〇 今日の一献 受験生を後押しする、激励のパワー・スポット

―― 名鉄名古屋駅の合格激励「さくらゲート」

 もう遅くなってしまったが、新年の初詣と文化殿の宝物展示を観たいとの歴女パートナーの誘いもあって、午前中に新年最初の熱田神宮参拝に出かけた。

 流石、七草の日が過ぎると、日曜日とはいえ初詣の善男善女は少なくなり、今度は成人式を迎える若い男女へと参拝者は変わる。それに、この季節、学校の受験生の合格祈願の神頼みが加わる。

 ここには、西門を入ってすぐの場所に学問の神様として崇められる菅原道真公を祀る菅原社(すがわらしゃ)があって「外天神」とも呼ばれ、文化殿北側にも「内天神社」があり、合格祈願の梅の絵が書かれた絵馬も多く奉納されている。

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 なにせ、熱田さん(わたしたち地元の者は、熱田神宮のことを、普通「熱田さん」と呼んでいる。伊勢神宮の「お伊勢さん」と同じだ。)は、境内に別宮一社・摂社八社・末社十九社が祀られているという、何でもありのお宮さんのデパートみたいなところだからだ。

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 桜咲く。宮庁前の四季咲き桜は、満開だ。

 わたしたちは、まず本殿でお参りした後、今回初めて、お肌に良いと言われる熱田さんのパワースポット、「お清水様」を訪ね、その足で、いくつかのお宮参りを梯子して、昼は、軽く宮きしめんで腹を満たし、勿論文化殿の宝物展示の鑑賞をこなしてから、ようやく日が傾いてきたころ十分に善男善女となって、名鉄神宮駅から電車で名古屋駅に出た。

 電車の中で、パートナーが、「名鉄名古屋駅から電車に乗って受験に行く学校はいくつあるかしら。」と聞くので、「それは、大学だけでも県内西には、豊橋の愛知大学、美浜の日福大、刈谷の教育大、豊田の学泉大、、、いくらでもあるさ。」と応えたが、それはこの後の「さくらゲート」の話につながる。

 電車は、やがて名古屋駅に着き、わたしたちは桜の造花で飾られた、「がんばろう!受験生!」の横看板が設置された改札口のゲートを通ってコンコースに出た。

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 パートナーは、彼女のお気に入りのブログを読んで、名鉄名古屋駅の改札口に今年から受験生を激励する、この「がんばろう!受験生!」の桜のゲートが設置されたことを知っていたのだが、たまたまブログの画像は名古屋から名鉄に乗る改札口だったので、名古屋の郊外の学校を受ける受験生のための激励ゲートだけだと錯覚したようだ。

 しかし、よく見ると、ささやかといえばささやかで、決して増収にも直接つながるとは思えない装飾にもかかわらず心温まる企画だ。よくぞ名鉄も、こんな小憎らしいほど洒落た趣向を考えたものだ。

 これはきっと、今年の受験生を後押しする、力強い合格激励のパワー・スポットの一つになるだろう。

 実は、この地方の鉄道会社についてのわたしの印象は、パワーのJR、スマートな近鉄、淡白な市営地下鉄、泥臭い名鉄といったものだったからだ。

 これに気を良くして、わたしたちは、ものはついでと名鉄ビルにある「矢場とん」に寄って、夕食に味噌だれ仕立ての草鞋かつ定食で本日の締めとした。

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 「矢場とん」の看板の横綱ブタさんに、「がんばれ受験生」の鉢巻と学ランを着せて、「かつ」を「勝つ」にかけて、「矢場とんは受験生を応援します!」とのこと。

 わたしたちも応援しています。「受験生 がんばれ!」

〇 今日の一献 古い、バナナノートの語るもの

―― 旧日本軍統治下の紙幣、『Banana Note』

 バナナノートというものをご存じだろうか。

 よしもと ばなな(1964年7月24日生まれの小説家 )のブログ日記、「バナナノート」のことではなく、第2次世界大戦(或いは、大東亜戦争)当時、旧日本軍が侵攻占領した、シンガポール、マラヤ、ボルネオ島北部地域で、大日本帝国政府が発行した10ドル紙幣のことだ。
 
 なぜ、「バナナノート」(banana Note)と呼ばれるかだが、画像でご覧のとおり、紙幣のまん中に「バナナ」の絵が描かれており、紙幣のことを英国英語で「ノート」と言うからだ。

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 マレーシアの首都、クアラルンプール(KL)市内の繁華街のブキットビンタン通り(マレー語の、星が丘通り)に、今は少し古くなったが、あいも変わらず賑わっているショッピングセンター「スンガイワン・プラザ」(金河広場)がある。その一階の突き当たり左奥に、インド系のおやじが営むコインショップがあった。

 あのころ、昼休みになると、わたしはいつもオフィースのあるビルから歩いて5分くらい離れたスンガイワン・プラザの屋上にある華人系の食堂で、現地スタッフとともに昼食を摂るのが常だった。そして食事の後は、腹ごなしの散歩を兼ねて、各階にずらりと並ぶ商店を冷やかしで覗いて廻るのを習慣にしていた。

 その冷やかしの散歩の中で、このコインショップのおやじの話を聞いたのだ。

 「1942年に日本軍が英国を追い出してこの地域を占領すると、日本軍は、このバナナノートを発行して、それまでの現地通貨の流通を止めて、強制的に交換させて流通させた。だから、日本が勝っているうちは流通したが、やがて日本が負けると、価値がなくなって使えなくなったから、ローカルの人たちは、怒って持っていた大量のこの紙幣をバナナの木の下に捨てたから、「バナナノート」と言うんだ。日本を信じた金持ちほど損(被害)が大きくて、馬鹿をみたんだ。今は、記念品としての価値だけだよ。」と語った。
 
 あるとき出会った、日本語を流暢に話すインド系の老人は、戦前の若いころにはインド独立運動のリーダーの一人、チャンドラ・ボースとともに日本に渡り、四国の軍の士官学校で訓練を受けた後、日本軍と共にイギリス軍と戦ったと、その頃の日本を懐かしみながら話した。

 ある中華系の政府役人は、母親から、「なぜ、おまえは日本語を学び、日本人と付き合うのか。」と、わけも言わずに詰問されて困った。と語った。彼は、もう役所を退職(昔の日本と同じように、55歳だった。)したが、今わたしの古い友人となっている。

 ゴルフ場に付属したプールサイドで、子供たちが水遊びするのを見守るわたしの方へ、両腕にフロートを付けて泳いで寄ってきた幼い女の子(韓国人だった。)が、「あなた日本人でしょう。わたし日本人は嫌いなの。」と言い、「どうして」と聞くわたしに、「お爺ちゃんが、日本人は昔、悪いことをしたと言っていたから。」と話して、泳ぎ去って行った。

 わたしの住んでいたアパートの庭の芝生で、ゴルフのアイアンの練習をしている後ろを、杖をついておぼつかない足取りの散歩で通りがかった同じアパートのインド系老夫人と言葉を交わすことがあった。彼女は、一人で別棟に住んでいたが、ここのユニットは独り身には相当広くてもったいないほどの環境だったと思うが、印僑の息子がよく訪ねて来ていた。
 あのとき、彼女は、シンガポールに居たという。人が集まっていた広場で日本兵がなにかを叫んでいたが、何を言っているかわからなかったから動かずにいた彼女は、日本兵が突き出した銃剣で胸を刺されて倒れた。幸い命は取り留めたが、今もその時の傷が時々痛むと語った。
 この話を聞いて、わたしは思わず彼女の皺枯れた褐色の両腕を握りしめたが、そのとき彼女は微笑んだと思ったのは、多分それはわたしの錯覚だったのだろう。

 これらは、わたしがここに住んでいる間に、ここで出会った人々と交わした会話の断片である。

 当時、大陸の頑強な抗日運動に手を焼いた日本軍は、東南アジア地域の占領地で、その資金的支援をしているとして、裕福な華人をターゲットに激しい弾圧を行った。特に華人の多かったシンガポールでは、その被害は大きく、現在、日本軍によるそのときの被害を忘れないよう、大きな戦争記念碑(The Civirian War Memorial)がダウンタウンに建てられており、毎年、ここで慰霊祭が開かれる。
 また、シンガポールでは日本統治時代(Japanese Occupation)を忘れないための教育が幼稚園から徹底しているという。

 一方、マレーシアにも地方に行くと抗日殉難碑が見つかり、KL市内にある国立博物館でも、日本軍統治時代の事跡が歴史の事実として展示されており、当時のマラヤでの戦争の悲劇は、今も忘れられていない。
 しかし、マレーシアでは、比較的に被害の少なかったマレー系国民が大勢を占めており、マレー系国民優先の基本政策(ブミプトラ政策)の下、「日本に学べ」というマハティール元首相の親日政策、「ルック・イースト」政策が、首相就任以来最近まで長く続いてきた。

 戦争の初期、大陸へ一兵士として送られ、本当に幸いにも、短期間で内地に帰ることが出来たわたしの親父が、毎日交互に中国語と英語で、気障にも緑のインクで書いた日記のノートが残っている。帰るとき、この日記が憲兵に見つけられたものの、辛くも見逃してもらえたそうだ。親父は、「当時若かった自分は、本気で八紘一宇と大東亜共栄圏の建設を信じていたから、語学を学んだのだ。」と、生前よく言っていた。

 日本では、あの戦争について、一部の戦争観では、「当時、A、B、C、D、E の列強諸国からの貿易封鎖(経済制裁)があり、あの戦争は日本が生きる道を切開くための生存権をかけた戦いだった。また、東南アジアに侵攻したのは、西欧諸国の植民地占領から東南アジアの人々を解き放つための大東亜共栄圏建設のためだった。だから東南アジアの国々は、日本が戦争に負けた後、戻ってきた旧植民宗主国を民族自決・独立運動で追い出し、独立を果たしたのだ。」との理屈は、一見筋が通って正義があるように見える。

 これに対して、「あの戦争は、先行する帝国主義・植民地主義列強諸国に対する、「遅れてきた青年」日本の帝国主義化のための侵略戦争であり、大東亜共栄圏建設の本音は、実は東南アジア地域からの資源の奪取だった。」との反論もある。

 しかし、このような自分の身を高みに置いたところから観るかのような歴史の論評は、もう擱こう。


 唯一の事実は、この戦争で加害者、被害者の別を超えて、失われた膨大な数の命と、今もなお、心身ともに深く傷つき引き裂かれた膨大な数の人々がいることだ。

 わたしたちは、これからも、この事実に目をそむけず、むしろ事実を真摯に受容れながら、罪のない世代を含めて互いの理解を深めるために何が出来るかを考え、行動していかなければならないのだと思う。

 わたしは、その時このコインショップのおやじから、バナナノートを買った。

 それは、贖罪符という意味ではなく、これらの事実を思い出すための備忘符の意味を込めて。、、、

 ■ バナナノート(Banana Note)
 大日本帝国政府が、日本軍が占領したシンガポール、マラヤ、北サラワク、ブルネイで、1942年から1945年にかけて発行した紙幣で、10ドル紙幣には、バナナをモチーフとした絵柄が書かれていたことから、軽蔑の意味を込めて「バナナノート」と呼ばれた。
 このような紙幣は、日本軍の占領下のビルマ(ルピー)、オランダ領東インド(ギルダー)、フィリピン(ペソ)でも発行された。
 それまで現地で流通していた、英国植民地機関などが発行した海峡ドルやマレイドルに代わるものとして、1942年に発行された最初の紙幣は、プランテーションの生産果実の絵柄の1ドル、5ドルと10ドル札であったが、日本軍が現地物資の調達のために大量に発行したことと、紙幣番号が記入されていなかったことから、偽札が横行し、物価高騰などの深刻な経済インフレを発生させた。
 このため、1944年には、100ドルと1,000ドルの紙幣(農村生活の絵柄)も発行されたが、1945年8月の日本軍の降伏で終了し、全ての価値を完全に失った。戦後の日本政府は、これらの紙幣の交換を拒否している。
 現在、紙幣番号のあるものは希少価値があり、コレクターズアイテムとなっている。また、当時、英国空軍が撒いた日本軍占領を警告するビラ(バナナノートに警告文)は、それを所持することの危険の恐怖から希少価値はさらに高く、収集価格は高額とのことだ。

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〇 2011年8月31日に、このブログをスタートして、4か月が過ぎました。
 お陰様で、アクセス数は1,100を超え、記事数もこの記事でちょうど90項目となりました。
 この間、皆様から色々なご批評、励ましをいただき、本当にありがたく、感謝いたしております。
 まだ、よちよち歩きでありますが、どうかこれからも、このブログを可愛がっていただきますようお願いします。

〇 今日の一献 今頃、あの娘たちはどうしているだろうか

―― ゼンザブロニカ S2
 
 かつて1960年代の中判フィルムカメラで、ゼンザブロニカというのがあった。
 スウェ―デンのカメラでハッセルブラッドは、ドイツのツァイスのレンズを付けたレンズ交換式のプロ用中判カメラで有名だが、ゼンザブロニカは日本人の吉野善三郎氏が精魂込めて開発に取り組み、幾多の苦難の末に完成させた純粋日本製のプロ用大型カメラなのだ。

 写真のプロでもないわたしがこのブロニカS2 を所有しているのは、あるとき近所のDPE店の老店主が、自分の仕事用のカメラを買い取らないかと話を持ちかけてきたのを、当時、わたしの使っていた2眼レフの機動性に限界を感じていたときだったから、迷うことなくこの話に乗ったからだ。

 ある日の現地の英字新聞、『ニューストレイツタイムズ』に、コダック主催の撮影会の開催予告が載った。
 当時のわたしは単身赴任の身で、休日は暇を持て余していたときだったから、途上国の撮影会とはいったいどんなものだろうかと、興味本位とヒマつぶしを兼ねて出かけてみたのだった。

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 マレーシアの首都、クアラルンプールのレイクガーデンのモデル撮影会の風景。

 しかし、さすがは急速に発展する国の首都、見事にわたしの予想を裏切って、撮影会は大盛会だった。
 この国は、マレー系、中華系、インド系など複数の人種で構成されているが、当日集まった面々は、撮影する方もされるモデルの方も中華系の人たちが主であった。

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 ブロニカS2の標準レンズ、ニッコールPCレンズ(75mm、F2.8)は、モデルの娘(こ)たちの表情を、あますことなく生き生きと描写している。

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 撮影時には、彼女たちが自らポーズや表情を変え、わたしの注文にも気軽に応えるなど、仕事慣れしているプロの娘たちだった。

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 どこかの会社の広告で見たことのある娘も、出ていた。

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 モデルは5~6人だったが、正直なもので、どうしても気に入ったモデルのショット数は、多くなるものだ。

 いまこうして、彼女たちが一番きれいだっただろう時を切取った画像を、わたしの画像ライブラリ―から取り出して、改めて眺めてみながらつくづく過ぎ去った年月の長さを思う。

 あれから数十年が経つ。
 今ごろあの娘たちはどうしているだろうか。
 きっと仕事で成功し、恋をし、普通の幸せな暮らしをしているにちがいないと思うのだ。


 今から思うと、あのDPEの老店主が、わたしにこのカメラを譲ってくれた理由がようやく分かるような気がする。

 体力が衰えつつあるこの身には、このカメラをフィールドで自由に使うのには、あまりにも重過ぎる事を、このごろにして痛切に感じるようになったからだ。


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〇 ゼンザブロニカS2(Zenza Bronica S2 1965年発売)
 1960年代中頃から発売を開始した一眼レフ中判カメラで、ブロニカシリーズの代表的存在。ブローニーフィルムで220フィルムにも対応し、6㎝版の正方形のフォーマットのネガを得る。シャッターは、布幕縦走りフォーカルプレーンシャッターで、1秒から1/1000秒まで。レンズ交換のためのフォーカシングヘリコイド、フィルムバック、ファインダー、カメラ本体で構成され、当時としては部分的にはハッセルブラッドよりも優れた、完成度の高いシステムカメラだった。

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 レンズは当初ニコン供給されたが、後になると自社レンズであるゼンザノンも製造販売した。
 レンズマウントは二重のバヨネットで構成され、40mm~200mmまでのレンズはフォーカシングヘリコイド内側のバヨネットに取り付ける。

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 また、通常の一眼レフは露光時にミラーが上方に跳ね上がるのに対して、ブロニカS2では下方に滑り込むように収納することで、広角レンズなど後方への張り出しが大きいレンズの装着を可能にしている。

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 このカメラの最大の欠点は、フイルムを巻き上げるとき、最後が硬くてガシャツと大きな音がして、その後軽くなって止まるから、慣れないうちは壊れたのかと心配になるほどだ。これは、巻き上げの最後でシャッターチャージが完了するからだ。

 また、シャッターボタンを押すと、またまた大きな音と振動があり、はらはらするが、これはシャッター幕の動きと、ミラーが動作することによる音と、振動である。カメラブレをも心配するが、重いカメラなのでその心配もない。

 だから、このカメラで隠し撮りは絶対にできない。

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〇 今日の一献 嗜みとアイデンティティを表現する着物

―― 成人式と着物(和服・呉服)

 時事通信( 1月10日(火))は、「国際サッカー連盟(FIFA)は9日夜(日本時間10日午前3時)からスイスのチューリヒで2011年の年間表彰式を開催し、11年の女子世界最優秀選手に同年のワールドカップ(W杯)ドイツ大会で優勝した、なでしこジャパンのMF沢穂希(さわほまれ 33)=INAC神戸=を選出した。また、女子チームの世界最優秀監督には、なでしこの佐々木則夫監督(53)が選出され、ともに男女を通じてアジア人初の受賞となった。」と報じた。

 澤選手は、淡い水色の花模様のあでやかな振り袖姿で表彰式に出席し、「先輩たちがいたから取れた。いろんな思いが詰まって、重みがある。」となでしこジャパンの先駆者たちに感謝の言葉を述べたそうだ。

 スーツやタキシード姿の世界の男性たちの中で、紅一点の澤選手の振り袖姿は、ひときわ日本女性の美しさを際立たせ、アイデンティティをアピールすることが出来たのではないかと私は思う。

 ところで、9日は成人の日の休日で、全国各地で成人式が行われた。総務省の人口推計によると、91年生まれの新成人は前年より2万人減の約122万人で、5年連続で過去最少を更新したそうだ。

 成人式といえば、女性は振り袖姿で着飾り、男性はスーツやはかま姿が目立ち、華やいだ雰囲気となる。

 近頃ではこの式に付随して暴れる新成人というマナーの悪さが困った大きな問題ともなっており、地方によっては中止を真剣に考えるところも出ているという。
 しかし、人生のうちで一番若くて美しい成人式のころが、着てみて一番良い時なのだろうことを思えば、日本の伝統的な民族衣装である着物を体験し、改めて見直す良い機会ともなっている成人式には、その面からも大きな意義があると思う。

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 着る機会が増えるに従い、着物の着方や所作も慣れるというもの。
 自転車に乗るのと同じで、それを教えもしないで、初めからどうのこうのというのは、野暮というものだろう。
 
 およそ、お茶、お花、踊り、三線といった習い事を、終生しない女性であっても、よっぽど逃げて、逃げて、逃げまくりきらない限りはそのうちに、栄えある授賞式に出席する機会はなくとも、結婚式、お正月、子供の初参りから七五三などの様々な人生の節目、節目の行事やら何のかんので、日本女性の嗜みとして結局、和服を着る機会は必ず巡ってくることになるのだ。
 (男だって、剣道、弓道、仕舞をしなくたって、着物・袴を着たり付けたりする機会はいつかは巡ってくるのだ。)

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 自分たちが卒業した小学校で成人式が行われれば、懐かしい同級生や恩師との再会もできるし、話題も広がって楽しいものとなるだろう。
 また、地域に密着した式であれば、いい歳をした大人のはずの自分が、仮初にも酒の酔いを借りてと甘えながら、親や近所のおじさんおばさんの前で、祝いの式をぶち壊すような子供じみた恥知らずな真似はそうはできないだろう。
 (地域ごとに撮る記念写真。)

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 式が終わって帰途につく、バックシャン(もう死語だ。)の新成人。失礼。

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 駅のコンコースを闊歩する。
 できれば、いつでもどこでも着物を着て、日本女性の嗜みとアイデンティティを、十二分にアピールしてほしいと思う。

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 中にはせっかくの振り袖を、ドキッとするような現代風花魁姿を選択する女性もいる。
 後で調べたら、かの業界の女性の最高位にあった昔の花魁・大夫の姿は、襟もきっちり閉めた隙のない着付けであった。
 どうやら、2001年から3年まで講談社の雑誌『イブニング』に不定期連載された安野モヨコの漫画作品で、2007年2月に公開された映画「さくらん」をモチーフにアレンジした、現代風花魁バージョンスタイルのようだ。
 まるで映画の妖艶な女優気分に浸れるそうだ。


 着物の着付けも、時代とともに変化しているのだと思う。

 昔の未婚の女性の着物の襟は、首の後ろを空けないでぴっちり付けて着付けした。襟を空けるのは(年増の)既婚の女性で、白いうなじ・襟足が見えると、男どもは女性の妖艶さを感じて心ときめいたという。

 今は、(程度の差はあろうが)襟を空けるのが普通になっていて、女子高生のミニスカートの生足と同じで、同性同士の「かわいい」を了解・免責理由に、知ってか知らずか(本能的に)色気を振りまいて異性を挑発しているように思うのはわたしだけだろうか。
 もっとも、近頃では徴発されるべき男のほうが、植物化してか終身免疫力(防護力)を身に付けてしまっているように見えるのだが。

〇 今日の一献 どうしても割り切れないもの

―― カーアルミホイールのスポーク本数

 世の中には、割り切れることと、割り切れないことがある。

 勤め先の上司の仕事上の判断が、現場のその仕事に精通した自分の判断よりも優先するとき、どうしても割り切れず、納得できない思いに駆られることがある。こうした場合、ややもすると腐ってしまい仕事に対する意欲を失ってしまうか、あるいは後日のリベンジを誓いやけ酒を呷るかが普通だろう。
 しかし、こんな時に限って往々にして、上司は自分の捕捉していなかった情報を掴んでいるか、その部分について過去の苦い経験に基づく判断をしている場合があったりするのだ。

 
 これからお話しするのは、割り切れない仕事上の話でなく、割り切れない車のアルミホイールの話。

 昨年の師走が近づいたころから気になり始めて、とうとう年を越しても未だに自分の中で解決できなくて困っていることが、カーアルミホイールのスポーク本数のことだ。

 例えば、車のアルミホイールのスポーク本数が6本である場合には、円周360°を6で割って、一本に付き60°となり、4本のタイヤで車の重量を均等に支えながら高速でも滑らか走り、かつ確実に止まることが出来るのだと安心していた。

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 わたしの車のアルミホイールのスポーク本数は、6本である。 

 流石に3本(120°)、4本(90°)と9本(40°)は、あってもあまりお目にかからないが、5本(72°)、6本(60°)、8本(45°)、10本(36°)は、確かにあるし、8本や10本があるので、その倍数も理屈の上ではあってもおかしくないだろう。

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 数えるのも億劫だったが、それでも数えてみれば、10の倍数の20本のBMB

 ところが、最近街中でお目にかかるようになってきたのが、7本スポークのアルミホイールである。
 ご存知の通り、円周360°は7で割ると、51.428571428571428571428571428571‥‥°となり、割り切れない。

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 このベンツのアルミホイールのスポーク本数は、確かに7本だ。 

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 おしゃれで高価な外車だけではない、国産車でも新しい車ではスポーク本数は、7本だ。
 写真には撮れなかったが、軽自動車でも7本があった。
 

 では、どのようにしてこの7本をアルミホイールの円周に配置し、バランスを取っているのか。
 そもそもどのようにして製品にしているのかと疑問になって、一旦わたしの頭にこびりつき始めると、通勤途上の歩道の信号待ちや車を運転しているときにも、止まった車のアルミホイールのスポーク本数を無意識に数えだす始末だ。

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 近くの駐車場で、手前の車の10本スポークの写真を撮ったが、後でよく見たら、奥に見える黒い車のスポーク(キャップか)は、なんと14本だった。

 例えば、一つの解決法として、先に長さ70㎝の細長い紙に10㎝ごとに印を付けて両端を合わせて円を作れば、円周を7等分したこととなるのではないかと考えてみる。しかし、この場合、円の中心を求めるために、直径を求めようとすると、
 いまさらだけど、平面幾何学の円周率 π は、円周の長さCを、その円の直径dで割ったものとして定義されるから。

     π= C / d    円周の長さは直径に比例するので、この比の値はどんな円でも一定。

 だから、この場合は、直径d =70/π となり、円周率πは、ご存じのとおり、π = 3.14159 26535 89793 23846 26433 83279 50288......となっていく無理数で、超越数でもあるから、70をπで割ることは、d = 22.281692030679875396....となっていき当然割り切れないから、その半分のところにあるはずの円の正確な中心点は、やはり求める事が出来ない。

 それでは、何もできないかというと、機械設計のための正多角形の作図法で、円周を7等分して正7角形を作図する方法があった。

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(1) 直径ABの円を作図する。
(2) 直径ABを7等分(n=7)し,その等分点を1,2,・・・,6とする。
(3) コンパスを使って,AB=AC=BCとなる点Cを求める(△ABCは正三角形)。
(4) 点Cと点2を結び,その延長線と円とが交わる点をDとする。
(5) 辺ADは円周を7等分する基準長となるから,円周を7等分できる。
(6) 正7角形を作図する。

 ただし,これでもn=3,4,6 以外は近似法であるから、この正7角形は近似図形だが、とりあえずは円から中心点を確保しながら作図したことになる。

 こうして、とりあえず機械設計の作図ができれば、近似値のアルミホイールの製造はできるだろう。
 そして、現代では数値制御の工作機械が高性能化しており、きっとどこかで誤差を吸収しながらうまくやってくれるのだろう。

 しかし、そういうものなのかなと思いつつも、それでもなぜか、まだ割り切れないもどかしい思いがいまも残るのだ。、、、、

〇 ある国産メーカーのウエブサイトから(抜粋要約)

 「7本スポークデザインホイールの金型鍛造1ピースへの挑戦。
 斬新な7本スポークデザインは、同社ではもはや完成の域に達しており、7本スポークという素数デザインをさらに進化させるためには、製法の根本的な検討が必要で当然の帰結として選んだのが、鍛造製法へのチャレンジであった。
 鍛造製法は、まったくデザインの無い肉厚のバケツ状の素材を加工で成型する削り出しホイールと、鍛造ビレットから順を追って金型でデザインを成型していく金型鍛造の2種類があり、同社は、鍛流線と呼ばれる鍛造の強度の生命線を途絶えさせることがなく、さらに加工機の能力やコストに細かなデザインのディテールを制限されることない“金型鍛造製法”を選んで新製品を製品化した。」


 とのことだけれど、分かろうとしないからか、わたしにはどうも「完成の域に達している。」というのがいま一つよくわからないのだが。、、、






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