〇 今日の一献 人に慣れすぎた野生

―― 丹後半島の旅 1 伊根湾のカモメ

 わたしも写真を撮るのが好きで、これまで色々なものを撮ってきたが、中でも鳥類を撮るのはなかなか難しいと感じている。

 鳥類は美しいが、野生の彼らは警戒心が強い上に目ざとく、特に小型の鳥は絶えずすばしっこく動くからファインダーに捉えにくく、シャッター速度を稼ぐための高感度のフイルムと相手に気付かれないための大望遠レンズを付けた高性能カメラを構えて、かなり離れた所からそっと狙うとしても、それでもまだ相当の練度と忍耐力が必要になる。

 ましてや、空中を飛ぶ鳥を画像に収めようとするのは、さらに難しく、至難の撮影技術を要することになる。

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 カモメ(鴎、チドリ目カモメ科カモメ属:Larus canus)
 夏季にはユーラシア大陸北部などで繁殖し、冬季になると中国東部などへ南下し越冬する。日本では主に亜種カモメが、冬季に越冬のため飛来(冬鳥)する。全長40-46cm。翼開張110-125cm。食性は雑食で、魚類、動物の死骸などを食べる


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 ところが、カメラを向けて撮ろうとしても普通は逃げられてしまい、がっかりして腐るところを、向こうから寄ってきて、こちら(撮影者)の動きに合わせて追いかけて飛んでくれるとしたら、話は違ってくる。この場合、撮影はかなり容易となる。

 先日、バス旅行の『丹後半島の旅』でパートナーと共に訪れた、京都府与謝郡伊根町にある伊根湾のカモメがそれだった。

 丹後半島の東端にある伊根湾は、「舟屋の里」として有名で、湾を取り囲むようにして建つ舟屋を海上から観光客に見せるため、30分ほどかけて周遊する伊根湾めぐりの遊覧船が運航している。

 この船から乗客が投げるエサを目当てに、カモメの群れが船の動きを追って飛ぶのだ。

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 波の静かな伊根湾をめぐる遊覧船
 遊覧船の中で売られているエサは、「かっぱえびせん」100円也。


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 中には、トビも追ってくるが、トビは足で掴もうとするので、小さいエサを得るのは難しそうだ。

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 遊覧船に追いすがりながら飛ぶカモメの撮影は、高級な一眼デジカメならずとも、少し工夫すればコンパクトデジカメでもそれほど難しくない。
 はるか向こうに、舟屋の建物群が建ち並ぶ。


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 このような光景は、観光地ではよく見られるけれど、人が投げるエサを捕食するからといって、多分彼らの本来の野生は変わるものではないだろうが、あまり人に慣れすぎると、渡りをせずに留鳥化してしまうのではないかと心配するのは、わたしだけだろうか。

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 湾口に近い亀崎の赤灯台から連なる亀山地区の舟屋群。背後は山が迫り、利用できる土地が限られている。

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 年平均の海水の潮位差は50cm程度と小さいから、舟屋は伊根湾の海面すれすれに建てられており、土台や柱は椎の木を用い、梁は松の原木を使用している。

 昔の舟屋は藁葺きの平屋で、周囲には縄やむしろを吊り下げただけの粗末な舟小屋で、その中に「ともぶと」と呼ばれる小舟を引き揚げていたそうだ。舟屋とは別に、背後の道路を隔てた山側には母屋があり、両方で一軒の家を形成している。

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 その後、舟屋は2階建てとなり、1階に舟を引き揚げ、2階は縄や綱などの漁具を置く物置場で、多雨多雪の土地柄でもあるため網の干場として使われるようになり、2階の床板は張りつめず、階下から網や縄を引き上げやすく、また通風や水切りのために歩み板を渡していたそうだ。

 切り妻屋根が並ぶ舟屋の姿は、さながら将棋のコマを並べたようにも見える。

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 今では1階には船揚場、物置、作業場があり、出漁の準備、漁具の手入れ、魚干物の乾場や農産物の置き場などと幅広く活用されている。2階は居室、民宿といった生活の場となっている。

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 伊根の舟屋の歴史は古く、宮津市の日吉神社に残る天文18年(1549)の棟札によって、日出、高梨、平田村にはそれ以前から集落があったことが知られている。
 やがて高梨から対岸の立石に分家移住がおこなわれ、人口の増加とともに子孫が耳鼻、亀山地区に分家していったものと伝えられている。

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 地図で見ると、南に向かって開口する伊根港(湾)の入り口に青島が位置し、湾内の沿岸は背後に山が迫り、舟屋が連続して並んでいる特異な状況が認められる。左端の大島の浜の集落の普通に見られる立地状況と比較して見るとなお興味深い。

〇 伊根の舟屋群(いねのふなやぐん)
 丹後半島の東端にある伊根湾は、湾の南口にある椎の古木でおおわれた周囲約1.5kmの青島が風を防いでいる地形により海面が穏やかで、その上日本海特有の干満の差が小さいことから、湾内では日出地区、高梨地区、平田地区、立石地区、耳鼻地区、亀山地区といった漁村が湾岸を囲んでおり、漁に使う船を収納する「舟屋」と呼ばれる小屋が、山の迫った海岸線に沿って水辺に張り出すように立ち並んでいる。

 周囲5kmの湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景は、江戸時代中期頃から存在しているものと見られ、どこか懐かしい日本の原風景を感じさせる美しさが大切に残され、一種独自の詩情を漂わせており、全国的にも非常に珍らしいことから、平成17年度に漁村では全国で初めて、国の重要伝統的建造物群保存地区(全国で約90地区選定)の選定を受けた。(選定名は「伊根浦」)

 また、近年では伊根町内で、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』、『釣りバカ日誌5』、連続テレビ小説 『ええにょぼ』等の映画やドラマのロケで全国に名が知られ、舟屋から見る海の景観や海から見る舟屋の美しい景観が有名となり、人気の観光スポットとして多くの観光客が訪れるようになっている。


〇 今日の一献 細石の巌となりて 苔の生すまで  に続く
 ―― 丹後半島の旅 2 天橋立の登り口、籠神社のさざれ石 

 http://2011deko.blog.fc2.com/blog-entry-112.html

〇 今日の一献 この季節の食卓に、ずうーっと昔から欠かせないもの

―― つくし誰の子 スギナの子 土手の土そっと上げ

 今朝早く起きて、やっぱりどうしても腰の痛みが治らないので、思い切って出がけにパートナーに頼んで湿布薬を貼ってもらって来た。だから、昨日よりは随分調子がよい。

 いつもそうで、早く対処すれば済むことなのだが、貼ってもらう時に決まって、わたしが苦手な指圧治療院に行ってみたらとか、急かされるように言われるのが癪だし、何より明かるいところで尻を出すのもあまり慣れていないから、言い出しにくくて頼むのに二の足を踏んでいたのだが、やっぱり昨日の腰の痛みには耐えられなかったのだ。

 時々わたしの腰を襲う痛みは加齢からくるものだが、そう頻繁に起こることではなく、普段やりなれない下手くそなテニスなどのスポーツを楽しんだとか、読書などで慣れない姿勢を長時間続けたとかの後で、だいたい原因はそんなところだ。

 だから、今回の腰痛の原因は、つくし採りによる。

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 いつもの河川敷に見つけた「つくし」
 つくしは、早春に芽を出すスギナの胞子茎で、繁殖のために緑色の胞子を散らしたあとにはすぐに枯れてしまうので、採取できる期間は限られる。
 その後に、つくしの脇から緑で細かく枝分かれしたスギナが芽を出して勢い良くはびこるので、耕作者には手がつけられない雑草として嫌われている。
 

 「つくし」は、よほど都会育ちで若い人でない限りは、知らない日本人はまずいないと思うが、地球の北半球の温帯から寒帯にかけて広く分布する多年草のシダ類のスギナの胞子茎で、食用となり早春の季節の味として珍重されている。

 春の野草のうちで、食用となるものはかなりの種類に上ると思うけれど、大体が芽吹き時の植物であれば茎とか葉や芽は柔らかく、あく抜きなどの下拵え、から揚げ、煮炊きなどの調理方法を駆使すれば、おおよその野草は、体に障るほどの毒のあるものでない限りは食べられるはずだ。

 しかし、わたしが今までに食べて美味しかったのは、ふきのとう、つくし、せり、こごみ、ぜんまい、わらび、菜の花、よもぎ、山ふき、タラの芽、コシアブラの芽といったところだ。
(もちろん「春の七草」も食べたことがあるが、なぜか埃臭くて美味くは感じられなかったので、以後わたしは敬遠している。)

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 はかまを取った、つくし。
 つくしの茎は柔らかな円柱状で、食用には節に付いた「はかま」と呼ばれる退化した葉を、きれいに取るのに大変手間がかかる作業だ。おまけに土と胞子やアクが、指や爪の間にこびりついて黒くなり、なかなか取れないから、女性にとっては酷な作業となる。
 (好みによるが、食用には10センチ程度の長さで、胞子の頭が開いていない若いものが苦くておいしい。)

 
 中でも、「つくし」は、わたしが幼かった頃に母に食べられることを教えられて採りはじめてから、もう何十年か決まってこの季節になると、自宅から決して近くはない川の堤まで出かけて摘んできたものが、恒例の季節料理の一つとして、我が家のささやかな食卓に彩りを添えることになるのだ。

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 つくしの卵とじ

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つくしのつくだ煮
 水洗いしてから、さっとゆでて、水にさらしてから調理する。つくしの頭には弱い苦味があるが、これが春の旬の味だ。煮物や、汁の実、酢の物、胡麻あえ、つくだ煮などにして食する。
 我が家では、卵とじやつくだ煮にすることが多い。


 ところで、秋の山の味覚「キノコ」については、毒キノコと食べられるキノコの分別が難しいことはよく知られたことだが、春の毒野草のことはあまり知られていない。
 
 「とりかぶと」は毒草で有名だが、わたしも現物は知らないけれど、ニリンソウやよもぎの若葉に似ているそうだ。 他に、ふきのとうの芽に似た「はしりどころ」、せりの葉やわさびの根に似た「ドクゼリ」、にらの葉に似た「スイセン」等があるから、野草パーテイでは誤食しないようにあまり冒険はしないことだ。
 また食べることはないだろうが、葉を煎じて殺虫剤とする「アセビ(馬酔木)」のような樹木にも、毒があるものがあるから注意を要する。
 
 有毒植物を食べたりすると身体に色々な症状が現れるから、毒草だと気付いたり異常を感じたりしたら、ただちに口に指を突っ込んで胃の中のものをすべて吐き出し、救急車を呼ぶか、医者の診察を受けるかする。この時には、必ず食べた毒草のサンプルを持参することだ。

 (「毒蛇は血清が種類によって違うから、噛まれたときは、その蛇を殺して医者に駆けつけるときに持って行くこと。」と、熱帯の国での駐在中に先輩から教えられた。もっとも、まずは毒出しをしないと、駆けつける前に猛毒で死んでしまうことになるけれど。)

 場合によっては、「公益財団法人 日本中毒情報センター」へ電話して相談すること。ただし、通常の電話料金のほか、別途に通話料が必要となるが、命には代えられない。

 ◎ 医療機関専用 (1件につき2,000円)
  ■大阪中毒110番 (24時間対応)  072-726-9923
  ■つくば中毒110番(9時~21時対応)029-851-9999

 ◎ 一般市民専用 (情報提供料:無料)
  ■大阪中毒110番 (24時間対応)  072-727-2499
  ■つくば中毒110番(9時~21時対応)029-852-9999

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 今春、近所の方からいただいた、「たらの芽」。てんぷらにすると、おいしい。木の幹にとげがあるのが、目印となる。採取するときは、前部取ってしまうと木がだめになってしまうので、幾つかの芽を残しておくこと。

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 同じくいただいた、「こごみ」。羊歯の一種だが、アクも少なく、若芽をさっと茹でて酢味噌でいただくと珍味。来年も、きっと食べたいと誓う一品。


〇 つくしの由来
 つくしは、スギナに付いているという「付く子」から転訛(てんか)したという説やスギナと同じように節から抜いても継ぐことができるので、「継ぐ子」からという説、土を突き上げるように地表に生え出る「突く子」からという説がある。漢字の土筆(つくし)は、地表に生えている様子が筆に似ているからついたという。
 「つくし誰の子 スギナの子 土手の土そっとあげ つくしの坊やが のぞいたら 外はそよ風春の風」と、童謡にも歌われている。
 なお、明治天皇がつくし料理を好まれたことから、明治時代には宮内省の新宿御苑でつくしの促成栽培をしたという故事もあり、最近では、つくしが花粉症に効果があるとのことから、つくしを主原料とした高価な「つくし飴」が発売され、類似品も出るなど喧伝されているが、その効能が公的に認められているわけではないとしても、「つくし料理を侮るなかれ」といったところだ。

テーマ : 植物の写真
ジャンル : 写真

〇 今日の一献 バランス感覚という、昔の人の知恵

―― おひな様の「お迎え人形」となる、市松人形

 このところ、断続的に人形ネタが続いて、わたしのブログのカテゴリーでは、いまは「人々・子供」で分類しているが、新たに「人形」のカテゴリーでも作らなければならないかも知れなくなってきた。
 それで今回も、その「人形」ネタである。
 
 もう、上巳の節句である新暦、旧暦(今年は、3月24日だった。)のひな祭りも過ぎて、少しひな祭り関連ネタでは気の抜けたころだが、まだそれでも愛知県の長野県と岐阜県境に近い山間部の豊田市稲武町のように、4月15日(日)まで「旧暦で飾るひなまつり」を開催しているところもあって、まだ時宜を失ったともいえないだろうとの強弁で書き始めることにする。

 いつものパターンとなってしまったが、わたしの家に居る人形の中に、着物を着た男女一対の人形、いわゆる「市松人形」が居る。

 この人形は、生まれた娘の初節句に、パートナーの実家からひな人形を贈られたのに対して、わたしの実家から「お雛様を迎えるため。」と称して、お袋が万端手配して初の雛飾りに間に合わせたものだ。

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 詳しくは知らないが、人形の頭は、埼玉県の人形作家の作だそうで、近所の人形造りの方に制作を依頼したものだ。
 身長は50㎝
 もう30年以上も前なので、現代顔の人形のように目元パッチリではなく、この人形の眼は切れ長で細く、おっとりとした顔に見える。


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 また、最近の市松人形の男の子の頭は、坊主頭は気持ちが悪いとの声が強く、髪を童子風に伸ばしているという。
 男の子は古い様式のままに、坊主頭の羽織・袴の正装、女の子は、おかっぱ頭で振り袖の定番姿だ。


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 だから、普段は各々ガラスケースに入って、並んで箪笥の上に居るが、雛飾りの時にはケースから出て、ひな壇の一番下の左右の定位置に並ぶことになる。


 これを、この地域の習慣として、「お迎え人形」と呼ぶのだそうだ。

 嫁ぎ先の娘に子供ができたとき、母方の実家からお祝いに、ひな人形や五月人形を贈るのが一つの習わしとしても、だからといって父方の実家として、何もしないというのはアンバランスとなる。

 だから、夫婦の両方の実家のうち、どちらかに負担のモーメントが傾いたまま残るかは別として、両家が孫かわいさという共通認識の下に、それぞれの行為をすることでバランスをとるという、きっと昔の人の知恵なのだろうとわたしは思う。

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 洋装と違って和装の市松人形では、人形の大きさにあわせた衣装の柄染めなどが、特別誂えとなるから、正絹、人絹の素材の違いとあいまって、手が込んだものになるとどうしても高価となるそうだ。
 もう、90歳に近づいた歳なのに、30年も前のこの人形たちの由来や値段まで、今もお袋が覚えていることに驚かされた。


 ところで、「答礼人形」と呼ばれる一連の市松人形があることをご存じだろうか。

 日露戦争後に頭角を現してきた日本とアメリカ合衆国との間の政治的緊張の高まりや、両国民の感情の対立の中、日米の対立を懸念した米国人宣教師の提唱した親善活動の一環として、1927年(昭和2年)3月に渋沢栄一の仲介で、米国から日本の子供に12,739体の「友情の人形」(いわゆる「青い目の人形」)が贈られ、全国各地の幼稚園や小学校に配られて歓迎された。

 雛祭りに送られた人形への答礼として、「日本からもクリスマスに人形を送ろう。」という合言葉のもとに、日本から「答礼人形」と呼ばれる皇室下賜の人形1体を含めて全部で58体の市松人形が、その年の11月に米国に贈られたという。

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 日本から米国に贈られた、58体の「答礼人形」の一つ。

 なお、我が家では、親父の代から中国南京市に住むご老人との親交が続いており、奇遇な縁も手伝って、今やその息子など一族を含めた付き合いとなっている。
 わたしの親父は生前に、「友情の証し」として、この市松人形と同じ女の子の人形をご老人に贈っており、親父は同家の居間に飾られている写真を受け取っている。



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