〇 今日の一献 見つけた数だけ幸運は来るか。

―― 幸運の四つ葉のクローバー

 四つ葉のクローバーを見つけると、幸運が訪れるという伝説がある。

 不思議とわたしは、この四つ葉のクローバーを見つけることが得意な方である。
 と、書きながら、しかし待てよと考えてみる。人は関心のあるものには、集中力が働くものだから、木々や草花などが好きなわたしは、それに関心があるから見つけ易いのか、それとも潜在意識の中で自分は幸運の機会が薄いのではないかと感じているから、せめて四つ葉のクローバーの御利益に与かりたいと、無意識に願って故の集中力の発揮なのだろうかと。

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 クローバーの花言葉が、「Be mine.」(わたしのものになってください。)という事までは詳しく知らなかったが、女性はこの手の伝説には弱いものだという事だけは、若いころからわたしも本能的に理解していたつもりだったから、この得意な力を発揮して、春になるとせっせと四つ葉のクローバーを探し、見つけると、学校で使う地理のアトラス(地図帳)に挟んで押し葉を作っておいたものだ。

 なぜ、アトラスを使い、押し葉にして作り置きしていたかだが、学校で買わされても地理の時間で少し使うだけで、改めてほとんどそれを使う機会がなかったことと、地図の後ろの索引ページが水を吸いやすい紙であるうえ、表紙がハードカバーであったから、本箱の中でいざという時に見つけ易かったからである。いざという時とは、気になる娘ができたときに出す手紙に挟んで送るためのストックというわけだ。

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 こうして、クローバーの葉が沢山混んでいると、どれが四つ葉かおわかりになるだろうか。
 (次の写真が、四つ葉のクローバーを拡大したものである。)


 だいぶん長じて学校で独逸語を習うようになると、独逸語の筆記体なんぞをマスターし、相手が読めるか読めないはお構いなしに、気障にも Carl Busse の詩の一節なんぞを書いてカードに挟んで送るようになった。勿論、相手に伝えたい肝心な部分は、日本語で書いた。

 しかし、せっせと出したはずのその割には、アトラスの中の四つ葉のクローバーは、今も干乾びたままたくさん残っている。

 ところで、いまのパートナーに四つ葉のクローバーを贈ったかどうかは、さて、どうだったか忘れた。


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〇 四つ葉のクローバー(four-leaf clovers)は、小葉を4枚持つクローバーのことで、普通は三つ葉であるものの稀な変異体である。四つ葉のクローバーの出現頻度は、1/10,000ほどの頻度になると推定されており、四つ葉のほか、発見数は少ないながらも、五つ葉、六つ葉、七つ葉、八つ葉も確認されているようだ。(今までに、わたしの見つけた最高葉数は5枚のものに留まる。)

 四つ葉のクローバーの発生が、遺伝的要因によるものか、環境要因によるものかについては議論がわかれる。その希少性は、低頻度で発現する劣性遺伝子の存在を示唆しているが、一方で、環境要因に起因する体細胞突然変異や形態形成の異常、また一個体の中で偶然分離した複数の遺伝子の相互作用によっても引き起こされるともいわれる。

 なお、さらに伝説によれば、四つ葉のクローバーの小葉は、それぞれ希望・誠実・愛情・幸運を象徴しているとされる。


 これは、息子の嫁から聞いた話だが、だいぶ前に滋賀県の教育委員会の賞を取った研究があるが、それはクローバーの株の群生を足で踏んで刺激を与えた場所に、四つ葉のクローバーの発生が多く見られたという、小学生の女の子の夏休みの研究発表だったという。

 そういえば、四つ葉のクローバーは、株の群生の中よりも、むしろ端の方が見つけやすく、そういった場所は群生が広がっていくときに、他の植物や岩石などとのせめぎ合いの刺激を受けやすい場所でもあることに、わたしも経験的に気がついてはいたのだが、、、小学生すごい。

テーマ : 花・植物
ジャンル : 写真

〇 今日の一献 古武士の風格を漂わせていた静態保存蒸機

〇 富山城址公園の隣、松川べり彫刻公園の9628蒸気機関車

 かつて、旧国鉄の小海線を走っていた、C56149は、1973年(昭和48年)7月に廃車され、その後、清里町営の「美しの森たかね荘」前の山中に30年以上にわたって放置され続け、錆の腐食と部品の喪失などで、全国でもっとも酷い荒廃状態だったという話を知った。

 その後、ようやく修復され、2009年7月から清里駅前(山梨県北杜市高根町清里)に屋根付きで静態保存されているということだが、そんなこともつゆ知らなかったとはいえ、以前この蒸機の元気に活躍する姿を写真に収めたことのあるわたしにとっては、やはり心が痛んだ。

 1960年代の後半から70年代の前半で、ほぼ全国の蒸機は在来線から姿を消した。

 このころ、わたしはある機関区を訪ねたことがあるが、そこで見たものは廃車となった蒸機が集められ、電気溶断・解体処分されて鉄くずと化す姿であり、露天には、標識や小部品をはずされ次の処分を待つ巨大な象ならぬ、多数の蒸機の墓場であったことに、時代の流れとはいえ慄然とした記憶がある。

 あまりにも有名な、京都市の旧国鉄梅小路機関区の跡をそのまま利用した梅小路蒸気機関車館では、蒸機が自力で走行可能な「動態保存」展示されており、今も幸せに煙を吐いている。静岡県の大井川鉄道や愛知県の明治村などでは、現役で列車を牽いて活躍している蒸機もある。

 一般に、動態保存のためには、運用・保存場所の確保のみならず、車両の保守管理のための人的・物的資源の確保が困難で莫大となるため、ごくごく限られた僅かな施設でしか実現していない。従って、そこで動態保存される幸運を得た蒸機もまた、ごく限られた幸せな蒸機となるわけだ。

 通常いわれる保存展示とは、自力走行能力を喪失したままで単に車両の姿を展示する、「静態保存」展示がされている施設が多い。静態保存の蒸機の中では、おそらく日常最も多くの人の目に晒されていると思われるのが、東京JR新橋駅日比谷口にある駅前広場のC11292だろう。


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 海釣りの楽しみのために、年に一度は友人の住む富山を訪れるが、釣り場である魚津へ行くときに、いつも前を通りながらもついぞ富山城に寄ったことはなかった。ある時、ようやく願いがかなって友人たちと富山城を訪れることができた。

 富山城は、1532年に豪族水越勝重によって建てられ、佐々成政や加賀前田家の居城となった。
 現在の天守は、1954年に開催された、富山産業大博覧会のシンボルとして再建されたもので、あたりは富山城址公園となっている。この城址公園の隣に、松川べり彫刻公園と呼ばれる公園かあり、そこに9600形式蒸気機関車、9628号が、ようやく屋根で雨露を凌ぎながら、静態保存されているのを発見した。

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 この蒸気機関車 は、大正3年(1914年)10月に川崎造船所兵庫工場で製造され、ここへやってくる前には 高山本線(岐阜県の岐阜駅から高山駅、猪谷駅を経て富山県の富山駅に至る)で貨物輸送に使用されていたが、24,654,247kmを走行した後に廃車となり、旧国鉄から無償貸与されたものという。

 さすが、大正初期に製造され、驚くなかれ、齢97歳ともなると、車両全体に枯れたような金属疲労の様が色濃く漂う。なぜかヘッドプレートもなく、前部部品も外れたままで、ボランテイアの活動もないのか、埃に塗れて荒れているのが残念で悲しいが、それでも凛とした古武士の風格を漂わせていた。


〇 国鉄9600形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1913年(大正2年)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。
 「キューロク」、「クンロク」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用されたという。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。
 明治末期の大型輸入機を参考に、独創的な発想で日本の国情によく合致する性能の機関車として設計され、狭軌鉄道向け巨大ボイラーを台枠の上に火室を載せて可能にすることで、約1,000馬力の出力を出したが、ボイラー中心の高さが当時の狭軌用蒸気機関車の最高となった結果、重心位置が高く小輪径の動輪であったことから、常用最高速度は65km/hと、高速走行はできなかった。


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 1954年開催の富山産業大博覧会の記念シンボルとして再建された富山城天守閣

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 富山県富山市四方海岸と立山連峰の眺め
 (この時わたしは、いつかあの美しい立山の峰に立つのだと決心した。) 

テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 写真

〇 今日の一献 今はいずこにおわしますか。女王陛下様。

〇 豪華客船 クイーン・エリザベス2
 
 蒸気機関車や車、航空機、船舶など、いわゆる乗り物には人を引き付ける力があると、わたしは思う。それが、年月を経て、歴史あるものであればあるほど、ひきつける力は増し、まして、美しい容姿や力強さを感じさせるものであれば、もうこれは痺れるほどの強烈な吸引力を持つことになる。

 平成11年(1999年)の春、正確には3月6日の朝、当時英国の豪華客船であった、クイーン・エリザベス2(QE2)が、初めて名古屋港に寄港することになった。

 わたしは、前日の夕刻、名古屋港の高潮防波堤の海釣り公園に出かけ、防波堤の先端近くで夜釣りをしながら、朝が明けるのを待った。(この海釣り公園には、管理棟があって、有料駐車場に車を留めて管理棟のパブリックスペースで安全に休憩もとることができる。)

 やがて晴天の空に朝日が昇りはじめたころ、QE2の大きな船体が姿を現した。

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 でかい船体だ、全長が293.5m、全幅32m、高さは52.2mもあるそうだといっても、QE2を見た者にしかその実感は湧かない。
 でかいとは、その縦横、高さといった、長さの感覚だけでなく、70,327トンという総トン数の巨大な存在感のあるものが、あたりの空気、水、空間を押し開きながらこちらに向かって進んでくるのだ。

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 いよいよ、防波堤を過ぎていく。QE2をお目当てに来た人、たまたま釣りに来ていた人、わたしのように、釣りとQE2の両方が目的の人、それぞれだ。しかし、今は皆の瞳は、QE2一つに注がれている。押し分けられた大量の海水が、大きな波となって、何度も防波堤を洗う。

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 薄い煙を上げながらも汽笛も上げず、拍子抜けするほどの静けさの中で、QE2は停泊場所となる金城埠頭へ向かって静々と進んでいった。


〇 クイーン・エリザベス2(クイーン・エリザベス ツー、RMS Queen Elizabeth 2もしくはQE2)は、クルーズ(船旅)客船で、20世紀後半を代表する豪華客船であった。
 名前は、イギリスの女王・エリザベス2世ではなく、先代の「クイーン・エリザベス」の後継であることから、2(Two)であって、Ⅱ(The Second)ではない。船名の前に冠するRMSとは、郵便物の輸送に用いられる船につけられるRoyal Mail Shipの略称であり、これを冠せられることは名誉なこととされる。

 1969年に就航したが、実際に総トン数で世界最大であったのは、就役時から1980年までであった。最大速力:32.5ノット(約61km/h)、巡航速力:28.5ノット(約58km/h)、客室:927室、定員:乗客1,778名/クルー1,016名。
 1950年代後半からの大型ジェット旅客機の就航により、北大西洋定期横断航路の乗客が急激に減り、採算性は低下していた。その後、2008年に客船としては退役し、クイーン・メリー2とともに引退航海を行った後、アラブ首長国連邦のドバイで、今は海上ホテルとして使用されている。

 QE2の最後の世界一周クルーズで、2008年3月19日に大阪港天保山岸壁に入港したのが、日本への寄港の最後となった。


 ところで、その日の海釣り公園でのわたしの釣果であるが、港外側の防波堤から投げた竿にかかってきたのは、たった5本の若いアナゴだけだったと記憶している。

テーマ : 海のある風景
ジャンル : 写真

〇 今日の一献 中央西線の落合川鉄橋で待つD51

 岐阜県中津川市のJR中央線落合川駅は、落合ダム(おちあいダム)の近くにある。このダムは、木曽川本川に建設された発電専用のダムで木曽川では1926年(大正15年)に2番目に完成したダムだ。

 わたしが訪れた、昭和48年(1973年)3月の時点では、名古屋から中津川まではいち早く電化されものの、中津川から先の塩尻まではまだ非電化区間で、D51が活躍していた。

 落合駅で列車を降りて、歩いて落合ダムに架かる中央西線第一木曽川鉄橋の見える高台に上った。

 ここは、鉄橋を渡った列車が、すぐにトンネルに入るという、シャッターチャンスのごく限られた場所だが、慌てない限りは、満足できる画像を手に入れることができた。
 (もっとも、わたしの写真は、もう一呼吸待つべきだったと反省すべきものばかりだが、、。)

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 落合鉄橋を渡るD51貨物列車。D51補機が、後から押しながら続く。

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 鉄橋の反対側からトンネルに向かうD51貨物列車。
 このころは、客車は気動車が牽引し、蒸気機関車は、貨物列車を牽いていた。すでに電化に向けて、コンクリート電柱が立ち始めている。

 中央本線は、東京駅から新宿駅、長野県の塩尻駅を経由して、愛知県の名古屋駅までを結ぶ鉄道路線(幹線)396.9kmである。
 このうち東京駅 - 塩尻駅間「中央東線」はJR東日本、塩尻駅 - 名古屋駅間「中央西線」はJR東海の管轄となっている。塩尻駅はJR東日本が管轄する。

 JRとなった今も、山間部を走る路線であり、勾配もきつく距離も長いため、全線を通しての通過輸送はほとんどない。

 余談だが、名古屋地域から西の各鉄道会社では、列車が入ってくるときに駅の構内放送が「危険ですからご注意ください。」と言うが、塩尻駅以東では、構内放送は「あぶないですから、、、、」と放送される。
 なるほど、それはJR東日本の管轄だからだ。

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 島崎藤村は『夜明け前』で、「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾を巡る谷の入り口である。」と書いた。
 中央西線は、トンネルが多く、ここ木曽路を走るD51は、集煙装置を取り付けていた。


〇 D51形蒸気機関車
 D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式(炭水車付)蒸気機関車である。動輪軸が4つあることから、D51は「D」を冠する。
 主に貨物輸送に用いられ、太平洋戦争中には大量生産され、総製造両数は1,115両にまで達し、1形式の両数では日本の機関車の最多数を記録した。「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞ともなった。
 


テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 写真

〇 今日の一献 都会のリフレクトミラー JR名古屋駅太閤口

 リフレクター (Reflector) とは、光や音などの波を反射 (Reflection) させる装置のことをいう。

 反射器・反射板とも呼ばれ、写真を撮影する時に被写体に光を反射させる板を、レフ板というが、モデル女性の撮影の場所では、カメラ助手が大きな銀色のレフ板で、反射光をモデルに当てているのを見たこともおありだろう。

 もっと身近なものでは、自動車や自転車に取り付けられていて、自分の存在を知らせる赤い反射器、つまり尾灯がそうだ。 

 では、街中で、もっと大きなリフレクターを探してみると、ビルのガラス壁面がこのリフレクターの役割をして、しかも鏡になって景色を映し出す、巨大なリフレクトミラーとなるものがある。

 少し自分で意識しながら街中を歩いてみると、見る角度を工夫するだけで、好きな建物が映っているのを見ることができる場所、いわば自分のお気に入りの、「都会のリフレクトミラー」を発見できる楽しみがある。

 愛知県のJR名古屋駅の太閤口(昔は駅裏と呼んでいた。)にあるビルのガラス壁面は、名駅地区の都会のリフレクトミラーの役割を果たす。JR名古屋駅のタワービルを映し出している場所を探すのは、比較的簡単である。

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 ついでに、どのビルなのかをご理解いただくために、いつものように、JR名古屋駅太閤口のパノラマ画像を見ていただきたい。

 一番右に、スパイラルタワー、真ん中にJR名駅タワービルとトヨタビル、左に牛島ビルが見える。一番左に件の「都会のリフレクトミラー」ビルがある。


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テーマ : 街の風景
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