〇 蟹江の夏の川祭り「須成の宵祭り」に行ってきた

―― 川面に映る巻藁船の灯りが 幻想的な郷愁を誘う

 昨夜は、地元の写真クラブの人達と、愛知県西部にある蟹江町の須成祭(すなりまつり)の宵祭りの写真撮影に行ってきた。

 須成祭は、愛知県蟹江町にある冨吉建速神社と八剱社の夏の祭礼で、疫病退散を祈願する天王信仰に由来する祭りとして江戸時代からの400年の歴史を持つ川祭だ。

00-DSC00042.jpg

00-DSC00013.jpg

 冨吉建速神社と八剱社は、733年(天平5年)に奈良時代の僧・行基が勧請して創建したとされ、また社殿はかつて織田信長が造営したとの言い伝えもあり、重要文化財に指定されている。

00-DSC00033.jpg

00-DSC00028.jpg

 境内には夜店が建ち、近在からの多くの人出で賑わっていた。

 蟹江町北部の須成地区は、古くから農業と商業を生業としてきた地域で、須成祭は地区の氏神の祭礼として地元の人々の手で伝統が受け継がれている。

 須成祭は百日祭ともいわれ、穢れを葭(よし)に託して流す御葭行事や宵祭りの巻藁船(朝祭り:車楽舟)の出る川祭を中心に、7月初旬から3か月間にわたる諸行事が行われ、2012年には国の重要 無形民俗文化財に指定されている。

 この夜の宵祭りには、稚児を乗せた一艘の巻藁船が、川下にある飾橋から冨吉建速神社・八剱社の近くの天王橋まで蟹江川を上る。(午後8時~10時 飾橋~天王橋)

00-P1440170.jpg

 公民館で行われた宿囃子
 この夜の宵祭りには、まず公民館で宿囃子が行われた後、稚児を乗せた巻藁船が天王橋まで55分かけて蟹江川を遡る。

00-P1440182.jpg

 巻藁船に向かう稚児の行列

00-DSC00056.jpg

 蟹江川を上る宵祭りの巻藁船
 祭りの中心となる宵祭の巻藁船は、数多くの提灯で飾られ稚児を乗せて祭囃子を奏でながら蟹江川を上る。

 川面に映る巻藁船の灯りが、幻想的な郷愁を誘う。

00-DSC00068.jpg

 人力で川の両岸からロープで引かれた巻藁船は、ゆっくりと進んで来る。
 半円に飾られる「巻藁提灯」の数は1年の日数を表す365個、中心に立つ「如意竹」に縦に並ぶ提灯は1年の月数の12個(閏年は13個)、巻藁提灯の下の小さな「ほおずき提灯」は一月の日数の30個とされている。

00-DSC00110.jpg

00-P1440219_20170808012802989.jpg

 巻藁船に乗った稚児が冨吉建速神社・八剱社の近くの天王橋の袂の船着場で下船し神社に奉納すると、祭船に飾られていた赤いほおずき提灯と餅が船の上から見物客に向かって投げられ、次いで打ち上げ花火でこの日の行事が終了する。

00-panorama-20170805-00.jpg

 須成祭は、「山・鉾・屋台行事」を構成する33の祭りのひとつとして、昨年(平成28年)12月にユネスコの無形文化遺産に登録された。

00-車楽船

 なお、次の日の朝行われる朝祭では、巻藁船を模様替えして大屋台に高砂人形を安置し、梅花・桜花で飾られた車楽船(だんじりぶね)となって、再び稚児を乗せて飾橋から出発し、祭囃子を奏でながら天王橋まで川を上り、神社に奉納する。(午前9時~12時 飾橋~天王橋:参考画像)

6028.jpg

https://youtu.be/sECBPmuja2k











〇 東京へ行ったついでに「迎賓館赤坂離宮」の一般公開に行ってきた

―― 壮麗なネオバロック様式の宮殿建築の国宝

 昨年(2016年)4月から、観光立国化を進める国の開放方針によって一般公開が始まった、国家の財産、国宝「迎賓館赤坂離宮」に行ってきた。

 外国の国賓が来訪するとその宿泊などの接待に使われ、新聞やTVで報じられることが多い施設だが、以前は限られた夏の期間限定でしか公開されていなかったから、今までは囲いの外から建物を見るだけだった。

00-P1420660.jpg

 四谷駅を出て四谷見附から直進して南の、国道414号線の先にある迎賓館。
 東京都港区元赤坂二丁目1番1号

00-P1420653.jpg

00-P1420626.jpg

 迎賓館の正門
 117,000㎡(35,500坪)の敷地の迎賓館の正門
 もともと皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の東宮御所として1909年(明治42年)に建設された施設だったが、あまりにも華美な宮殿建築で、住居としての使い勝手も良くなかったなどから、嘉仁親王はこの御所を使用することがほとんどなく、また大正天皇即位後は「赤坂離宮」と呼ばれてきた。

00-P1420619.jpg

 正門から続く正面前庭と建物の外観
 大正天皇の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)は、成婚後しばらく東宮御所としてここに居住したものの、天皇即位後は使い勝手が悪く経費が嵩むとしてほとんど使用せず、放置されてきた状態だった。
 戦後になって宮内庁から国に移管され、国際関係の緊密化により外国の賓客の来訪が多くなり、それまで迎賓館として使用していた施設が手狭などという理由で、5年をかけた改修がなされ、1974年(昭和49年)3月から国の迎賓施設として使われることになった。

000-P1420587_20170724105052624.jpg

 壮麗なネオバロック様式の洋風建築の建物は、屋根は銅葺き緑青、外壁には花崗岩が使われており、各種の装飾類などと調和のとれた美しさを現出している。
 2009年(平成21年)には旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として、明治以降の文化財としては初の国宝に指定された。
 2016年 (平成28年)4月から一般公開が開始され、夜間のライトアップが行われている。

 敷地:11万7000m2
 本館 構造:鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階)
    延床面積:15,000m2

 先に正門前で入場整理券を受け取り、囲い塀に沿って西門へ廻り入場し、館内に入る前に、まず緊張した面持ちの職員に整理券を渡して、飛行機に搭乗する時のような手荷物・身体検査チェックを受けた後で。大人1,000円也の入場券を買って入館することになる。
 なお、建物の内部は撮影が禁止されている。

 そもそもこの施設が、わが国の国賓を接待するための国宝施設であり、日本にとどまらず、近年世界中の施設で起きているよからぬ暴漢による深刻な被害の多発を抑制するためには、こうした手続きはしごく妥当な措置であるといえる。

src_40221577.jpg

 「2階大ホール」(内閣府HP画像)
 紫斑紋が美しいイタリア産大理石を使った、8本のコリント式円柱。

geihinkan-kengaku03-d2974.jpg

 「花鳥の間」(内閣府HP画像)
 フランスから取り寄せたシャンデリア、天井画、壁画などが使われており、正面から後方へ各種の野鳥が飛翔している大食堂。広さ330㎡
 この場所で行われる招宴で提供される料理のジビエをイメージしているといわれる。

src_40221576.jpg

 「花鳥の間の七宝焼き」(内閣府HP画像)
 日本人の天才職人の手になる壁面に掲げられた長径60cmの七宝焼き(30枚)の一つ。
 現在の七宝焼きには色の境界に銀線が残るが、これにはそれが無い「無線七宝」の技法が使われているという。

IMG_7896.jpg

 建物南側の主庭と噴水(内閣府HP画像)

00-src_40221475.jpg

 迎賓館参観案内図

00-panorama20170703-00.jpg

 前庭から見た、迎賓館の正面全体の外観パノラマ

00-P1420606.jpg

 正面玄関と車寄せ

00-P1420611.jpg

 洋風宮殿建築の正面玄関の屋根飾りには、日本趣味の鎧武者像が設置されている。
 
00-P1420612.jpg

 花崗岩の灰色の五七の桐の紋章や屋根の緑青ドームとのコントラストが際立つ4羽の金色の鳳凰。

 なお、国賓の来館時の前後には一般公開はされないので、見学を予定する場合には事前にインターネットでチエックしておくことをお勧めする。

○ Blog 原稿 20170700 赤坂迎賓館

 迎賓館赤坂離宮の航空写真(NTT空間情報より)


  ● 新宿区立「若葉東公園」
 迎賓館の正面左右にあり、迎賓館と調和のとれるように設計された小さな三角形の公園で、列柱と噴水、ユリノキの並木、モニュメントのある緑の芝生、桜にバラのアーチなどの西洋庭園となっている。
 迎賓館は港区に位置しているが、「若葉東公園」は新宿区が整備している。

00-P1420634.jpg

00-P1420649.jpg

 迎賓館の正門前にあるローマ式小公園の噴水は、左右に2基がシンメトリーに設置されている。

00-P1420643.jpg

 猛暑に見舞われたこの日は、噴水で盛んに水浴びをするカラスやスズメの姿が見られた。


 ● 東京都内の各種のマンホールの蓋(迎賓館周辺で観察されたもの)

00-P1420655.jpg

 東京23区の「下水合流管マンホールの蓋」
 周囲に都民の鳥「ユリカモメ」を描き、中央の大きな都の花「ソメイヨシノ」の花びらの間に都の木「イチョウ」をデザインした、マンホールの蓋。
 最新型(番号付)

00-P1420654.jpg

 東京23区の「下水合流管ハンドホールの蓋」平成4年から採用
 「合流」を表記した、上と同じデザイン。

00-P1420578.jpg

 東京都内「雨水管マンホールの蓋」 
 設置管理者不明

00-P1420580.jpg

 東京都の「角型消火栓の蓋」
 菱型地模様の上の左右に東京都紋章と「水道」と「消火栓」の文字が入っている。

00-P1420581.jpg

 東京都内 警視庁の「信号機用マンホールの蓋」
 中央に警視庁の「K」の字が入る。










〇 江戸を識る 旧東京を知る 都立の「江戸東京博物館」

―― 江戸時代とは何だったのか 東京はそれをどう引き継いだのか 一度は行きたい博物館

 東急田園都市線(押上行)で渋谷まで行き、電車はそのまま東京メトロ半蔵門線に乗入れるから、清澄白河駅で下車して地下鉄都営大江戸線に乗り換えれば、2駅目が江戸東京博物館のある両国駅(A4出口 徒歩1分)だ。(JR東京駅からは、京浜東北線(蒲田行)で秋葉原で乗り換え、JR中央・総武線の両国下車)

 何が言いたかったといえば、軌道系の相互乗入が極めて少ない名古屋に住んでいると、首都圏の鉄道会社は、利用者の利便を第一に、経済性・効率性を追及した相互乗り入れの運営がされていることに驚くからだ。

 前振りが長くなったが、そうして訪れた地上7階、地下1階建ての「江戸東京博物館」(1993年開館)は、時の経過と共に失われていく江戸と東京の歴史文化を体系的に収集、保存、展示する東京都立の博物館だ。

DSC02600.jpg

 展示は、江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれてそれぞれの時代が何であったかを、説得力のある細密で迫力のあるジオラマや模型とともに、当時の実物資料などで理解できるようになっているから、東京へ行くことがあって1~2時間余裕があったらぜひ一度は訪れたいお勧めしたいところだと思う。

00-P1420760.jpg

 鷹狩装束の徳川家康の銅像
 地下鉄都営大江戸線の両国駅から博物館に向かう道に、台座からの高さ7.76m(本体3.7m)、重量30tの巨大な像が建つ。
 1994年に江戸消防記念会から寄贈されたというこの像は、亀の形をした霊獣・贔屓の上に15代続いた江戸幕府にちなんだ15段の台座の上に立っているが、驚いたことに東京にある家康の像はこれ一つだという。

00-P1420764.jpg

 木造で復元された江戸時代の日本橋を渡って、江戸ゾーンの展示室に入る。
 ここでもボランテイアガイドが待機しているから、橋を渡る前のカウンターでわたしたちは1時間コースでガイド氏をお願いした。

00-P1420767.jpg

 江戸時代の日本橋の賑わい(ジオラマ)

00-P1420768.jpg

 日本橋の精密ジオラマの一部

00-P1420772.jpg

 焼失前の江戸城天守閣が描かれた屏風絵

00-P1420779.jpg

 神田明神の「神田祭り」の御輿と山車のジオラマ
 
00-P1420781.jpg

 江戸末期の「神田祭り」の原寸大の復元山車
 当時9月15日の神田明神の祭りには、30台の山車が参加したそうだが、この山車は8番目の関羽の人形を乗せた須田町の山車。
 山車の原型は当初大八車を飾り立てたものから始まったが、東海、関西では4輪の山車へと進化するが、この山車は2輪の原型を留めているようだ。

00-P1420816.jpg

00-P1420825.jpg

 歌舞伎「中村座」の外観を復元した芝居小屋

00-P1420820.jpg

 江戸の古典歌舞伎を代表する演目「歌舞伎十八番」の一つ『助六所縁江戸櫻』の吉原・三浦屋の傾城「揚巻」の等身大人形

00-P1420828.jpg

00-P1420835.jpg

 江戸時代の町屋風景のジオラマ

00-P1420785.jpg

0P1200559.jpg

 両国橋界隈の風景ジオラマ

0P1200600.jpg

 長屋で制作に励む、江戸時代後期の天才浮世絵師・葛飾北斎と娘(三女)の応為

0P1200496.jpg

 草子問屋「泉屋」の復元展示

0-0P1200491のコピー

  版画刷りの工程の展示

0P1200485.jpg

panorama 火消し00

 絵馬「火消し千組」の図
 1833年(天保4年) 歌川国芳 筆

0P1200454.jpg

 江戸時代の町の暮らし展示風景

panorama 江戸00

 江戸末期の愛宕山から撮影された江戸のパノラマ写真
 イタリア生まれのイギリスの写真家 フェリーチェ・ベアト(1832年 - 1909年)の撮影による。

00-P1420856.jpg

 東京ゾーンの明治の銀座通りのジオラマ

00-P14208601.jpg

 フォードの「円タク」
 大坂に次いで1926年から東京でも始まった、どこまで行っても1円均一のタクシー「円タク」。
 この車は、大正末期に日本で工場を設置し生産していた1931年型のフォード。

00-P1420854.jpg

 軽自動車の名車「スバル360」
 1958年から70年までの12年間にわたり、39万台が生産された富士重工業の軽自動車。日本最初の国民車(大衆車)で、「てんとう虫」の愛称で親しまれた。
 免許を取ったばかりの、わたしの愛車でもあった。

00-P1420798.jpg

0P1200720.jpg

 お土産に販売されている、江戸前の飴細工。
 飴細工で作った、幕の内弁当、洋食弁当、お赤飯弁当など、かわいいお土産が並ぶ。

 なお、この博物館では、わたしのように65歳以上であれば、都民であるかを問わず入場料金の一般600円が、半額になるからうれしい。

00-半蔵門線z

 「東京メトロ半蔵門線」と接続路線






〇 今日の一献 「第4回名古屋ブラジルフェスタ」へ寄ってきた

――  Divertido!(楽しい!)、Gostoso(美味しい)、Otimo(最高!)

 今日は父の日ということで、家族から中区矢場町にある店での昼食にお誘いがあったので、時間あわせのついでに久屋大通公園の久屋広場で開催中の「名古屋ブラジルフェスタ2017」へ寄ってきた。

 日本人もブラジル人も皆で楽しめるイベントとして、ブラジルの音楽や食べ物などを紹介し、ブラジルという国を知るきっかけを提供する目的で2011年に始まったこのフェスタは、4回目を迎えた今年、6月の17日(土)、18日(日)の2日間に渡って開催された。
 
00-P1120379.jpg

 メインステージのブラジルの足技格闘技「カポエイラ」の武道グループ、「メモリア カポエイラ」(Memoria Capoeira)による演技。

00-P1120378.jpg

Te Amo(愛してます)

00-P1120363.jpg

Divertido(楽しい!)
 サンバ カーニバルの音楽とダンスで会場内を練り歩く、ダンスグループ「ウニドス ド ウルバナ」 Unidos do Urbana。

00-P1120326.jpg

 激しい打楽器や笛の音の調子に合わせて踊るサンバは、フェスタに欠かせない出し物だ。

00-P1120367.jpg

00-P1120372.jpg

00-P1120310.jpg

Gostoso(美味しい)
 串焼き風肉料理「シュラスコ」、ブラジル風コロッケ「コシーニャ」、スパイシーなソーセージ料理「リングイッサ」など、ブラジルの名物料理の屋台が並ぶ。

00-P1120381.jpg

Otimo(最高!)
 会場中央の食べ物屋台の前に設けられたテーブルで、ビールで盛り上がり、ブラジルフードを食べながらステージ見物が出来る。

00-BrazilFes main

00-P1120410.jpg

 昼食した店があるビルから眺めた会場の賑わい。

00-panorama 20170618-00

00-20170618 map

 なお、名古屋ブラジルフェスタは、日本で開催される2大ブラジルフェスティバルのひとつで、もう一つは7月15日(土)、16日(日)に東京・代々木公園で開催されるという。











〇 今日の一献 「徳川園の山車揃え」と「徳川園」に行ってきた


―― 江戸時代から続く山車の競演と尾張藩主の隠居所

● 「徳川園の山車揃え」
 毎年6月の第1土曜・日曜日に名古屋市東区の筒井町や出来町地区では、両地区にそれぞれある須佐之男神社の祭礼「天王祭」で、江戸時代から伝わる山車の曳き回しが行われている。

 近頃では、東区内にある徳川園に両地区から5両の山車が一同に会する「山車揃え」が行われ、江戸時代から伝わる豪華な造りの山車とからくり人形の演技が市民に披露されている。

00-P1110892.jpg

 当日の先着500人に配布された、特製ストラップ。

00-DSC09191.jpg

 筒井町や出来町地区から徳川園に集まった5両の山車
 筒井町天王祭の山車は神皇車(じんこうしゃ)と湯取車(ゆとりぐるま)の2両で、出来町天王祭の山車は、鹿子神車(かしかじんしゃ)、河水車(かすいしゃ)、王羲之車(おうぎししゃ)の3両。

00-DSC09208.jpg

 初夏の風物詩「徳川園の山車揃え」は、2005年(平成17年)の天王祭から開催されており、今年で13回目を迎え、8,000人の見物客で賑わった。

00-DSC09250.jpg

 新出来町の『鹿子神車(かしかじんしゃ)』
 4体のからくり人形が載り、唐子が逆立ちして太鼓を打つ演技をする。

00-DSC09270.jpg

00-P1110881.jpg

 山車の回転「どんでん」
 徳川園の広場に集合した山車は、からくり人形の演技後に方向転換してそれぞれの町に帰る。
 山車の前輪を浮かせて方向を180度回転させる「どんでん」は、山車を操る主役の楫方(かじかた)の腕の見せどころだ。

00-P1110884.jpg

00-P1110886.jpg

00-P1110897.jpg

00-DSC09353.jpg

 徳川園の正門、総ケヤキ造りの「黒門」(登録有形文化財)

000-IMG_20170607_0001.jpg

 NPO法人「東区山車まつり振興会」公式ホームページ
 http://higashiku-dashi.or.jp/



● 徳川園の初夏の風物は、、、、水の涼しさ
 「徳川園の山車揃え」を観に行ったついでに寄ってきた。
 名古屋市の都市公園の一つ「徳川園」は、もともと旧尾張藩二代藩主 徳川光友の隠居所「大曽根御屋敷」として元禄8年(1695年)に造営されたもので、1931年(昭和6年)に尾張徳川家から名古屋市に寄贈され、2005年(平成17年)になって総面積4.5haの池泉回遊式日本庭園として再整備されたものだ。
 なお、「徳川園」に隣接して旧尾張藩の宝物を展示する「徳川美術館」や藩の文庫だった「名古屋市蓬左文庫」がある。

00-DSC09178.jpg

 龍門の滝の上に架かる虎仙橋

00-DSC08999.jpg

 龍仙湖とレストラン・ホールのある「観仙楼」

0170604-panorama-01.jpg

 龍仙湖
 池泉回遊式日本庭園の「徳川園」には、この地方にある木曽山脈、木曽三川、伊勢湾や濃尾平野に見立てて、山、大曽根の瀧、渓流、龍仙湖、牡丹園、菖蒲田などが配置されている。

00-DSC09014.jpg

00-DSC09066.jpg

 菖蒲田
 1,700株が植えられた花菖蒲

00-DSC09043.jpg

00-DSC09093.jpg

00-DSC09112.jpg

 「虎の尾」の名のある深山幽谷を思わせる渓流

00-DSC09152.jpg

00-DSC09165.jpg

 ハクセキレイのつがい

 00-P1110902.jpg

 6つ葵の紋が付いた、徳川園の瓦屋根兵とタチアオイの花。

00-20170605 徳川園

 「徳川園」
 https://www.tokugawaen.aichi.jp/




最新記事
カテゴリ
プロフィール

2011deko

Author:2011deko
でこちんの
  『いつか ありしこと。』
   のブログへようこそ!
(掲載写真は、クリックする
と、拡大写真になります。)

性 別:男性
住 居:愛知県
趣 味:ブログのカテゴリー

天気予報

-天気予報コム- -FC2-
月別アーカイブ
来場者数
検索フォーム
リンク