解決してくれるだろうか。

 そう考えてみると、一体このレリーフは、どのような物語を描いており、どのような経緯でここに掛けられることになったのだろうかという疑問が、にわかにわたしの胸に広がってくるのだ。

(了)

〇 今日の一献 季節(とき)が巡る、時計塔 その2

―― 名古屋市役所本庁舎の時計塔

〇 本庁舎と時計塔の建設
(The construction of the city hall & clock tower)
 さて、この時計塔は、名古屋市の昭和天皇の即位御大典の記念事業として、昭和8年(1933)10月に名古屋市役所本庁舎を建設した時にできたものだ。

 庁舎の建設に当たっては、外観のデザインを建築設計競技として設計図案が一般募集され、その結果、愛知県豊山町(現在)出身の36歳の建築設計家、平林金吾の案が、全国各地からの応募559案の中から1等金賞に選ばれた。これを基に、実施設計を名古屋市の建築課が行い、工事監理のために「帝冠様式」の最初の建物とされる神奈川県庁舎(昭和3年(1928)建設)を設計したスタッフを招聘し、昭和6年(1931)11月に着工したという。
 
 「帝冠」様式とは、近代的な建築物に荘厳な和風の瓦屋根を載せる建築様式をいい、名古屋市役所の場合は、庁舎屋上に中央塔を建て、その上部に名古屋城を意識した濃緑色の釉薬の瓦で葺いた切妻付き二層の方形屋根を配置し、塔頂部には「四方睨みの鯱」をかたどった鴟尾を載せた、鉄筋鉄骨コンクリート造りの堂々とした建物で、庁舎全体が平成10年(1998)7月には国の登録有形文化財に登録されている。

 庁舎の内部には、国内産の良質な大理石で飾られた玄関ホールや中央階段、5階の正庁、4階の貴賓室、3階の市長室を始め、全国でも珍しい円形の議席を備えた市会本会議場などがあり、見どころが多い。

 この庁舎の規模は、地上5階,地下1階,塔屋5階の建物で,延べ床面積は257,324㎡。間口は、正面81.7m、側面102.3mで、肝心の時計塔は、最頂部までの高さは、地上53.5mだ。また、時計の文字盤が棟の4面に設置され、それぞれの文字盤の直径は3.96m。時計の長針が2.64m、短針は1.38mある。

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 全国唯一の、帝冠様式の建物が並び建つ風景
 庁舎の正面と北面には、なぜか背を高く茂らせた幾本かのヒマラヤ杉があり、せっかくの庁舎の全貌を隠す方角があるのは残念だ。
 右隣には、愛知県庁本庁舎(昭和13年(1938)建築)があり、国の登録有形文化財の帝冠様式の建物が並んで建っている風景は、全国唯一のものとのことだ。


〇 時計塔への招待
(The invitation to the clock tower)
 今年11月3日の文化の日、今年で3回目となる名古屋市役所の公開イベントがあった。
これは、市役所から東にある徳川園までの地域に散在する文化遺産を散策する、「歩こう文化のみち」のイベントの一環として開催され、多くの市民で賑わった。

 普段は、時計塔に上ることはできないが、この日は特別の日として時計塔の内部も見学が許され、木製の手すりが付いた狭い階段を上って、時計装置が置かれた時計室にまで上ることが出来た。

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 塔の4面に文字盤が設置された時計塔は5階の建物で、塔の最頂部までの高さは、地上53.5mだ。

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 塔の頂上には、名古屋城天守閣をイメージした、4体の鯱が腹を合わせた「四方睨みの鯱」が置かれている。
 下手に城の金鯱の向こうを張って、金色でないのが奥ゆかしくて品がある。

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 荘厳な和風の瓦屋根と破風には、ニ層に各々4体、あわせて8体のテラコッタの鯱が火災除けとして設置され、またその軒下には、当初の意匠案にはなかったテラコッタの鬼面の首の彫像が、24体魔除けとして設置されている。

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 隣の6階建ての県庁舎屋上から、水平目線で時計塔を見る。
 濃緑色の釉薬瓦で葺かれた切妻付き二層の方形屋根の造形と、濃い茶のテラコッタの壁面に、薄茶の4本の縦ストライブを入れた色彩のコントラストはおしゃれだ。

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 塔の4面に設置された、それぞれの時計の文字盤の直径は、3.96m。
 時計の長針が2.64m、短針は1.38mある。時計の針は、30秒ごとに動く。ただし、この時計塔は、時報やメロディは奏でない。

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 時計台内部の電波式時計の機械装置
 時計盤が、塔の最頂部の軒下でなく壁面にあるので、時計室は高い天井と大きなスペースが確保されている。
 本当は、大きな歯車がたくさん組込まれた、古色然とした機械装置が動いているのではと期待していたので、少しがっかりした。

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 時計室の時計の機械装置
 建設当時は、ゼンマイ式動力で振り子式の時計が使われていたが、その後、電動式に変更され、現在の電波式時計は、平成4年(2004)に更新されたものだ。

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 電波時計の駆動部から時計盤に繋がるジョイント
 4面の時計盤の針を動かす分岐装置は4つあるが、思ったよりも華奢だ。

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 初代の振り子式時計の機械装置
 動力がゼンマイ式であったので、日に2回巻上げを必要とし、担当職員は宿直をしたという。
 建設時から昭和44年(1969)まで使われ、現在は歴史的機械装置として時計室に保存されている。

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 時計塔から北方の国立病院、名古屋城方面を見る。
 以前事故があったからか、普段は職員でも屋上には出られないが、今日は特別の日だ。

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 時計塔から見た、南方の愛知県庁、繁華街の栄・錦三地区の風景
 
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 屋上に出ると、時計塔の根元の壁に黒ずんだ染み跡のような部分があるのに気が付く。
 これは、先の大戦時に、空襲を避けるために建物を黒く塗った名残だと言われている。
 なお、昭和13年(1938)の建設で、高さ39.6mの川崎市役所本庁舎の時計塔は、戦時中には迷彩されて空襲監視塔として使われたというが、この時計台がそのように使われた記録はない。


 蛇足ながら、名古屋駅のビルが新しくなって、JRセントラルタワーズとなったが、以前の駅ビルの壁についていたような壁時計はもう見られない。
 また、ここには百貨店のジェイアール名古屋タカシマヤがあるが、百貨店の店内の各フロアーにつき物の、普通に壁にある時計もここでは見られない。2000年のこの店のオープン時にこれを知った百貨店の業界人の間では、これは軽いショックであったとの伝説がある。今や設置してコストをかけるまでもなく、誰でも自分の腕時計や携帯電話の時計機能で用が足せる便利な時代となったのだ。
 なお、それとは別に、客が帰心を起こすといけないので、飲み屋には時計は置かないのが昔から業界の常識との伝説もある。



〇 今日の一献 季節(とき)が巡る、時計塔 その3
 ―― 名古屋市役所本庁舎の時計塔

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〇 今日の一献 季節(とき)が巡る、時計塔 その1

―― 名古屋市役所本庁舎の時計塔

  ひとは、確かに、そのものを見ていたはずなのに、そのものに確かにあったはずのものまでは、見えていなかったということがある。

 名古屋市役所の本庁舎は、大都市名古屋の街の中心部にあたる中区の繁華街の北の、名古屋城の広大な城域を隔する外堀を越えた内にある。

 前にも書いたけれど、小さいころわたしは母に連れられて、城の外堀の中を走る名鉄瀬戸電に乗って、市の東方にある守山市の大叔父の家によく遊びに行ったものだ。
 今はもう路面電車はないけれど、当時は市の西部にあたるわたしの家から歩いて電車道(太閤通り)まで行って、楠橋の停留所から路面電車に乗り、一度栄で乗り換えをして、その北の瀬戸電大津橋駅のある停留所で下りる。

 大津橋は、名古屋城の外堀に架かる橋だ。この時わたしは、橋の北方に広がる天守閣や県庁舎、市役所本庁舎といった官庁街の建物をいつも遠目に見ながら、大津橋駅への階段を下りるのだった。


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 毎年10月に開催される名古屋まつりには、地域の9台の山車が市役所前で山車揃えし、演技を行った後に、市内のパレードに出発するのが恒例となっている。
2012年の第58回名古屋まつりは、10月20・21日に開催された。

 ある日、名古屋城の東にある母の実家で、母の末弟である中学生の叔父から、市役所本庁舎を描いたスケッチブックを見せられたことがある。そのスケッチは、本庁舎の塔を鉛筆だけで精密に描いたもので、小学生のわたしの眼にも、その画はかなり上手く描かれており、その和風の屋根を載せた塔の意匠・形態は美しく思えた。
 そして、その塔が見せるアングルの壁2面には、それぞれはっきりと大時計が描かれており、わたしはこの時はじめて、市役所本庁舎の塔が「時計塔」であったことを知ったのだ。


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 秋晴れの高い空に聳える、本庁舎の時計塔
 わたしがこの塔に時計があることを知ったのは、叔父の描いたスケッチを見た時だった。
 庁舎屋上には、いつも国旗と市旗が翻る。
 (市旗には、市章の「丸八」が描かれている。)
 この時は、時計の整備時期だったようで、作業用のワゴンが設置され、長、短針が外されている。

〇 季節の移り変わりと時計塔
(The Nagoya city hall clock tower of every season)


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3月 桜の花と時計塔
 どんな建物にも、桜の花は良く似合う。

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4月 ツツジの花と時計塔
 本庁舎の小庭に咲く花は、サクラの他に、ツツジ、ツワブキ、ツバキ、シャガといったものがあるようだが、時計台の画面に花を入れるのは難しい。

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5月 若葉の楠の木と時計塔
 庁舎屋上には、鯉のぼりが翻る。
 (楠は、「市の木」だ。)

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6月 白ゆりと時計塔
 道路を隔てて、西庁舎側のプランターに植えられた、白ゆりの花。
 (白ゆりの花は、「市の花」だ。)

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7月 夏雲と時計塔
 「白い街名古屋は、太陽の光の反射でひと際暑い。」ということで有名だったが、近頃では熱中症が問題となり、もっと暑い街がいっぱいあることが判ってきた。

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8月 プラタナスと時計塔
 街路樹のプラタナスの幹で鳴く、アブラゼミを画像に入れるのは、なかなか容易ではない。

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9月 国旗と市旗がはためく、午後の時計塔
 夏至を過ぎて9月ともなれば、午後の陽の時間は、だんだん短くなってゆくが、それとは別に、今日は雲行きが怪しい。

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10月 からくり山車と時計塔
 地域の旦那衆の財力と町衆の心意気で、今もからくり山車が伝統の命脈を繋ぐ。

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11月 黄葉した銀杏の木と時計塔
 このイチョウはメスだから、季節となれば、たわわに銀杏が生る。

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12月 (落葉時期も過ぎ、)寂しい季節の時計塔
 イチョウなどの落葉樹の葉は失われ、ヒマラヤ杉やカイズカイブキなどの常緑樹の独壇場の季節。

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12月 雪の日の時計塔(20141219)
 ようやく雪の積もった時計塔を撮るチャンスに恵まれた。

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1月 ヒマラヤ杉と時計塔
 庁舎の正面と北面には、幾本かの背の高いヒマラヤ杉があり、寒い季節には、庁舎を北風から守っているように見える。

 
〇 「時計塔」と「時計台」について
(A tower and turret of the clock)
 ところで、「時計台」について、インターネットの検索サイトで検索してみると、ヒットするのは、札幌の時計台の関連記事がほとんどだ。
 それでは、「時計塔」はどうかというと、いきなりイギリス、ロンドンのウェストミンスター宮殿の時計塔やパリ市庁舎の時計塔など、ヨーロッパ各地の都市にある公共の建物の時計塔の記事が検索にヒットし、それらに関連する画像だけでも延べにして128万件にも上るようだ。

 このような場合の常套手段として、国語辞典(大辞泉)で「時計台」を辞いてみると、「上部に大きな時計を取り付けた高い建物や塔」のことだという。一方、「時計塔」は、不思議となぜかこの辞書には出てこない。
 次に、英語の「clock tower」をどのように和訳するかを英和辞典(eプログレッシブ英和中辞典)で辞いてみると、「時計塔,時計台.」とあり、両者には違いはないものとして扱われている。

 そもそも古来中国や日本では、時を広く伝えるための手段・道具は、太鼓や鐘が使われ、そのための公共の施設は、「鼓楼(鼓櫓)」、「鐘楼」といったものだった。だから、欧米から入ってきた時分針を備えた時計は、当時、まだ個人に浸透しない高価なものだったから、明治期の文明開化の西洋風の建物の建設ラッシュの中で、人々に広く時を伝えるための「時計を備えた高楼・塔(clock tower)」の設置は、西洋文化への憧れと共に便利でその利用価値は高かったものと思われる。

 この時、この種の時計を備えた洋風の高楼の名称が定まっていったと思われるが、その場合、「時計楼(時計櫓)」とはならず、「天守台」、「鐘突き台」の語意と語感の延長で「時計台」が使われるようになったのかもしれない。
 
 「時計塔」は、「clock tower」の直訳となるが、日本では、札幌の時計台のことを歌った、『時計台の鐘』(作詞・作曲:高階哲夫 昭和2年3月)の歌などと相まって、「時計塔」という強い語感よりも優しく聞こえ、メルヘンチックに感じられる「時計台」のほうが、より日本語のイメージには定着しているようだ。

 しかし、それでもわたしには、やはり「時計台」と「時計塔」との言葉の間には、何がしかの違いがあるような気がしてならないのだ。

 例えば、建物の壁の高い位置に時計を取り付けた、東京駅のような駅舎の「壁時計」などは、場合によっては「時計台」として紹介されることもあるようだが、その場合でも「時計塔」とまで呼ぶのは何かしら抵抗感があるのではないだろうか。

 一般に、欧米の公共施設や教会などの建築物の塔(tower)は、神の国の天にも届けと言わんばかりに、独立して高く屹立したものだ。だから欧米の時計を備えた塔は、まさに「clock tower(時計塔)」で納得できる。

 一方、大きな建物の装飾的な小塔とか、城壁などの攻撃用の高楼のことを、英語では「turret」というようだ。ほかに、軍艦や戦車などの回転砲塔や爆撃機にある突出した機関銃座もturretといって区別する。

 だから、そのような低い台に取り付けられた時計あるいは、時計が良く見えるように建物から突き出した施設に付いた時計は、「時計台」と呼んで区別してよいのではないだろうか。
 (しかし、だからといって、英語の「ターレット・クロック」は、時計塔の中などに備える、大きな時計の機械そのものを指すことになるから狂おしい。また、手前味噌ながら、レンズを交換した時に視野が変わるから、フアインダーカメラの上に取り付けるフアインダーを、「ターレット・フアインダー」という。)

 かねてより名古屋市では、本庁舎にある時計を備えた塔屋を、「時計塔」と呼んでいるが、その意味では、本庁舎の建物の5階屋上から独立して高く屹立した姿は、紛れもない「時計塔」(The Nagoya city hall clock tower)なのだ。


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 「時計塔」があるのは、欧米やその影響を受けた日本に留まらない。
 ここマレーシアの首都、クアラルンプール市内の旧政府庁舎の建物にも、イスラム教国らしく、かぶら屋根を備えた「時計塔」はある。



〇 今日の一献 季節(とき)が巡る、時計塔 その2 に続く
 ―― 名古屋市役所本庁舎の時計塔 

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