〇 今日の一献 いまも佇む 中村公園の「ラジオ塔」

―― 機能を失い、朽ちるに任せたままの歴史的遺物

 いまも時々訪れる名古屋の中村公園は、子供の頃からわたしの遊び場だったが、気がついたときには、この施設はもうここにあった。

 時折、ブツブツと音がしたことがあるけれど、何のための施設か分からなかったが、大人に聞くと「ラジオ塔」だということだったが、その時のわたしの関心はそこまでで、以後はずうっとそのままになっていた。

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 生誕地に因んで秀吉の馬印から名前を取った、桜の季節の「ひょうたん池」。

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 松の木立に囲まれて目立たない場所に、「ラジオ塔」がある。

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 先日訪れたときに気になって寄ってみたら、太く育った松の木立に囲まれて「ラジオ塔」は、まだそこにあった。

 帰ってから調べたら、市発行の『名古屋の公園』の中の「昭和18年の名古屋市公園一覧」の施設に中村公園の「ラジオ塔」が出でいるのがこれだろうから、少なくとも1943年以前には、もうここに建てられていたことになる。

 そもそも「ラジオ塔」は、正式には「公衆用聴取施設」といい、ラジオ受信機とスピーカーが内蔵された高さ2~3mの塔で、1925年(大正14年)にラジオ放送が始まってから、当時はまだ高級品だったラジオを一般に普及させるため、1930年ごろに大阪・天王寺公園にラジオ塔が設置されたのを始まりとして、全国の公園や神社の境内に広がっていったとされ、1941年には全国で460基あったことが確認されている。

 その後、非常時の情報伝達の機能やラジオ体操の会場の役割を担ってきたが、やがてラジオの一般家庭への普及やテレビの出現により、ラジオ塔の役割は廃れていき、いまではその存在すらも忘れ去られたのだろうと思われる。

 その『名古屋の公園』によると、当時は市内の7つの公園に設置されていたようだが、このうち今も残るのはこれを含めて3基のみという。

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 改めて近づいてよく見ると、わたしが幼いころに気づいた当時には、松の根が太く張ったせいか傾いていた塔は、その後に造られた土台の上に垂直に直されて建ってはいるが、やはり建設から70年以上を経て、壁には亀裂が入り屋根は苔むした、朽ちるに任せたままの状況で、そのうち上部から崩壊するのではないかとの予感さへ伝わる。

 聞くところによれば、所によっては、地域に残るラジオ塔が修復・再建されたり、中には国の登録有形文化財に指定されたものもあるという。

 そんなことを思いながら見回すと、20mほど離れたところに、公園管理事務所があるのだが、、、、、。










〇 今日の一献 開業した名古屋笹島の「グローバルゲート名古屋」と撮鉄と

―― 「ささしまライブ24」地区の6つの鉄道路線は撮鉄には魅力的

 娘たちに誘われて、先日(2017年10月5日)開業したばかりの、名古屋笹島の「グローバルゲート名古屋」に行ってきた。

 名古屋駅の南、旧国鉄笹島貨物駅跡地の「ささしまライブ24」地区(12.4ha)は、平成17年3月にシネコン・アミューズメント等やライブホールが開設されてから、少し間を空けてゆっくりと再開発が進んでいたが、愛知大学名古屋キャンパス、JICA中部国際センター、中京テレビ放送(株)社屋などの相次いだ整備が進み、今回のグローバルゲート名古屋の開業で、ほぼ完成の段階となった。

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 (左が、「グローバルゲート名古屋」、右の2棟は愛知大学名古屋校舎)

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 グローバルゲート名古屋は、西側の「高層タワー」(高さ170m、地上37階建て)と、東の「大和ハウス名古屋ビル」(高さ90m、地上17階建て)の超高層ビル2棟、その間にある屋上庭園を備えた「低層棟」(高さ30m、地上4階建て)の3つで構成され、ホテルやオフイース、ショッピングモールなどが入居する複合施設だ。

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 低層棟には花木の植栽が多く、ゆったりとショッピングも楽しめる。

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 屋上庭園には、秋の草花が風に揺れていた。

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 屋上庭園の一角には、ススキの群れが植栽されている。
 夜に確かめたわけではないが、このビルの設計者は、きっと向こうの名古屋駅の高層ビル群を背景に、お月見ができるようにススキを植えたのだろうと思う。

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 愛知大学名古屋キャンパス棟やグローバルゲート名古屋、あおなみ線「ささしまライブ24駅」などとは、南北、東西の歩行者デッキで繋がれ、鉄道を高架で横断する歩行者オーバーパスが整備されている。

  なお、鉄道路線を南北の地下で横断し、新幹線太閤口に直結する、自動車用アンダーパスは現在整備中となっている。

01-Blog 原稿 20171010-2 グローバルゲート名古屋

  「ささしまライブ24」地区の施設配置図


● 撮鉄にも魅力的な「ささしまライブ24」地区

 この地区の周辺には、新幹線をはじめ近鉄線、名鉄線、あおなみ線、JR関西線、JR東海道線などの6つの鉄道路線が走り、それぞれのビルの上から撮影もできる、撮鉄のわたしのようなものには魅力ある地区ともなっている。

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 高層ビル群とJR名古屋駅を行き交う新幹線

01-Blog 原稿 20171010 グローバルゲート名古屋

 「ささしまライブ24」地区周辺の交通網地図


● あおなみ線に乗り入れる JP貨物列車

 「あおなみ線」は、名古屋駅から港区の金城ふ頭駅までの15.2kmを名古屋臨海高速鉄道が運行しており、旅客電車の路線としての印象が強いが、実は、JR東海からの譲渡後も名古屋―名古屋貨物ターミナル間(5.1km)をJR貨物の貨物列車運行が行われている。

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 コンテナを載せて長い、国鉄引継の国鉄コキ50000形貨車(37t積12ftコンテナ5個積載)を引いて「あおなみ線」を走る、『JR貨物EF66-102』(川崎重工業製JR貨物EF66形電気機関車100番台)
(笹島の「グローバルゲート名古屋」からの眺め。)

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 見慣れた4両編成の名古屋臨海高速鉄道の通勤型「1000形電車―06」

 (「グローバルゲート名古屋」からの眺め。)

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 名古屋駅に向かって「ささしまライブ24」駅を出る、通勤型「1000形電車―05」







 







〇 蟹江の夏の川祭り「須成の宵祭り」に行ってきた

―― 川面に映る巻藁船の灯りが 幻想的な郷愁を誘う

 昨夜は、地元の写真クラブの人達と、愛知県西部にある蟹江町の須成祭(すなりまつり)の宵祭りの写真撮影に行ってきた。

 須成祭は、愛知県蟹江町にある冨吉建速神社と八剱社の夏の祭礼で、疫病退散を祈願する天王信仰に由来する祭りとして江戸時代からの400年の歴史を持つ川祭だ。

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 冨吉建速神社と八剱社は、733年(天平5年)に奈良時代の僧・行基が勧請して創建したとされ、また社殿はかつて織田信長が造営したとの言い伝えもあり、重要文化財に指定されている。

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 境内には夜店が建ち、近在からの多くの人出で賑わっていた。

 蟹江町北部の須成地区は、古くから農業と商業を生業としてきた地域で、須成祭は地区の氏神の祭礼として地元の人々の手で伝統が受け継がれている。

 須成祭は百日祭ともいわれ、穢れを葭(よし)に託して流す御葭行事や宵祭りの巻藁船(朝祭り:車楽舟)の出る川祭を中心に、7月初旬から3か月間にわたる諸行事が行われ、2012年には国の重要 無形民俗文化財に指定されている。

 この夜の宵祭りには、稚児を乗せた一艘の巻藁船が、川下にある飾橋から冨吉建速神社・八剱社の近くの天王橋まで蟹江川を上る。(午後8時~10時 飾橋~天王橋)

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 公民館で行われた宿囃子
 この夜の宵祭りには、まず公民館で宿囃子が行われた後、稚児を乗せた巻藁船が天王橋まで55分かけて蟹江川を遡る。

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 巻藁船に向かう稚児の行列

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 蟹江川を上る宵祭りの巻藁船
 祭りの中心となる宵祭の巻藁船は、数多くの提灯で飾られ稚児を乗せて祭囃子を奏でながら蟹江川を上る。

 川面に映る巻藁船の灯りが、幻想的な郷愁を誘う。

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 人力で川の両岸からロープで引かれた巻藁船は、ゆっくりと進んで来る。
 半円に飾られる「巻藁提灯」の数は1年の日数を表す365個、中心に立つ「如意竹」に縦に並ぶ提灯は1年の月数の12個(閏年は13個)、巻藁提灯の下の小さな「ほおずき提灯」は一月の日数の30個とされている。

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 巻藁船に乗った稚児が冨吉建速神社・八剱社の近くの天王橋の袂の船着場で下船し神社に奉納すると、祭船に飾られていた赤いほおずき提灯と餅が船の上から見物客に向かって投げられ、次いで打ち上げ花火でこの日の行事が終了する。

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 須成祭は、「山・鉾・屋台行事」を構成する33の祭りのひとつとして、昨年(平成28年)12月にユネスコの無形文化遺産に登録された。

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 なお、次の日の朝行われる朝祭では、巻藁船を模様替えして大屋台に高砂人形を安置し、梅花・桜花で飾られた車楽船(だんじりぶね)となって、再び稚児を乗せて飾橋から出発し、祭囃子を奏でながら天王橋まで川を上り、神社に奉納する。(午前9時~12時 飾橋~天王橋:参考画像)

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https://youtu.be/sECBPmuja2k











〇 東京へ行ったついでに「迎賓館赤坂離宮」の一般公開に行ってきた

―― 壮麗なネオバロック様式の宮殿建築の国宝

 昨年(2016年)4月から、観光立国化を進める国の開放方針によって一般公開が始まった、国家の財産、国宝「迎賓館赤坂離宮」に行ってきた。

 外国の国賓が来訪するとその宿泊などの接待に使われ、新聞やTVで報じられることが多い施設だが、以前は限られた夏の期間限定でしか公開されていなかったから、今までは囲いの外から建物を見るだけだった。

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 四谷駅を出て四谷見附から直進して南の、国道414号線の先にある迎賓館。
 東京都港区元赤坂二丁目1番1号

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 迎賓館の正門
 117,000㎡(35,500坪)の敷地の迎賓館の正門
 もともと皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の東宮御所として1909年(明治42年)に建設された施設だったが、あまりにも華美な宮殿建築で、住居としての使い勝手も良くなかったなどから、嘉仁親王はこの御所を使用することがほとんどなく、また大正天皇即位後は「赤坂離宮」と呼ばれてきた。

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 正門から続く正面前庭と建物の外観
 大正天皇の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)は、成婚後しばらく東宮御所としてここに居住したものの、天皇即位後は使い勝手が悪く経費が嵩むとしてほとんど使用せず、放置されてきた状態だった。
 戦後になって宮内庁から国に移管され、国際関係の緊密化により外国の賓客の来訪が多くなり、それまで迎賓館として使用していた施設が手狭などという理由で、5年をかけた改修がなされ、1974年(昭和49年)3月から国の迎賓施設として使われることになった。

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 壮麗なネオバロック様式の洋風建築の建物は、屋根は銅葺き緑青、外壁には花崗岩が使われており、各種の装飾類などと調和のとれた美しさを現出している。
 2009年(平成21年)には旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として、明治以降の文化財としては初の国宝に指定された。
 2016年 (平成28年)4月から一般公開が開始され、夜間のライトアップが行われている。

 敷地:11万7000m2
 本館 構造:鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階)
    延床面積:15,000m2

 先に正門前で入場整理券を受け取り、囲い塀に沿って西門へ廻り入場し、館内に入る前に、まず緊張した面持ちの職員に整理券を渡して、飛行機に搭乗する時のような手荷物・身体検査チェックを受けた後で。大人1,000円也の入場券を買って入館することになる。
 なお、建物の内部は撮影が禁止されている。

 そもそもこの施設が、わが国の国賓を接待するための国宝施設であり、日本にとどまらず、近年世界中の施設で起きているよからぬ暴漢による深刻な被害の多発を抑制するためには、こうした手続きはしごく妥当な措置であるといえる。

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 「2階大ホール」(内閣府HP画像)
 紫斑紋が美しいイタリア産大理石を使った、8本のコリント式円柱。

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 「花鳥の間」(内閣府HP画像)
 フランスから取り寄せたシャンデリア、天井画、壁画などが使われており、正面から後方へ各種の野鳥が飛翔している大食堂。広さ330㎡
 この場所で行われる招宴で提供される料理のジビエをイメージしているといわれる。

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 「花鳥の間の七宝焼き」(内閣府HP画像)
 日本人の天才職人の手になる壁面に掲げられた長径60cmの七宝焼き(30枚)の一つ。
 現在の七宝焼きには色の境界に銀線が残るが、これにはそれが無い「無線七宝」の技法が使われているという。

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 建物南側の主庭と噴水(内閣府HP画像)

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 迎賓館参観案内図

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 前庭から見た、迎賓館の正面全体の外観パノラマ

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 正面玄関と車寄せ

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 洋風宮殿建築の正面玄関の屋根飾りには、日本趣味の鎧武者像が設置されている。
 
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 花崗岩の灰色の五七の桐の紋章や屋根の緑青ドームとのコントラストが際立つ4羽の金色の鳳凰。

 なお、国賓の来館時の前後には一般公開はされないので、見学を予定する場合には事前にインターネットでチエックしておくことをお勧めする。

○ Blog 原稿 20170700 赤坂迎賓館

 迎賓館赤坂離宮の航空写真(NTT空間情報より)


  ● 新宿区立「若葉東公園」
 迎賓館の正面左右にあり、迎賓館と調和のとれるように設計された小さな三角形の公園で、列柱と噴水、ユリノキの並木、モニュメントのある緑の芝生、桜にバラのアーチなどの西洋庭園となっている。
 迎賓館は港区に位置しているが、「若葉東公園」は新宿区が整備している。

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 迎賓館の正門前にあるローマ式小公園の噴水は、左右に2基がシンメトリーに設置されている。

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 猛暑に見舞われたこの日は、噴水で盛んに水浴びをするカラスやスズメの姿が見られた。


 ● 東京都内の各種のマンホールの蓋(迎賓館周辺で観察されたもの)

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 東京23区の「下水合流管マンホールの蓋」
 周囲に都民の鳥「ユリカモメ」を描き、中央の大きな都の花「ソメイヨシノ」の花びらの間に都の木「イチョウ」をデザインした、マンホールの蓋。
 最新型(番号付)

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 東京23区の「下水合流管ハンドホールの蓋」平成4年から採用
 「合流」を表記した、上と同じデザイン。

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 東京都内「雨水管マンホールの蓋」 
 設置管理者不明

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 東京都の「角型消火栓の蓋」
 菱型地模様の上の左右に東京都紋章と「水道」と「消火栓」の文字が入っている。

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 東京都内 警視庁の「信号機用マンホールの蓋」
 中央に警視庁の「K」の字が入る。










〇 江戸を識る 旧東京を知る 都立の「江戸東京博物館」

―― 江戸時代とは何だったのか 東京はそれをどう引き継いだのか 一度は行きたい博物館

 東急田園都市線(押上行)で渋谷まで行き、電車はそのまま東京メトロ半蔵門線に乗入れるから、清澄白河駅で下車して地下鉄都営大江戸線に乗り換えれば、2駅目が江戸東京博物館のある両国駅(A4出口 徒歩1分)だ。(JR東京駅からは、京浜東北線(蒲田行)で秋葉原で乗り換え、JR中央・総武線の両国下車)

 何が言いたかったといえば、軌道系の相互乗入が極めて少ない名古屋に住んでいると、首都圏の鉄道会社は、利用者の利便を第一に、経済性・効率性を追及した相互乗り入れの運営がされていることに驚くからだ。

 前振りが長くなったが、そうして訪れた地上7階、地下1階建ての「江戸東京博物館」(1993年開館)は、時の経過と共に失われていく江戸と東京の歴史文化を体系的に収集、保存、展示する東京都立の博物館だ。

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 展示は、江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれてそれぞれの時代が何であったかを、説得力のある細密で迫力のあるジオラマや模型とともに、当時の実物資料などで理解できるようになっているから、東京へ行くことがあって1~2時間余裕があったらぜひ一度は訪れたいお勧めしたいところだと思う。

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 鷹狩装束の徳川家康の銅像
 地下鉄都営大江戸線の両国駅から博物館に向かう道に、台座からの高さ7.76m(本体3.7m)、重量30tの巨大な像が建つ。
 1994年に江戸消防記念会から寄贈されたというこの像は、亀の形をした霊獣・贔屓の上に15代続いた江戸幕府にちなんだ15段の台座の上に立っているが、驚いたことに東京にある家康の像はこれ一つだという。

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 木造で復元された江戸時代の日本橋を渡って、江戸ゾーンの展示室に入る。
 ここでもボランテイアガイドが待機しているから、橋を渡る前のカウンターでわたしたちは1時間コースでガイド氏をお願いした。

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 江戸時代の日本橋の賑わい(ジオラマ)

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 日本橋の精密ジオラマの一部

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 焼失前の江戸城天守閣が描かれた屏風絵

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 神田明神の「神田祭り」の御輿と山車のジオラマ
 
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 江戸末期の「神田祭り」の原寸大の復元山車
 当時9月15日の神田明神の祭りには、30台の山車が参加したそうだが、この山車は8番目の関羽の人形を乗せた須田町の山車。
 山車の原型は当初大八車を飾り立てたものから始まったが、東海、関西では4輪の山車へと進化するが、この山車は2輪の原型を留めているようだ。

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 歌舞伎「中村座」の外観を復元した芝居小屋

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 江戸の古典歌舞伎を代表する演目「歌舞伎十八番」の一つ『助六所縁江戸櫻』の吉原・三浦屋の傾城「揚巻」の等身大人形

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 江戸時代の町屋風景のジオラマ

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 両国橋界隈の風景ジオラマ

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 長屋で制作に励む、江戸時代後期の天才浮世絵師・葛飾北斎と娘(三女)の応為

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 草子問屋「泉屋」の復元展示

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  版画刷りの工程の展示

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 絵馬「火消し千組」の図
 1833年(天保4年) 歌川国芳 筆

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 江戸時代の町の暮らし展示風景

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 江戸末期の愛宕山から撮影された江戸のパノラマ写真
 イタリア生まれのイギリスの写真家 フェリーチェ・ベアト(1832年 - 1909年)の撮影による。

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 東京ゾーンの明治の銀座通りのジオラマ

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 フォードの「円タク」
 大坂に次いで1926年から東京でも始まった、どこまで行っても1円均一のタクシー「円タク」。
 この車は、大正末期に日本で工場を設置し生産していた1931年型のフォード。

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 軽自動車の名車「スバル360」
 1958年から70年までの12年間にわたり、39万台が生産された富士重工業の軽自動車。日本最初の国民車(大衆車)で、「てんとう虫」の愛称で親しまれた。
 免許を取ったばかりの、わたしの愛車でもあった。

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 お土産に販売されている、江戸前の飴細工。
 飴細工で作った、幕の内弁当、洋食弁当、お赤飯弁当など、かわいいお土産が並ぶ。

 なお、この博物館では、わたしのように65歳以上であれば、都民であるかを問わず入場料金の一般600円が、半額になるからうれしい。

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 「東京メトロ半蔵門線」と接続路線






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