〇 今日の一献 「ワタシハ アナタノ ヒショデス ナニヲシマスカ」 その3

―― 8ビットPC「コモドール64」は、断捨離を免れて

 先に、初期セットは、本体と電源アダプター、ユーザーズガイドだけだったと書いたが、まさかそれだけで済むわけはなく、モニターは中古のテレビを使うままだったとしても、記憶媒体のレコーダに入れたカセットテープを回してソフトを読み込ませる間の待ち時間は、ソフトが複雑長大になるにつれ長くなり、辛くなってきた。

 それで、専用のフロッピーデイスクを購入した。片面単密の3.5インチの紙ケースに入った帯磁した円盤が入っていたフロッピーをデイスクに入れれば、それまでとは比べられない驚くべき速度でソフトが立ち上がったことを思い出す。(もう、この片面単密の3.5インチの紙ケース入りのフロッピーも死語だ。)

 もちろん、これまでに専用のドットインパクト式の印刷機(8ドットの英数・カタカナ印字)も、必要に迫られて手に入れていた。

〇 途上国の首都は、やっぱり首都だった
 そのうちに、赤道に近い東南アジアの国に仕事で赴任することになって、1983年(昭和58年)4月にこのコモドール64の一式を持って出かけた。
 現地では、季節は夏だけで暑いので、自宅で冷却装置のないキーボード・パソコンを使うには、本体の下に辞書を置いて床を上げ、部屋のクーラーをかけて、天井のフアンを回して冷却しながら動かした。もちろん電圧は220Vだからトランスで電圧を下げた。

 クリスマスカードは、データーベースソフトを使って、日本の友人・知人にロール紙のスッテカーにカタカナで印字し、送った。カタカナ打ちで送れるかとの疑問もあろうが、なに、住所の一番最後にJapanと書いてあれば、日本へ送られる。あとは日本の郵政省(当時)が優秀かどうかだ。(たしかに優秀だった。しかし、出した数に比べて返事が返ってくる数の打率は、毎回3割ほどだった。)

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 自宅の部屋の温度を強力に冷やしながら使った。さもないと、CPUの発熱で、途中でフリーズしてしまい、全て初めからやり直さなければならなかった。

 ある時、日本人商工会議所の日系企業のアンケート調査で、集計をさせていたら、急に画面が消え動かなくなった。これには本当に困った。幸いアンケートのデータはフロッピーに入力済みだったが、本体を修理してもらうには、まず日本へ送ることを考えた。

 しかし、それでは時間がかかり過ぎる。とにかくアンケート調査の集計・報告書作りのために、まず集計ソフトを作ることに日時を費やしてしまっているから、残された期限が迫っていた。困った末に、ものは試しと、どこかで修理できないものかとオフィ―スの現地スタッフに聞いてみた。彼は気よく調べてくれて、有るという。
 それで紹介された先の街中のショッピングコンプレックスビルの一隅の店に、本体と集計ソフトとデータフロッピーを持って行ってみた。

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 若い欧米人の夫婦がかなり熱心に商談していた。対する店員や店の主人は、中国系の若い技術者。ブーム熱が起きており、こうした風景が各店で見られた。


 若い中国系の社員か経営者かわからない技術に強そうな男が出てきて応対してくれたが、万事了解している風で、早速修理するという。時間がかかるというので、そこに置いてあるコモドール64の一式を使わせてもらえないかと聞くと、OKが出た。わたしはすぐに作業に取り掛かり、おかげで、待つ間に集計のプリントアウトまで仕上げることができたのは、本当に助かった。

 何が幸いするかわからない。もし、日本のナショナル製品を選んでいたら、海外ではこのような利便を得ることは到底できなかったのだ。
 (赴任中の最後のころになると、日本人商工会議所でもようやくNECのPC98が導入され、印刷にも漢字出力ができるようになった。ただし、メンテナンスは現地では依然できなかった。)

 それで、修理のほうだが、やはりCPUがダメになっていて、交換したということで、古いCPUをくれた。見事復旧して、不思議と修理費は心配したほど高くはなかった。

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 故障して、交換した古いCPU。
 この故障の後、しばらくして、またもや変圧器で使ってきた電源アダプターが熱でいかれた。今回は、交換アダプターと部品がないというので、紹介してもらったシンガポールの店で出張した時に三つ又のソケットのアダプターを手に入れた。だから、それからわたしのコモドール64は、電圧の変圧器がいらなくなった。(しかし、日本では使えない。)


 帰りに改めて、街中を歩いてみると、この店のあるビルの周りは各社のコンピュータやその関連商品を扱う店が集まっていることに気がついた。
 アップルコンピュータと同じ色・筐体デザインで、「RINGO(りんご)」、「BANANA(ばなな)」という名前でリンゴやバナナの絵が筐体にあしらってあるPC(台湾製か?)を売っている店があったり、もう古いのではないかと思われる米国製のPCの店など、各社入り乱れての群雄割拠の状況がみられた。(ただし、日本製品は日本語専用であったので、あるはずがなかった。)

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 値段表示によると、コモドール64の一式の値段は、1.599M$で、当時の日本円で、16万円ほどになる。値段を、1,600M$としないところが憎い。

 結局、日本と違って、旧英国の植民地だったから、英語のハードルがなく、途上国とはいっても一国の首都。豊かな錫、椰子油、石油、天然ガスや強力な政治のリーダーシップで国民車を牽引力として工業化を目指すこの国の首都には、若い支配層の知的富裕層も集中して存在するわけで、ちょうど日本の東京の秋葉原の状況なのだ。

 わたしは、帰り道、自分の仕事の責任が果たせたことと、コモドール64が修理できたことで、満足した高揚感の中で、「途上国の首都は、やっぱり首都だった。」と思った。

 ところで、コモドール64が失敗した最大の要因は、結局、ファミコンの発売だったと思う。
 1982年の初頭に、国内で発売されたMXマシンが34,800円と安価で、さらに、1983年7月には、任天堂からファミコンが14,800円で発売され、次いでゲームソフトが充実してくると、コモドール64を初めとするファミコン以下の性能しかないパソコンは、瞬く間に淘汰されてしまったのだ。

 しかし、いま、こうして「わたしのPCの原点」ともいえる、コモドール64の記事を書いていながら改めて幸いと思うことは、この機械を日本から持ち出し使って、また再び日本へ持ち帰える事が出来たことの僥倖と、断捨離を免れて奇跡的に今もまだここに残ってあるという事実であり、それに対して軽い感慨に浸っているのだ。


〇 かつての「キーボードPC」の再出現
 2011年1月時点で、小型キーボードに一体化されたPCが、サンコーという会社から発売されたという。かつての8bitパソコン、PC-8001やMSXなどのコンセプトで、PCのCPUに「PMX-1000」(Vortex86MX/1GHz)を搭載している。また、SDカードを使っても起動できるとされる。
 製品名は、そのまま「キーボードPC」(KYEPCTV2)といい、実売価格はOS込みで19,800円という。ただし、OSはWindows XPだが、英語版がプリインストールされており、キーボードも英語配列だ。
 製品名の通り、キーボードとPCを一体化したもので、本体サイズは幅360×高さ30×奥行き160mm、重量635gと、大きさは普通のミニキーボードと変わらず、手に持った感覚も違和感がないにも関わらずPCを内蔵している、というのが売りだ。
 冷却のためのファンはない。本体背面にはEthernet、VGA、コンポジットビデオ出力、サウンド出力、マイク入力、SDカードスロット(2基)、USB 2.0(2基)といったインターフェイスを装備し、無線LAN機能(IEEE 802.11b/g/n)も搭載しているという。



(了)


〇 今日の一献 「ワタシハ アナタノ ヒショデス ナニヲシマスカ」 その2

―― 8ビットPC「コモドール64」は、断捨離を免れて

 しかし、何にしても知識は力で、この灰汁と癖の強いCommodore BASIC 2.0(他のBASICはもっと素直だと思う。)をそれなりに判った気がするようになり、探した雑誌のMAZE(メイズ:迷路)ゲームのプログラムを書き写して、それなりに迷路のイラストが動いてくれれば学ぶ者にとっては少しは励みとなる。

 次いでコモドールジャパンのパンフレットの端に載せられた、少し高度なスケジュール管理のプログラムを書いたのを見つけてカセットテープに入れる事が出来れば、あとは妙な自信が出来てきて、不思議と自分は何でもできるような気がしてくるものだ。

〇 PCは、忠実な秘書になれるか
 だから、自分が手続きを書ければ、PCにその手順でいかようにも仕事をさせられるようになり、RAMメモリーの少なさを嘆きながらも、相関係数の計算や借入金のローンの自動計算、友人知人の住所録のデータベース(当然印刷機能付きだ。)の完成などまでに進んだ。

 そのうち、とうとうデータベースソフトは、本体とテレビに電源を入れてから、テレビのブラウン管が温まってくると初期画面が見えてくるので、カセットテープをデッキに入れてコトコトテープが回る時間コーヒーでも飲んでいるうちにソフトが読み込まれ、RUNして立ち上げると、まずメニュー画面に、「ワタシハ アナタノ ヒショデス ナニヲシマスカ」というメッセージが出るようになった。

 ひとつ開発すればいかようにも応用がきくという例として、かつて日本のPCソフト業界の黎明期には、ソフト会社が依頼を受けて1本のビジネスソフトを開発納入すれば次に依頼があって開発するときは、開発コストはほとんどかからず、依頼主の指定する出力伝票様式の開発コストだけで済み、受注値段は変わらないから注文開発の利益率は大きかったといわれる。

 (日本は、会社が頑固で帳票様式が会社によって違い、そのまま開発発注された。米国では、合理的に割り切って帳票様式にこだわらなかったので、ビジネスソフトはパッケージで安価に売られていたという。)
 

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 電源ユニットからCPU、ROM、RAMなどを搭載した基盤など、まさにワンボードに詰め込まれている。

● コモドール64の諸元
・CPU: 8ビット 6510 マイクロプロセッサ、1.023MHz(NTSC)/0.985MHz(PAL)
・RAM: 64Kバイト(BASIC使用時は38KBが使用可能)
・色指定RAM:0.5Kバイト(1Kニブル)拡張ユニットを使用して320KBまで拡張可能
       (直接アクセスできるのは64Kバイトまで)
・ROM: 20Kバイト
・BASIC 2.0:9KB
・KERNEL:7KB
・キャラクタジェネレータ:4KB
・グラフィックス: VIC-IIチップ
・カラー:16色
・テキスト:40×25文字、256文字のユーザ定義文字
・グラフィック:320×200(8×8ピクセル単位に2色)、
        160×200(4×8ピクセル単位に4色)
・スプライト:8個(24×21ピクセル 指定色1色
       または 12×21ピクセル 指定色1色+共通色2色)スムーズスクロール
・サウンド: SIDチップ  3チャネル シンセサイザー(プログラム可能)

〇 BASIC(ベーシック)
 ソフト作成の手続き型言語のひとつで、BASICの名前の語源は「beginner's all-purpose symbolic instruction code」(「初心者向け汎用記号命令コード」)の頭文字から取ったもので、FORTRANの文法が基になっており、初心者向けのコンピュータ言語として、1970年代以降のパソコンで広く使われたが、パソコン製造会社によって言語に若干の違い・派生語などがあった。
 主な特徴として、対話型の編集・実行環境となっており、初心者への配慮がなされ、初心者にも分かり易い文法構造となっている。この言語で作成されたソフトの実行は、基本的に行頭から行われることなどがある。


〇 今日の一献 「ワタシハ アナタノ ヒショデス ナニヲシマスカ」 その3 に続く
 ―― 8ビットPC「コモドール64」は、断捨離を免れて

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〇 今日の一献 「ワタシハ アナタノ ヒショデス ナニヲシマスカ」 その1

―― 8ビットPC「コモドール64」は、断捨離を免れて

 いま、わたしの机の上に、一台の「キーボード・パソコン」(キーボードPC)がある。

 キーボード・パソコンと聞いて、「ああ、あのころのパソコンか。」とお分かりいただけるのは、これからお話しする話題の領域に、かなり以前から関わっておられる方だ。

 このキーボードPCは、コモドール64(Commodore 64)だ。
付属のユーザーズガイドの奥書によれば、1982年(昭和57年)12月15日初版とあるから、もうかれこれ30年前となる機械だ。

〇 パーソナル・コンピュータの群雄割拠時代とコモドール64
 いわゆる1980年代以前の日本のパーソナル用途向けパーソナル・コンピュータ(PC)の黎明期においては、ほとんどが米国からの輸入品とその互換機によって占められていたが、米国のPCは、当然操作マニュアルなどすべてが英語で、日本でPCが一般に普及するのには、やはりハードルが高かったのだ。

 (わたしの学校と職場の先輩で、テキサス・インスツルメントのPCを持っていた方があったが、キーボード入力もテキストも当然全て米語で、とっつきも出来なかった。)

 しかし、1980年代初頭になると、日本のメーカーから、高機能な8ビット機のパーソナル用途向けの安価なPCが発売されるようになり、カタカナから始まってその後、漢字表示できるようにするなどの独自アーキテクチャの製品を発表するようになっていく。

 例えば、1978年にシャープのMZ-80Kや日立のベーシックマスターMB-6880 が発売され、1979年にNECからPC-8001を、1981年には富士通がFM-8を発売するなど、BASIC 8ビットPCの群雄割拠の時代が始まる。
 
 ところで、わたしのコモドール64だが、これは、米国コモドール社が1982年(昭和57年)8月に発売したPCで、日本でも1982年の年末商戦に間に合わせるつもりで、日本法人コモドールジャパン㈱から、カタカナキーボードの付いた日本語版コモドール64として発売されたものだ。

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 初期セットは、本体と電源アダプター、ユーザーズガイドだけだ。
 モニターは普通のテレビが使え、記憶媒体は、普通のカセットテープとテープレコーダが利用できた。

 
 わたしがなぜこの機種を選んだかというと、この時点で、NECのPC-8001や富士通のFM-8は専用キャラクター・ディスプレイ(当時は、主に文字を映し出すのでこう呼んでいたはずだ。)が必要で、シャープのMZ-80Kは専用ディスプレイやテープ読取装置などが付属したオールインワンタイプであったが、コモドール64はキーボードPC本体だけで、各モデルのPCの値段を比べると、結果として、既存テレビを利用できるコモドール64の99,800円が、最も安かったことによる。(当時の製品保証書の日付は、昭和58年3月8日となっている。)
 
〇 手作りの入力、手作りのプログラムの作成
 先ほども言ったように、コモドール64はビデオ発信で既存テレビを利用できたから、わたしは電気屋で中古の20インチのカラーテレビを買ってきて、これを自分の部屋のライテイングビューロの上に置いてモニターにした。

 当時も今もPCは、テレビなどの家電と違い、ただスイッチを入れても何も始まらない。しかし、今のPCは、自動的に内部ハードデスクからOSを読み上げてくれるが、コモドール64の基本ソフトのOSは、内部のKERNALROMに入っていたが、ソフトやデータは電源を入れて立ち上げてから、いちいち記憶媒体から読み込んでやる必要があった。この記憶媒体は、付属の専用テープレコーダーに入れるカセットテープだった。

 (映画などで古い大型コンピュータの画像を見ると、大きな丸いテープが回っているが、そのミニチュア版だと思っていただければよい。これを「シーケンシャルフアイル」といい、フロッピーデイスクやハードデスク(HD)を「ランダムアクセスフアイル」と呼ぶ。もうHDだけの時代で、いまさら分類する必要もなく、両方とも死語だ。)
 
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 まさか、カセットテープと思われる若い御仁も多いと思うので、画像でご確認いただきたい。専用の紛れもない正真正銘のカセットデッキだ。

 「手作りのパンの店」というのがある。何が違うのかと、パートナーに聞いたら、工場で機械作りで製造したパンでなく、個人の店で職人の手で作り、人の手で焼いたパンのことだという。

 本家の米国では、サウンドとグラフィックスの性能の高さがセールスポイントで、ゲーム、開発ツール、オフィス向けアプリケーションを含め、市販ソフトウェアは約15,000タイトルと充実していたそうだ。主にゲーム機代わりに使われたことで、1994年4月の販売終了までに販売総数は2,500万台と推測されている。
 米国からの宣伝文句につられて買った後で知ったことだが、反面日本では、値段の割に対応ソフトも揃わなかったため、ほとんど売れなかったようだ。というのも、対応ソフトは、コモドールジャパン本社から発売された数本のゲームしかなく、後は『マイコンBASICマガジン』に載っているプログラムを自分で手入力するか、自分で作るしかなかったからだ。

 結局、わたしも探した本を見て自分で入力し、作成する、いわゆる手作りの入力、手作りのプログラムの作成を強いられることになり、そのプログラムを書くためのBASIC(ベーシック)言語、Commodore BASIC 2.0を、付属テキストでまず学ぶことから始めなければならなかった。

 (最初、わたしは、基本言語を覚えれば後はBASIC を使っている、シャープのMZ-80KやNECのPC-8001も富士通のFM-8だって言語は同じだろうから、他社のソフトを移植すれば動くだろうとたかをくくっていた。しかし、このCommodore BASIC 2.0は、印刷命令語の構成が複雑だったり、記述スペルや意味が他社と若干違ったりして、そう簡単に問屋は卸してくれなかった。とうとう、この解決のためには、なんか、外国語の類語辞典と思しき、BASIC言語比較表という本を手に入れなければならなかった。)

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 コモドール64のユーザーズマニュアル
 このマニュアルが、初心者のわたしにとって唯一のテキストだった。

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 マニュアルの奥書
 昭和57年12月15日の初版

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 コモドール64のシステム構成

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 コモドールのBASIC概説


〇 今日の一献 「ワタシハ アナタノ ヒショデス ナニヲシマスカ」 その2 に続く
 ―― 8ビットPC「コモドール64」は、断捨離を免れて

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〇 今日の一献 やっぱり理想のカメラはZeiss Ikonか

―― Zeiss Ikon Ideal 250/7とダイヤルセットコンパー(Compur)シャッター
 
 わたしの蛇腹カメラのシャッターの調子がおかしい。どこでひっかかって素直に切れない。
で、シャッターを開けてみた。
 このカメラは、かつてのドイツが誇る巨大光学メーカー、ツァイス・イコンの「アイデアル」(理想)のモデル250/7と、本体の手提げバンドの傍に刻印されている。

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 レンズを回してはずし、シャッター前面のねじを外せば、シャッターカバーが取れる。ダイヤルセットシャッターの構造は、機械シャッターのうちでも簡単で、それにこんなに大きな シャッターであれば、構成部品が大きく取り扱いも他に比べれば楽だ。

 よく見ると、シャッターの部品の7時方向にある大きなねじが緩んで、遊びが大きくなって他の部品との連動がうまくいかなくなっていた。で、ねじを締めて、埃をきれいに拭いておしまい。(油は極力差さないほうがよいと思う。差すとしても、有機溶媒(シンナーなど)で薄めたものを少々がお勧め。)あとは外した順番の逆に、ダイヤルなどを間違えないように合わせて、ねじを締めて、レンズを締め付ければ完了となる。

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 12時方に速度変更ダイヤルの基部。左8時方にシャッターチャージレバーとその基部。右3時方に、レリーズレバー。左11時方に、ガバナー(タイマー)の歯車が見える。1時から2時方に、1/200の高速シャッターまでのためのばねがある。ほかの各種形状の板金は、力の伝達を行っている。

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 ドイツのデッケル社が、自社製品であるコンパーシャッターで、1番(最大口径φ27mm)、2番(最大口径φ35mm)、3番(最大口径φ40mm)、4番(最大口径φ52mm)、5番というように定めた規格が広く使われている。このカメラのシャッターは、口径φ40mmだから、3番シャッターという、大口径の部類に入るだろう。

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〇 ドイツのカール・ツァイス財団は、同国の光学メーカーのエルネマン、コンテッサ・ネッテル、イカ(ICA)、ゲルツ、アンシュタルト光学ゲルツ、ハーン光学を吸収して、1926年にツァイス・イコン(Zeiss・Ikon)社を設立した。

 文献によると、このアイデアル (Ideal ) は、もともとカメラメーカーであるヒュティッヒ(Hüttig)で製造されていた大型蛇腹カメラで、イカを経てツァイス・イコンになっても、引き続き1938年まで製造された、9×12cm判の写真乾板またはフィルムパック式のカメラである。

 したがって、ツァイス・イコン(Zeiss・Ikon)社の銘板のあるこのカメラは、1926年以降1938年までに製造されたことになり、いずれにせよ少なくとも73年以上前のものとなる。

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 ツァイス・イコンは、合併後に各カメラメーカーがそれまで製造していたかなりの種類のプレートカメラの中から、製造を続けるモデルの選択を行った。
 しかし、初期のころのツァイス・イコンの銘板をつけた製品のほとんどは、合併前の売れ残り在庫品だった。折りたたみプレートモデルのほんの一部が選択され、1930年以後も生産を続けたが、イカのアイデアルも生き残った一つだった。

 アイデアルには、キャビネ判から大名詞判フイルムモデル、ステレオモデルまでの5サイズがそろっていて、当時は高級タイプのハンドカメラだった。

 普通は、コンパー(Compur)社製の、ダイアルを回してスピードを合わせる初期のダイヤルセットシャッター又は周りのリングを回して合わせるリムセットシャッターに、テッサー(Tessar)レンズ付が見られるが、まれにはヘクラ(Hekla)レンズ付のモデルを見ることができるという。

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 留め金を外して、革製の2段伸長式ベローズ(蛇腹)を伸ばせば、最長0.6 mまで伸長可能となり、近接・接写が可能になる。

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 右下にあるのが、ブリリアントビューファインダーで、上からのぞいて画像の範囲を決める。
 赤く見えるのは、水準器で、気泡が真ん中にあれば水平が確保されている。
 シャッターダイヤルを回して、刻まれたシャッターの速度数値を合わせる。(シャッタースピードは、矢印の通り左回りに回してセットする。リムセット型は、任意方向に回せることや、T、Bを同一リム上でセットできることが優れている。)シャッター周りには、絞り値が刻まれている。
 12時方向にあるレバーに着いたノブは、回してレンズを上下させることで、アオリができる。ここでは見えないが、下にあるノブを回すと前部が左右する。

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 右が、Ideal 250/7のピントフード。折りたたまれているので、右にあるの留め金を外して展開させる。左は、Zeiss Ikon製のMaximar 207/7のピントフード。本体の大きさはほぼ同じだが、フイルムバックの形状がやや異なる。

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 皮製のカメラバック。折りたたんだカメラとフイルムバックが入る。カメラもバックも新品に近い美しさを保っている。(唯一、バックの鍵だけが失われている。)

〇 本機の諸元について
・レンズ: F4.5、150mm、テッサー(Carl Zeiss Tessar)、虹彩絞り
       バヨネット式のレンズ/シャッターをマウント。シリアル番号:852664
・シャッター:ダイヤルセットCompur 3番、1 – 1/200、B、Z(T)
       シリアル番号:258646
・本体の構成:本体は革製カバー、革製の2段伸長式ベローズ(蛇腹)
       本体は、折り畳み式で格納する(非常にコンパクトになる。)
・フォーマット: 9 × 12cmの金属製スライド式プレート・フイルムフォルダーを利用
・焦 点:最接近距離は、 2m。2段伸長式ベローズにより、最長0.6 mまで伸長可能
・アクセサリー:ブリリアントビューファインダー(前部)、フレームビューファインダー、
       水準器、クリップオン・ダークスライド(ピント調節カバー)付き。革製携帯ケース付
・動 作: 前部のレンズ・シャッター部分が、上下、左右に動作が可能


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 左がZeiss Ikon Ideal 250/7。真ん中が、Zeiss Ikon Maximar 207/7。右が、Voigtlander bergheil。(ロールフイルムホルダーを使えば、今も全て、ブローニーフイルムで6*9㎝の撮影ができる。)


〇 テッサー(Tessar)レンズ
 カール・ツアイスのパウル・ルドルフがエルンスト・ヴァンデルスレブの協力を得て、1902年に設計した名レンズ。3群4枚構成とシンプルだが、当時無収差レンズといわれたトリプレット型よりシャープさ、画面の均質性、コントラストなどの点で勝り、絞り開放から性能がよく非常にシャープで絶賛され、ボシュロムでもライセンス生産された。現在でもコンパクトカメラやパンケーキ型交換レンズに使われている。
 なお、ライカの名レンズとして有名なエルマーもテッサー型レンズだ。

〇 シャッターの機構―セット型とエバーセット型
 このアイデアルに付いているダイヤルセットシャッターは、シャッター羽根を動かすスプリングのチャージレバーと、レリーズレバーが別になっている形式。このため、シャッター動作は二つに分かれるが、強力なスプリングを内蔵できることから、1/300や1/500秒までのシャッター速度が可能となり、手振れの心配もなくすることができた。
 これに対して、シャッター羽根を開閉するスプリングのチャージとレリーズの「掛け金外し」が 一つのレバーで行う方式をエバーセット型という。この場合、セット時にレバーが重くなり、次にレリーズの動作に移ると、シャッターが切れることで急にレバーが軽くなるので、レリーズの際のカメラぶれが起きやすい。 かつては、セットが軽い1/100秒程度までのシャッターでは、多く使われた。

〇 今日の一献  去りゆくものを惜しみ、通った中津川 その3

―― 旧国鉄中央西線の中津川機関区の蒸機たち

 中津川機関区は中規模な機関区で、主な施設は転車台(ターンテーブル)、小型の機関庫と中型の給炭塔(コール・バケット)や給水塔があった。

 機関区の北方角には、乗鞍火山帯の最南部に位置する標高3,067 mの独峰、御嶽山が望まれ、東方面には南アルプスが連なって眺められた。

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 ゆっくりとターンテーブルに向かうD51蒸機

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 四ツ目川の上を行き来するD51蒸機

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 なお、中央西線中津川地区の電化は、1973年(昭和48年)7月だった。このため、1973年8月26日、木曽福島から塩尻間をD51775蒸機牽引のさよなら列車が運転され、中央西線の蒸気機関車の時代は終わった。

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 中央西線の中津川駅に至る沿線の早春の山里。雪を頂いて連なるのは、南アルプスか。
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