〇 今日の一献 養老鉄道で行く 津屋川堤の彼岸花

―― いま見ごろ 岐阜県津屋川堤の彼岸花
  
 津屋川堤の彼岸花が見ごろだと聞いてきたパートナーの勧めで、午前中の予定をきっちりとこなした上で、一緒に出かけた。
 津屋川堤へは、単線運転の桑名行き養老鉄道で、大垣から養老駅の次の駅「美濃津屋」で降りて徒歩10分。

● 第三セクターの養老鉄道
 養老線は、揖斐川流域西側を縦断する路線で、岐阜県と三重県を直結する唯一の鉄道路線で、三重県桑名市の桑名駅を起点に大垣駅まで来て、一旦乗り換え、スイッチバックして、岐阜県揖斐郡揖斐川町の揖斐駅まで続く57.5km、27駅の路線で、全路線ワンマン運転がされている。

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 発車を待つ大垣駅から桑名方面行きの列車
 2両編成の特別塗装の「養老改元1300年祭記念列車」610系D12編成(モ612+ク512)の先頭車両
 今年(2017年)、岐阜県養老町では、奈良時代の元正天皇による養老行幸と養老改元の故事以来1300年にちなみ、『養老改元1300年祭』を行っている。
 養老鉄道では、このイベントにあわせ、3月から12月23日まで記念列車の特別運行を実施しており、今回、幸運にもわたしたちはこの列車を利用することになった。

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 記念特別列車の後部車両

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 大垣駅から揖斐方面行きの列車

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 養老鉄道は、桑名駅から大垣駅まで来て、スイッチバックして揖斐駅まで続く、57.5km、27駅の路線。

 もともと養老線は、近畿日本鉄道(近鉄)の路線として運営されていたが、貨物輸送の減少、国道258号が整備され自動車交通量が増えたこと、少子化、高齢化による利用者の減少など、経営状況の悪化により、近鉄がこの路線運営の継続を断念したため、代わって沿線各市町等が出資して2007年2月に設立された養老鉄道に移管され、運営されている。

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 「養老改元1300年祭記念列車」610系D12編成(モ612+ク512)の運転席

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 「サイクルトレイン」のマーク
 養老鉄道では、沿線のサイクリングを楽しむサイクリング愛好者や地域の利用者の利便を図るため、電車内に無料でそのまま自転車を持込できる「サイクルトレイン」を運行している。
 「サイクルトレイン」の場合、列車の前・後部に自転車をイメージ化した円形のヘッドマークが取り付けられている。

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 「サイクルトレイン」は、土曜日と休日のすべての列車と、一部時間帯を除く平日9時頃~15時頃までの指定列車で、桑名駅を除く、播磨から揖斐間のすべての各駅で可能で、この日もサイクリング愛好者の姿が目立った。

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 単線運転のため、駅の停車時に往きちがう列車。

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 養老線は、最高速度:65km/h(表定速度:43.7km/h)で運転されている。
 この季節、路線の傍らに咲く彼岸花の赤が目を引く。

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 「美濃津屋駅」(みのつやえき)に到着・下車する。
 大垣駅から8駅目の美濃津屋駅は、岐阜県海津市南濃町津屋借畑にある。
 
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 美濃津屋駅は1919年(大正8年)開設の相対式2面2線のホームを持つ行違可能な無人駅で、駅舎はなく、直接ホームに入る。通学・通勤の利用客は316人/日。

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 美濃津屋駅を発車する610系通常列車
 養老鉄道は、1992年に登場した南大阪線6000系車両を養老線用に転属・改造したもので、当初からトイレは設置されていない。

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 美濃津屋第1踏み切り周辺

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 踏切があることを示す交通標識
 いまや煙を吐いて走るSLは、姿を消して久しいが、いまも踏切の標識は昔のままだ。
 新しい標識は、電車が描かれているが、ここでは懐かしいSLだった。


● いま見ごろ 岐阜県津屋川堤の彼岸花

 養老山地から流れ出た津屋川の東堤の3kmにわたり、10万本の彼岸花が植えられ、いま見ごろを迎えていた。
 (岐阜県海津市南濃町内 津屋川河畔)

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 養老山地を背景に、水辺に生えるマルバヤナギ(アカメヤナギ)の緑と彼岸花の鮮やかな紅の色のコントラストが美しい。

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00-panorama20170924-01 彼岸花-美濃津屋川

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 現地の案内看板によると、下流の小橋の辺りでは6月にホタルの発生も見られるという。
 
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 帰り道に出会った農家のおじさんに、この地の話を聞いたりしていたら、わざわざ名古屋から来てもらったと、冬瓜と南瓜の重いお土産までいただいてしまった。

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 旧南濃町の汚水マンホールの蓋
 中央に「なんのう」の「な」を図案化した旧海津郡南濃町の町章。その周りの3本の線は、木曽三川。周囲にスポーツをしている人をデザインしている。


● 還りも養老鉄道で
 
 帰りは、養老線の桑名駅まで出て、そこから近鉄で名古屋へ帰れば三線利用となるがとも考えたが、帰着時間が遅くなるのを考慮して、また来たルートの大垣経由で帰ることにした。

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 再び美濃津屋駅に入ってきた、記念特別列車に乗車する。

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 「養老駅」
 美濃津屋駅の次は、養老町内にある養老の滝などの観光施設で有名な養老駅。
 駅舎の天井からは、養老の滝の故事にちなむ多くの「ひさご」が釣り下がる。

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 養老駅でも列車の行き互いが行われる。
 養老線の銘銘の元になった養老駅は、旧養老線の池野 - 養老間開通時に、終着駅として1913年(大正2年)に開業している。
 単式・島式の複合型2面3線を備え、行違・折返可能な有人地平駅で、列車別改札を行っている。

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 「神明宮」の幟が上がる、田んぼの中にある、ほのぼのとした村社。
 日が傾き、列車の影が水田に落ちる。

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 烏江駅付近の高架区間からの眺め
 烏江駅付近では、揖斐川の二つの支流の堤防を渡るために、養老線のこの区間だけが高架になっている。

00-panorama20170924 養老鉄道大垣駅

 西日の低く傾いた大垣駅に到着。

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 「OKBトレイン フルラッピング」列車(2両編成)
 大垣に本拠を持つ、大垣共立銀行のスポンサーで、昨年(2016年)11月から運行を始めた、610系D13編成の「OKBトレイン・フルラッピング」列車が、大垣駅に留置されていた。
 ボディには、銀行のイメージカラーに銀行のマスコットキャラクター「パディントン ベア 」と沿線7市町のマスコットキャラクターなどで装飾されている。








〇 今日の一献 開業した名古屋笹島の「グローバルゲート名古屋」と撮鉄と

―― 「ささしまライブ24」地区の6つの鉄道路線は撮鉄には魅力的

 娘たちに誘われて、先日(2017年10月5日)開業したばかりの、名古屋笹島の「グローバルゲート名古屋」に行ってきた。

 名古屋駅の南、旧国鉄笹島貨物駅跡地の「ささしまライブ24」地区(12.4ha)は、平成17年3月にシネコン・アミューズメント等やライブホールが開設されてから、少し間を空けてゆっくりと再開発が進んでいたが、愛知大学名古屋キャンパス、JICA中部国際センター、中京テレビ放送(株)社屋などの相次いだ整備が進み、今回のグローバルゲート名古屋の開業で、ほぼ完成の段階となった。

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 (左が、「グローバルゲート名古屋」、右の2棟は愛知大学名古屋校舎)

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 グローバルゲート名古屋は、西側の「高層タワー」(高さ170m、地上37階建て)と、東の「大和ハウス名古屋ビル」(高さ90m、地上17階建て)の超高層ビル2棟、その間にある屋上庭園を備えた「低層棟」(高さ30m、地上4階建て)の3つで構成され、ホテルやオフイース、ショッピングモールなどが入居する複合施設だ。

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 低層棟には花木の植栽が多く、ゆったりとショッピングも楽しめる。

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 屋上庭園には、秋の草花が風に揺れていた。

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 屋上庭園の一角には、ススキの群れが植栽されている。
 夜に確かめたわけではないが、このビルの設計者は、きっと向こうの名古屋駅の高層ビル群を背景に、お月見ができるようにススキを植えたのだろうと思う。

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 愛知大学名古屋キャンパス棟やグローバルゲート名古屋、あおなみ線「ささしまライブ24駅」などとは、南北、東西の歩行者デッキで繋がれ、鉄道を高架で横断する歩行者オーバーパスが整備されている。

  なお、鉄道路線を南北の地下で横断し、新幹線太閤口に直結する、自動車用アンダーパスは現在整備中となっている。

01-Blog 原稿 20171010-2 グローバルゲート名古屋

  「ささしまライブ24」地区の施設配置図


● 撮鉄にも魅力的な「ささしまライブ24」地区

 この地区の周辺には、新幹線をはじめ近鉄線、名鉄線、あおなみ線、JR関西線、JR東海道線などの6つの鉄道路線が走り、それぞれのビルの上から撮影もできる、撮鉄のわたしのようなものには魅力ある地区ともなっている。

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 高層ビル群とJR名古屋駅を行き交う新幹線

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 「ささしまライブ24」地区周辺の交通網地図


● あおなみ線に乗り入れる JP貨物列車

 「あおなみ線」は、名古屋駅から港区の金城ふ頭駅までの15.2kmを名古屋臨海高速鉄道が運行しており、旅客電車の路線としての印象が強いが、実は、JR東海からの譲渡後も名古屋―名古屋貨物ターミナル間(5.1km)をJR貨物の貨物列車運行が行われている。

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 コンテナを載せて長い、国鉄引継の国鉄コキ50000形貨車(37t積12ftコンテナ5個積載)を引いて「あおなみ線」を走る、『JR貨物EF66-102』(川崎重工業製JR貨物EF66形電気機関車100番台)
(笹島の「グローバルゲート名古屋」からの眺め。)

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 見慣れた4両編成の名古屋臨海高速鉄道の通勤型「1000形電車―06」

 (「グローバルゲート名古屋」からの眺め。)

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 名古屋駅に向かって「ささしまライブ24」駅を出る、通勤型「1000形電車―05」







 







〇 蟹江の夏の川祭り「須成の宵祭り」に行ってきた

―― 川面に映る巻藁船の灯りが 幻想的な郷愁を誘う

 昨夜は、地元の写真クラブの人達と、愛知県西部にある蟹江町の須成祭(すなりまつり)の宵祭りの写真撮影に行ってきた。

 須成祭は、愛知県蟹江町にある冨吉建速神社と八剱社の夏の祭礼で、疫病退散を祈願する天王信仰に由来する祭りとして江戸時代からの400年の歴史を持つ川祭だ。

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 冨吉建速神社と八剱社は、733年(天平5年)に奈良時代の僧・行基が勧請して創建したとされ、また社殿はかつて織田信長が造営したとの言い伝えもあり、重要文化財に指定されている。

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 境内には夜店が建ち、近在からの多くの人出で賑わっていた。

 蟹江町北部の須成地区は、古くから農業と商業を生業としてきた地域で、須成祭は地区の氏神の祭礼として地元の人々の手で伝統が受け継がれている。

 須成祭は百日祭ともいわれ、穢れを葭(よし)に託して流す御葭行事や宵祭りの巻藁船(朝祭り:車楽舟)の出る川祭を中心に、7月初旬から3か月間にわたる諸行事が行われ、2012年には国の重要 無形民俗文化財に指定されている。

 この夜の宵祭りには、稚児を乗せた一艘の巻藁船が、川下にある飾橋から冨吉建速神社・八剱社の近くの天王橋まで蟹江川を上る。(午後8時~10時 飾橋~天王橋)

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 公民館で行われた宿囃子
 この夜の宵祭りには、まず公民館で宿囃子が行われた後、稚児を乗せた巻藁船が天王橋まで55分かけて蟹江川を遡る。

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 巻藁船に向かう稚児の行列

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 蟹江川を上る宵祭りの巻藁船
 祭りの中心となる宵祭の巻藁船は、数多くの提灯で飾られ稚児を乗せて祭囃子を奏でながら蟹江川を上る。

 川面に映る巻藁船の灯りが、幻想的な郷愁を誘う。

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 人力で川の両岸からロープで引かれた巻藁船は、ゆっくりと進んで来る。
 半円に飾られる「巻藁提灯」の数は1年の日数を表す365個、中心に立つ「如意竹」に縦に並ぶ提灯は1年の月数の12個(閏年は13個)、巻藁提灯の下の小さな「ほおずき提灯」は一月の日数の30個とされている。

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 巻藁船に乗った稚児が冨吉建速神社・八剱社の近くの天王橋の袂の船着場で下船し神社に奉納すると、祭船に飾られていた赤いほおずき提灯と餅が船の上から見物客に向かって投げられ、次いで打ち上げ花火でこの日の行事が終了する。

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 須成祭は、「山・鉾・屋台行事」を構成する33の祭りのひとつとして、昨年(平成28年)12月にユネスコの無形文化遺産に登録された。

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 なお、次の日の朝行われる朝祭では、巻藁船を模様替えして大屋台に高砂人形を安置し、梅花・桜花で飾られた車楽船(だんじりぶね)となって、再び稚児を乗せて飾橋から出発し、祭囃子を奏でながら天王橋まで川を上り、神社に奉納する。(午前9時~12時 飾橋~天王橋:参考画像)

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https://youtu.be/sECBPmuja2k











〇 東京へ行ったついでに「迎賓館赤坂離宮」の一般公開に行ってきた

―― 壮麗なネオバロック様式の宮殿建築の国宝

 昨年(2016年)4月から、観光立国化を進める国の開放方針によって一般公開が始まった、国家の財産、国宝「迎賓館赤坂離宮」に行ってきた。

 外国の国賓が来訪するとその宿泊などの接待に使われ、新聞やTVで報じられることが多い施設だが、以前は限られた夏の期間限定でしか公開されていなかったから、今までは囲いの外から建物を見るだけだった。

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 四谷駅を出て四谷見附から直進して南の、国道414号線の先にある迎賓館。
 東京都港区元赤坂二丁目1番1号

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 迎賓館の正門
 117,000㎡(35,500坪)の敷地の迎賓館の正門
 もともと皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の東宮御所として1909年(明治42年)に建設された施設だったが、あまりにも華美な宮殿建築で、住居としての使い勝手も良くなかったなどから、嘉仁親王はこの御所を使用することがほとんどなく、また大正天皇即位後は「赤坂離宮」と呼ばれてきた。

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 正門から続く正面前庭と建物の外観
 大正天皇の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)は、成婚後しばらく東宮御所としてここに居住したものの、天皇即位後は使い勝手が悪く経費が嵩むとしてほとんど使用せず、放置されてきた状態だった。
 戦後になって宮内庁から国に移管され、国際関係の緊密化により外国の賓客の来訪が多くなり、それまで迎賓館として使用していた施設が手狭などという理由で、5年をかけた改修がなされ、1974年(昭和49年)3月から国の迎賓施設として使われることになった。

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 壮麗なネオバロック様式の洋風建築の建物は、屋根は銅葺き緑青、外壁には花崗岩が使われており、各種の装飾類などと調和のとれた美しさを現出している。
 2009年(平成21年)には旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として、明治以降の文化財としては初の国宝に指定された。
 2016年 (平成28年)4月から一般公開が開始され、夜間のライトアップが行われている。

 敷地:11万7000m2
 本館 構造:鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階)
    延床面積:15,000m2

 先に正門前で入場整理券を受け取り、囲い塀に沿って西門へ廻り入場し、館内に入る前に、まず緊張した面持ちの職員に整理券を渡して、飛行機に搭乗する時のような手荷物・身体検査チェックを受けた後で。大人1,000円也の入場券を買って入館することになる。
 なお、建物の内部は撮影が禁止されている。

 そもそもこの施設が、わが国の国賓を接待するための国宝施設であり、日本にとどまらず、近年世界中の施設で起きているよからぬ暴漢による深刻な被害の多発を抑制するためには、こうした手続きはしごく妥当な措置であるといえる。

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 「2階大ホール」(内閣府HP画像)
 紫斑紋が美しいイタリア産大理石を使った、8本のコリント式円柱。

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 「花鳥の間」(内閣府HP画像)
 フランスから取り寄せたシャンデリア、天井画、壁画などが使われており、正面から後方へ各種の野鳥が飛翔している大食堂。広さ330㎡
 この場所で行われる招宴で提供される料理のジビエをイメージしているといわれる。

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 「花鳥の間の七宝焼き」(内閣府HP画像)
 日本人の天才職人の手になる壁面に掲げられた長径60cmの七宝焼き(30枚)の一つ。
 現在の七宝焼きには色の境界に銀線が残るが、これにはそれが無い「無線七宝」の技法が使われているという。

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 建物南側の主庭と噴水(内閣府HP画像)

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 迎賓館参観案内図

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 前庭から見た、迎賓館の正面全体の外観パノラマ

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 正面玄関と車寄せ

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 洋風宮殿建築の正面玄関の屋根飾りには、日本趣味の鎧武者像が設置されている。
 
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 花崗岩の灰色の五七の桐の紋章や屋根の緑青ドームとのコントラストが際立つ4羽の金色の鳳凰。

 なお、国賓の来館時の前後には一般公開はされないので、見学を予定する場合には事前にインターネットでチエックしておくことをお勧めする。

○ Blog 原稿 20170700 赤坂迎賓館

 迎賓館赤坂離宮の航空写真(NTT空間情報より)


  ● 新宿区立「若葉東公園」
 迎賓館の正面左右にあり、迎賓館と調和のとれるように設計された小さな三角形の公園で、列柱と噴水、ユリノキの並木、モニュメントのある緑の芝生、桜にバラのアーチなどの西洋庭園となっている。
 迎賓館は港区に位置しているが、「若葉東公園」は新宿区が整備している。

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 迎賓館の正門前にあるローマ式小公園の噴水は、左右に2基がシンメトリーに設置されている。

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 猛暑に見舞われたこの日は、噴水で盛んに水浴びをするカラスやスズメの姿が見られた。


 ● 東京都内の各種のマンホールの蓋(迎賓館周辺で観察されたもの)

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 東京23区の「下水合流管マンホールの蓋」
 周囲に都民の鳥「ユリカモメ」を描き、中央の大きな都の花「ソメイヨシノ」の花びらの間に都の木「イチョウ」をデザインした、マンホールの蓋。
 最新型(番号付)

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 東京23区の「下水合流管ハンドホールの蓋」平成4年から採用
 「合流」を表記した、上と同じデザイン。

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 東京都内「雨水管マンホールの蓋」 
 設置管理者不明

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 東京都の「角型消火栓の蓋」
 菱型地模様の上の左右に東京都紋章と「水道」と「消火栓」の文字が入っている。

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 東京都内 警視庁の「信号機用マンホールの蓋」
 中央に警視庁の「K」の字が入る。










〇 江戸を識る 旧東京を知る 都立の「江戸東京博物館」

―― 江戸時代とは何だったのか 東京はそれをどう引き継いだのか 一度は行きたい博物館

 東急田園都市線(押上行)で渋谷まで行き、電車はそのまま東京メトロ半蔵門線に乗入れるから、清澄白河駅で下車して地下鉄都営大江戸線に乗り換えれば、2駅目が江戸東京博物館のある両国駅(A4出口 徒歩1分)だ。(JR東京駅からは、京浜東北線(蒲田行)で秋葉原で乗り換え、JR中央・総武線の両国下車)

 何が言いたかったといえば、軌道系の相互乗入が極めて少ない名古屋に住んでいると、首都圏の鉄道会社は、利用者の利便を第一に、経済性・効率性を追及した相互乗り入れの運営がされていることに驚くからだ。

 前振りが長くなったが、そうして訪れた地上7階、地下1階建ての「江戸東京博物館」(1993年開館)は、時の経過と共に失われていく江戸と東京の歴史文化を体系的に収集、保存、展示する東京都立の博物館だ。

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 展示は、江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれてそれぞれの時代が何であったかを、説得力のある細密で迫力のあるジオラマや模型とともに、当時の実物資料などで理解できるようになっているから、東京へ行くことがあって1~2時間余裕があったらぜひ一度は訪れたいお勧めしたいところだと思う。

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 鷹狩装束の徳川家康の銅像
 地下鉄都営大江戸線の両国駅から博物館に向かう道に、台座からの高さ7.76m(本体3.7m)、重量30tの巨大な像が建つ。
 1994年に江戸消防記念会から寄贈されたというこの像は、亀の形をした霊獣・贔屓の上に15代続いた江戸幕府にちなんだ15段の台座の上に立っているが、驚いたことに東京にある家康の像はこれ一つだという。

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 木造で復元された江戸時代の日本橋を渡って、江戸ゾーンの展示室に入る。
 ここでもボランテイアガイドが待機しているから、橋を渡る前のカウンターでわたしたちは1時間コースでガイド氏をお願いした。

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 江戸時代の日本橋の賑わい(ジオラマ)

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 日本橋の精密ジオラマの一部

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 焼失前の江戸城天守閣が描かれた屏風絵

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 神田明神の「神田祭り」の御輿と山車のジオラマ
 
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 江戸末期の「神田祭り」の原寸大の復元山車
 当時9月15日の神田明神の祭りには、30台の山車が参加したそうだが、この山車は8番目の関羽の人形を乗せた須田町の山車。
 山車の原型は当初大八車を飾り立てたものから始まったが、東海、関西では4輪の山車へと進化するが、この山車は2輪の原型を留めているようだ。

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 歌舞伎「中村座」の外観を復元した芝居小屋

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 江戸の古典歌舞伎を代表する演目「歌舞伎十八番」の一つ『助六所縁江戸櫻』の吉原・三浦屋の傾城「揚巻」の等身大人形

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 江戸時代の町屋風景のジオラマ

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 両国橋界隈の風景ジオラマ

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 長屋で制作に励む、江戸時代後期の天才浮世絵師・葛飾北斎と娘(三女)の応為

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 草子問屋「泉屋」の復元展示

0-0P1200491のコピー

  版画刷りの工程の展示

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 絵馬「火消し千組」の図
 1833年(天保4年) 歌川国芳 筆

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 江戸時代の町の暮らし展示風景

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 江戸末期の愛宕山から撮影された江戸のパノラマ写真
 イタリア生まれのイギリスの写真家 フェリーチェ・ベアト(1832年 - 1909年)の撮影による。

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 東京ゾーンの明治の銀座通りのジオラマ

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 フォードの「円タク」
 大坂に次いで1926年から東京でも始まった、どこまで行っても1円均一のタクシー「円タク」。
 この車は、大正末期に日本で工場を設置し生産していた1931年型のフォード。

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 軽自動車の名車「スバル360」
 1958年から70年までの12年間にわたり、39万台が生産された富士重工業の軽自動車。日本最初の国民車(大衆車)で、「てんとう虫」の愛称で親しまれた。
 免許を取ったばかりの、わたしの愛車でもあった。

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 お土産に販売されている、江戸前の飴細工。
 飴細工で作った、幕の内弁当、洋食弁当、お赤飯弁当など、かわいいお土産が並ぶ。

 なお、この博物館では、わたしのように65歳以上であれば、都民であるかを問わず入場料金の一般600円が、半額になるからうれしい。

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 「東京メトロ半蔵門線」と接続路線






〇 東京急行電鉄(東急)シリーズ その5

―― 東急建設が進める渋谷駅周辺再開発プロジェクト

 渋谷駅東口にあった東急文化会館の跡地に2012年に建設された複合商業施設「渋谷ヒカリエ」を皮切りに、駅真上には2019年完成を予定する「渋谷駅街区東棟」や2018年完成予定の「渋谷駅南街区プロジエクト」などを中心に、渋谷駅周辺(139ha)地域では複数の大型開発プロジェクトや区画整理事業が進められている。

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 2018年の完成を目指す、渋谷駅南街区プロジエクト35階複合ビル

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 高層複合施設「渋谷ヒカリエ」(2013年完成)から見る再開発風景

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 渋谷駅東口と東京メトロ銀座線渋谷駅

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 東京メトロ銀座線渋谷駅の線路移設とホーム改良工事

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 先月(6月19日)駅東口で足場の解体作業中に鉄骨落下事故があった、「渋谷ヒカリエ」方面につながる一般通路との工事現場。

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 渋谷再開発プロジエクトの完成模型

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 渋谷再開発の整備イメージ図(渋田区役所資料)

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 ステンドグラス「海からのかおり」
 遠く富士山が見える七里ヶ浜に立つ娘の姿を描いた、日本芸術院会員の大津英敏の風景作品。縦2.4m・横9.0mの巨大なステンドグラス。
 東京メトロ副都心線・渋谷駅(B2F半蔵門線方改札外通路)

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〇 東京急行電鉄(東急)シリーズ その4

―― 田園都市線の起点である渋谷駅の忠犬ハチ公前の「青ガエル」

 いわずと知れた、都内渋谷区の道玄坂にある渋谷駅は、JR東日本を始め東急、京王電鉄、東京メトロの各路線が集中する駅で、駅前広場には有名な「忠犬ハチ公」の銅像があって、その物語を知ってか知らずもがな、今では外国人観光客の人気のスポットともなっている。
 
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 このハチ公の銅像の真向かいには、かつて東急の路線を走っていた通勤形の東急5000系(旧5000系)電車のトップナンバー車両、デハ5001号車が展示されている。
 
 旧5000系電車は、1954年から1959年までの5年間で105両が製造され、東横線などで運用された。航空機のモノコック構造を応用した超軽量構造と、最新鋭の電装機器を兼ね備え、高性能と軽快な車体スタイルを実現したといわれる。

 正面は湘南スタイルの2枚窓で、車体に塗られた萌黄色と下ぶくれの愛嬌ある形がカエルを連想させ、「青ガエル」の愛称で親しまれたが、1986年(昭和61年)までに全車両が廃車された。

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 この車両は、東急を引退後に上田交通(現在の上田電鉄)に譲渡されて運用されていたが、上田交通での廃車後に再び東急へ移管され保存されてきたものだが、2006年10月になって東京都渋谷区役所によってここに展示されることになった。
 場所の都合から展示に当たっては、もともと18mあった車体は12mにカットされ、台車や床下機器などを取り去って台座に据えられている。

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 正面上には、東急旧5000系電車の5001号車の車体ナンバーが残る。

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 車内は待合・休憩施設として使われており、イベント装飾も行われているようだ。

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 渋谷に集中する路線網

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 巨大な『明日の神話』の壁画
 渋谷駅には岡本太郎が製作した、縦5.5m、横30mの『明日の神話』の巨大壁画がある。

 もともとこの壁画は、メキシコで建設中だったホテルのために制作されたものの設置されずに長らく行方不明となっていたもので、メキシコ国内の倉庫で発見され、修復の上2008年から渋谷マークシティの連絡通路で一般公開されている。

 製作者の意図として、岡本は「原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いて行く、といった気持ちを表現した。」と語ったといわれる。








〇 長野県伊那谷の松川町へ「さくらんぼ狩り」に行ってきた

―― バスで行く「さくらんぼ」と「元善光寺」と「水引」と

 長野県下伊那郡松川町は、近世の伊那街道で発展した大島宿や片桐宿のあった地区の村が合併して出来た町で、さくらんぼをはじめ、りんご、なし、すももなどの果物の栽培が盛んな地域で、観光農園としても広く観光客を受け入れている。

 今回はパートナーと娘たちが語らって決めた、孫たち同伴の「さくらんぼ狩り」のバス旅行に同行することになったが、果物に目の無いのはやはり女性で、男子はわたしを含め2名だけだった。

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 山にかかる雲行き速いが、幸いにもバスは梅雨時の雨雲を避けるように走る。
 
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 さくらんぼの果樹は、ハウス栽培されている。

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 20世紀最高の品種と絶賛されるルビー色の「佐藤錦」(糖度20)。
 大正元年(1912年)に山形県の佐藤栄助氏がナポレオンに黄玉を交配してできたとされる品種で、昭和50年代以降圧倒的な支持と人気で植栽が増え、さくらんぼの最主力品種になっている。

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 佐藤錦に天香錦を交配し、佐藤錦より大粒の晩生種の「紅秀峰」
 糖度が高く甘い、また酸味とのバランスが抜群に良く高価

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 「さくらんぼ狩り」の秘訣は、なるべく奥の樹で太陽が良くあたる場所で、色の鮮やかな熟した実がお勧めとのこと。なお「さくらんぼ狩り」は、果物狩りの中でも一番元が取れる「狩り」だとか。

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 参加者の皆さん、団体扱い30分食べ放題の参加料2,000円の元が取れて満足したようだったが、わたしは15分も経たずにギブアップした。

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 さくらんぼ農場の傍らにあった、ヘメロカリスの花
 日本原産のキスゲなどから欧米で改良された学名:Hemerocallis(デイリリー)。夏緑性多年草で、見慣れた黄色のキスゲより形がよく、綺麗に開いた花は一日花。


● 観光バスのコースには、「元善光寺」参詣が入っていた。
 推古天皇10年(602年)ごろ、仏教を信奉した蘇我氏が宗教争議に破れたためか、難波の堀に打ち捨てられていた阿弥陀如来像をこの地の住人、本多善光が拾い上げて故郷に奉ったことに因む定額山元善光寺(坐光寺)は、長野県飯田市座光寺にある。

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 その後、皇極天皇元年(642年)に勅命により本尊が長野市へ遷座され、その寺が善光の名をとって善光寺と名付けられたことから、それまでの「坐光寺」の名称が改められ、元善光寺と呼ばれるようになったという。現在は、寺のある地名にその名をとどめる。本尊は善光寺如来(一光三尊阿弥陀如来)。天台宗。
現在の本堂は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されている。

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 矢場の軒裏に多くの千社札や金的成就の札が上がる。

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 客殿前柱の貫頭両端の木鼻に施された唐獅子の彫刻

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 境内のガクアジサイ

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● 伝統工芸の「飯田水引」のアート工芸品
 江戸時代に飯田和紙に付加価値を付けて盛んになった伝統工芸の飯田水引は、明治の断髪令で元結が廃れて一度は衰退したものの、昭和に入って金封、結納品、水引細工などの生産が増え、現在では全国の約70%を生産しているという。

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 梅雨前線の活動で、所によっては大雨になったところがあったようだが、お蔭様でわたしたちは雨の影響を受けずに済むことができた。

 若いころには何の苦にもならなかった車の運転も、大切な娘や孫を乗せての遠出に自信がなくなってきたこの頃では、ガイド付きの観光バスの小旅行は、わたしにとってはすこぶる快適なものとなっている。




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